≪わたしごと77≫多様であることってどうして大事?
多様性という言葉が良く言われていて、多様性ってどうして大事かという事について考えるのだけれども、ロンドンに住んでいると、考える前に経験が先に来たりする。
ロンドンには世界中から人が集まっていて、普通に暮らしている中で、ヨーロッパ各国、アフリカ、中東、アジア、アメリカ、南米、沢山の国の人に出逢う。宗教的に定められた服装をしている人もいれば、タトゥーを全身にいれた人もいるし、スーツで電子スクーターに乗って出勤している人もいれば、自分より速いスピードで歩いている目の不自由な方もいる。
え、そういう風に捉えるんだ、と予想外に驚かされたり、そんなことしていいの!?とギョッとしたり、これって普通じゃないの?と自分の普通が普通じゃないと知ったり。
なんだ結構みんな同じなんだなとか、イギリスと日本って似てるかもと思ったり、同じことで笑ったり、悲しんだり。
多様性を考えていたら、なんだか2種類の方向性があるように思った。一つはみんな違うという事を尊重して思いやる事。もう一つは、みんな違うのでそれを活かして学んで行ったら楽しいし広がるという事。
それを食で考えてみると、前者は人によって食べれるものが違うという事では無いだろうか。日常で例えば初めて会う人やあまり知らない方が混じっていると、まずチェックするのは、ヴィーガン、ベジタリアン、アレルギー等のことだ。宗教的に食べれないものとか、自分で決めて食べないものとか、体が受け付けないので食べれないものとかそれぞれだ。合わせる場合もあるし、個別に違うものを食べる場合もあるだろう。
後者は個人的に日常で感じる事なのだけれども、私はイタリア人とイギリス人の子たちとハウスシェアを近年始めて、多様だという事はシェアしたら増える事なんだなと実感した。何が増えるかと言ったら、経験と知識と豊かさだ。
これも食で言うと、私たちそれぞれが食べるものは、同じようなスーパーやお店で買い物するのに、結果結構違う。イタリアの子はハムとかモッァレッラとかパスタが多いし、私はお米炊いてお肉かお魚と野菜。イギリスの子は外食が多くて色んな所を知っていて教えてくれる。
イタリアの子が食べた事のないハムをくれれば、私は作った日本風カレーをお裾分けするし、私が海苔巻きのやり方を教えてあげれば、ニョッキの作り方を教えてくれる。お互いの食文化が違う所から来ていて、それをシェアするのは、なにか食べる事以上のものだ。思ってもない質問されるし、疑問にも思った事の無い事にハッとしたりする。
これは学校や仕事などの場面でも、同じではないかなと思う。同じところを見つけても、全然違うと気づいても、that's ok ということ。何故なら違いは学びのチャンスだから。自分が思ってる普通をやわらかく出来ることだから。多様であることをシェアしたら、それは増える事だから。
違いを溝ではなく、壁でもなく、オーガニックな何かに捉えられないだろうか。どう捉えていいか分からなかったり、ショックだったりすることも含めて、本当の意味で受け入れるって、どういうことなんだろう。多様性を考えたりするとき思いいたるのは、私は個人という事をどう捉えているのだろう、という事だったりする。
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