年越し蕎麦無しの大晦日
更ちゃんも一時退院で、予定通り12月28日にお家に帰ってきました。ボーイズ鼻水なので、帰らない方が良いのか迷った挙句、医師、看護師のアドバイスで、今帰らないといつまでも帰れないですよと。もし、お熱が出たら救急で受け入れるし、場合によっては入院することもできるので、帰れる時には帰った方がいいですよ。との事で、更ちゃん元気に帰ってきました。
近年、あまりに気忙しく、年末年始を感じたことがない気がします。気がつけば今日は大晦日です。私が子供の頃は、実家は商売をやっていたので.大晦日まで両親は忙しく働いて、夜行電車に乗って家族、親戚で新潟迄スキーに行って、三が日はスキー三昧で、3日の夜にクタクタになりながら家に帰り着いていたのを覚えています。
それは、私が3歳の頃から9歳の歳まで続きました。9歳の歳の時は行ったけれど雪が全くなくて帰ってきました。お正月の2日は初売りなので、父が『面白いからみんなで福袋を買おう』
と言い出し、寒い冬の朝早くからデパートの前の行列に並ばされました。
『お父さんは、向こうに行ってくるから、お前はここで並んでいなさい。お母さんはあっちに。こっちに』
とみんなで手分けして買い漁りました。何が入っているのかが楽しみで、家に帰ってわちゃわちゃと袋を開けました。何が入っていたのか?全く覚えていませんが、父と母は、相当楽しかったようで、その行事はその後ずっと続いていました。
私が大人になって思ったことは、小学生の私たちに、父の知り合いの方や、親戚の人たちは、5千円〜1万円のお年玉をくれていたことです。
子供だった私は、1万円くれる人はAランク、5千円はBランク、それ以下はケチランクとして、いつもAランクの来客を楽しみにお正月を過ごしていたものです。大人になった私はケチランク。そもそもお正月に子供に会わないです。孫は、別ですが、とはいえ、まだ今のところは、孫は幼いので、千円、2千円で済みますから、楽です。
もっと大きくなったら、どうしましょう。
と言って、私が子供の時代は、50年も前の話です。そんな前からお年玉が1万円だったのに、今の子供達はいくらもらっているのでしょう。
3クールめの治療中の更ちゃんは、あまり食欲がありません。唯一いつでも食べられるのは苺です。
ただ、苺は、好中球が500を切ると食べることができなくなってしまいます。好中球が500以上ある今は、苺を毎日食べて楽しんでいます。しかし、今年は苺の値段がが高いのが悩みの種です。
ボーイズは、マミィと更ちゃんがいない時はとても仲良しです。しかし、マミィが帰ってきた途端、喧嘩ばかりしています。そして、私の言うことも聞かなくなり、和くんは昨日も今日も大声で泣き叫んでいました。もっとゲームがやりたい。だけではありません。勉強が分からない。レゴが組み立てられない。何もかもイラついてる感じで集中出来ない、そんな感じに思えます。
癇癪は野獣のように吠えまくり恐ろしいのですが、私が動画を撮り始めると、さっと涙も引っ込み落ち着きます。マミィがいるので甘えているのでしょうか。時に、私も大声で泣き叫びたくもなりますし、気持ちはわからなくはありません。
更ちゃんにボーイズの鼻風邪が移ったら大変なので、家の中でも常にマスク着用のボーイズ。
息苦しいけど、更のためなら我慢すると、朝起きた時から寝る直前までマスクを着けています。
なんとか今年もみんな一緒に年越しができました。あっ、まだ新年明けてなかったです。
もうすぐ新年です。
激動の2023年ももうすぐ終わります。
ありがとうございました。