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母の居ない寂しさを強さに変えて人に優しい人間に成長しよう

甘えん坊なボーイズが、更ちゃんの入院から3週間、よく頑張っています。
和くんが、今日寝る前に、
『もう5年もこんな生活しているよ』
5年?そんなわけないでしょ。あなた何歳よ(笑)
と言う会話わしたのですが、そのくらい長い時間に感じるのだろうなと思いました。
私ももう何ヶ月もここにいるような気がします。
今日は、日曜日なので本来ならば彼らのパパが遊ぶ日なのですが、先週私たちが東京から帰ってきたら、インフルエンザに罹って発熱していると聞き、移ってしまうと娘にも会えなくなるので、部屋には入らないようにしてもらっています。
元々、パパだけ別の部屋を借りているので、家に入るのは毎朝シャワーを浴びる時とお休みの日だけです。1LDKに改装した室内は、夫婦2人暮らし仕様で、子供を育てるような環境ではありません。そんなところに3人目の更ちゃんが生まれる直前から1年7ヶ月私は娘を助けて家事育児を一緒にしていました。丁度コロナが蔓延し始めた2020年の4月、緊急事態宣言が出された時、不安を抱えながら私は東京から沖縄に来ました。東京からの移動は冷たい目が向けられていました。私は2週間程、那覇のホテルで隔離期間をとってから娘の家へやってきました。娘たちが暮らす家はアパートですが、そのアパートは娘の夫の父親が所有するものです。その両親はアパートの目の前に住んでおり、弟家族、妹家族、叔母たちも住んでおり、敷地内は親戚だらけの環境です。その中で、私が東京から来ることにはちょっと反対でもあったと言われ、なんともいえない気持ちを抱えながらお手伝いしていました。
そんなことを言われていたので、もちろん他者との交流などせず、娘と私は子供たちを守るためほぼ外出もせず部屋にいました。しかし、ヤンチャ盛りのボーイズを部屋の中に閉じ込めておくのは容易なことではありません。そこで、人気のないこの海へ来ることが多くなりました。海で魚を鑑賞したり、潮風に当たっていると嫌な現実も忘れることが出来ました。

干潮の時は岩の上を歩いて間近に綺麗な青い魚も見られます。

コロナから3年。大切に育ててきたコロナ禍生まれの更ちゃんが、まさか白血病を患うとは、そしてまた私が沖縄で子供たちの面倒を見ることになるとは思いもよりませんでした。
私には、私の生活を支えてくれる家族はいないので、このような事態は私の生きる術を奪われる本当に難儀なことなのです。もちろん娘はそれを充分理解しているので、感謝の意を表してくれていますが、周りの人たちからは私が勝手に来ていると思われているようで理解されていない心地の悪さがあるのは事実です。

私は、自分にキャパが無さすぎて、子供は1人でいい。1人しか育てられないと思い、娘はひとりっ子です。娘の父親とは色々あり娘が10歳の時に離婚しました。その後はシングルマザーで、必死に働いてきました。28歳の時から、思えばずっと働いている生活です。シングルマザーとなってからは昼夜問わず働いてきましたが、年金なんて本当少ない金額です。60歳になりましたが、年金はもちろんまだありません。これから先のことを考えると不安でしかないです。昔と違って今は子供が親を扶養する義務を感じでいないようにも思いますし、現実、死ぬまで働くしかない覚悟はあります。しかし、今は自分のことはさておき、この子たちを放ってはおけない一心でここにいます。
私がボーイズに教えてあげたいことは、寂しい気持ちを大切に強さに変えていくと、それは、優しさになるということ。人の痛みがわかる人が本当の強さを持った人なんだと。今の気持ちを大切に、成長して行って欲しいです。
私は怒鳴らないように叱りたいです。自分の未熟さを日々感じます。反省ばかり。


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