096_7/19 その一歩先は凪
人の悩みは人それぞれ。
自分で話していてもどこまで打ち明けたことが伝わっているだろうと思うこともあるし、頭や心を捻ったけど、ちょっと何かが違うことに拘られてしまうと、たぶんこの話はお節介で終わるんだろうなと思ったりして。
ただ、散々悩んで試行錯誤してきた身としては、長い人生安定と賢い選択が吉、だけど、考えても悩むだけなら飛び込んじゃえば?とも思う。それが自信につながったりするから。ジッとして頭ばかり使うくらいなら、行動してハートを強くしたほうがいい。動くまでは心臓が口から飛び出そうになるけど、結局心臓は口から出てこないし、それがないとしたら、失うものは、案外何もない。
結局人は人、ということを忘れてはいけない。まるで冷たいようだけど、それは熱くなりすぎる時の湯冷ましみたいな呪文。行動したほうがいいかどうかは私の世界での辞書に書いてあるもので、誰かの辞書には書いていないものだったりする。八方塞がりで、どうにかしたそうだったり、相談がきた時に、こんな方法はどうか、と選択肢を提案する以外は、ない。そういうことだし、自分にはそんなに相談もこない。多分ろくに相談しないからだろう。
辻仁成さんのブログをたまに読んでいて、息子さんとの抽象度の高いやりとりに、毎度唸らされる。この前は、家族には期待していいんだ、という話。期待されるから期待に応えたくなる、その繰り返しで家族という輪がつくり上げられていくんだと。(たしかそんな感じ)
(おそらくこの辺から読まないと、やや前段が分からなくて迷子になると思う。)
結構刺さって、自分の家族を持ちたい理由はそういうことだったりするのかもなぁ、なんて。結構めんどくさい要求なのかな。笑
という話を引っ張ってきた場合に、友人や仲間に期待をしていいんだろうか。期待という言葉は、「信頼」に置き換えられるのだろうか。人は人、と思うことで期待をしないように、傷つかないように気を付けているだけかもしれない。ならば、考えて行動できないことと同じかもしれない。
矛盾。
来週の4連休で100投稿目を迎える予定。そういう特別な連休なのに、遠出もしにくいような予定を入れてしまって、我ながら計画性がない。前段通り、行動でごまかすところの歪みがこういう形で出たりして。
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