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更ちゃん一時退院4日目

更ちゃんが1クールの治療を終えて、火曜日の午後からお家に帰ってきました。この過酷だった1ヶ月ちょっとの日々を耐え抜いて元気な姿で帰ってきた更ちゃんは、小さな神様の様な佇まいに感じます。更ちゃんから輝く強い光は、頑張って生きている誇りが感じられました。
あっという間に4日が過ぎてしまいました。日曜日には、病院に戻ることになっているので、今回一緒にいられるのは、後2日です。

更ちゃんのカメラで和をパチリ!

ボーイズは、大好きなマミィが帰ってきた喜びの方が大きいのかと思っていたら、家にいる更ちゃんを見た瞬間、暖くんはかけよりハグしたそうです。更ちゃんが帰ってきて嬉しい。一緒に遊びたいと言っていた暖くんは、歩けなかなってしまった更ちゃんがハイハイをしながら移動しているのを見て、一緒にハイハイをして移動していたそうです。

更ちゃんのマットの上で一緒にゴロゴロの暖くん。

和は、更ちゃんが帰ってきて嬉しいとやはり学校から帰るや否や更ちゃんに駆け寄りました。
それでも、相変わらずの癇癪ぷっりで、勉強したくないと大暴れの大泣きの日々です。


誰もいなかったので公園でブランコに乗った更ちゃん。

更ちゃんは一昨日の晩、午前3時頃大泣きをしました。『やだー』と、力一杯の声を張り上げて泣いていました。私は連日の疲労感でなかなか起き上がれませんでしたが、その声は胸に響きました。意識が朦朧としながらも、
『大丈夫?』
と声をかけるのがやっとでした。しかし、泣き声が、さらに大きくなり段々と私は目が覚めてきました。その泣き方は、今までの更ちゃんには無かったとても深い悲しみの泣き声に感じて胸がえぐられるような思いがしました。
ああ、この子は本当に何もかも分かった上で、必死に生きているんだ。痛いことも、怖いことも苦い薬も生きるために乗り越えてきたんだ。頑張っているんだと、たった3歳の子が味わうはずもない孤独な世界で辛く苦しい時間ゆを過ごしてきたのだということが、この泣き声で、私の体の中に訴えかけられたように入ってきました。それを感じたら涙が止まりませんでした。これからの人生は、この子を本当に守って癒して行かなきゃと強く思いました。

アバのご飯美味しいって、たくさん食べてくれる更ちゃん

娘(更ちゃんのマミィ)は、更が白血病になるまで、そういう病気はドラマの中にあるような感じで、全く自分とは別の世界のように思っていたけれど、そうでは無いんだと思ったし、今の病棟には小児がんを患っている子どもたちがたくさんいるのだけど、みんな普通の子で、それは当たり前なんだけど、なんていうか、病気を患ったからと言って、更は同じ更なんだよ。だから、そこにいる子供たちもそう、同じなんだと。病気をしたからと言って、レッテルを張りたくないと思ったと。
だから、そう思えたら、泣かなくなったよ。
もう治すしかない。治すためには、担当の医師を信じて、任せたいと思ったし、先生はみんな真剣に子供たちと向き合って最善尽くして治療をしてくれているんだと思えたから、信じられると思ったんだよ、と言いました。

確かに、そうだね。その子の延長線上にあるもので、別の世界に行ったわけではないものね。そして、インフォームドコンセントをしっかりと実践して患者である子供たち、またその家族のことも考えて対応してくれる医師に出会えたことは感謝だよね。
という話をしました。
娘とは、更ちゃんが入院してからは、2人きりで長い時間話をすることは出来なかったので、そんな時間が持てたことも、今回の一時退院は、本当に良かったことです。

私は、更ちゃんの辛い病気によって、また多くのことを学ばせてもらっています。自分がどれ程未熟で愚かに生きてきたかも痛感する毎日です。
ボーイズの癇癪には耐え難いですが、その中にも学びがあると思っています。
私の対応が違っていれば、ここまで癇癪を起こさないのではないか?悪いのは全て私だ。そうも思います。
しかし、還暦の私にとって、朝5時から起きて食事を作り、学校、幼稚園に車で送迎片道1時間半。帰ってきて家事。買い物等々。そしてお迎え1時間半。学校の宿題や家庭学習を見て、遊びに付き合い、入浴の補助。夕食作り食べさせて、就寝前の絵本、就寝準備と続き、ボーイズ寝た後、夕食の片付け翌日の準備。その間、一日中ほぼ動きっぱなし。座れる時間は洗濯物を畳むためにソファに腰掛ける僅かな時間のみです。泣き言は言わないようにしたいですが、正直疲れます。
その上に、大癇癪を起こされると精神的にも疲労困憊になってしまいます。
どうかボーイズの癇癪がなくなりますように。思いやりのある子に育ってくれますように。
あゝ、神様。と祈りたいです。
未熟で愚かな私ですが、懸命に頑張っていますので、どうか神様のご加護がありますように。アーメン。

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