続続続・がん検診から子宮全摘までのアレコレ
前回「これなら(手術翌日に)退院できるかも」と思うくらいだったと書いたが、もちろんそれは勘違いだった。
おかゆが呑み込めない。看護師さんも首をかしげるが、どういうわけか胸がつかえて何を飲み込むにもかなり苦しい思いをしないと喉を下りていかない。耐えられない程ではないが下腹も痛い。熱も出てきた。
けれどそれくらいなんであろう。もし開腹手術をしていたらこの比ではなかっただろう。あの思い出すのもつらい術後室で過ごした時間は×10だったはずだ。それに比べたら手術翌日にすべての管が外れ自分でトイレに行けて食事も口から食べられる。いつ会っても(毎朝病室に声掛けに来てくれた)主治医に(この人大丈夫かな??)と思って本当に申し訳なかった。のんきで気楽そうなその説明通り、手術翌日にテレビを見て昼寝していられるくらい元気でいられたのだ。先生ありがとう。
ところで入院の準備対家族として、
食事:無印でレトルトカレーやスープ他各種
近所のスーパーでチルドのハンバーグやフリーズドライお味噌汁各種
うどん、そば、牛丼等冷凍食品各種
これをどこに何があるかA4に書いて冷蔵庫へ貼り付け
ご飯の炊き方は娘が夫に伝授すること、洗濯物は家にいる人で干したり取り込んだりすること(みな出勤時間や曜日がまちまちなため)自分のご飯は自分で作り、洗い物はたまったときに時間のある人が食洗器に入れること。などなどを取り決めた。
そもそもオット、長男、長女は私が何の病気でどのくらいの深刻度か、というのをうっすらとしかわかっていない。言うには言ったが、言っている私本人が(盲腸並みっぽいらしい)と思っているので、それがさすが家族だけありまっすぐ伝わって「おかーさん、いつ帰ってくる~?」程度の反響で、まるでインドあたりへ一人旅にでも行くような(前科がある為)なんとも明るい空気だった。
だからと言って入院期間中誰一人見舞いに来ないというのは、一体?!
コロナで病院が厳しいといったが、それにしても見舞いに来ようという空気さえなく、もっぱらLINEで「どう?」「大丈夫」程度のやり取りだけだった。。。
ちょっと(結構)ムカついていたところに、オットからご機嫌伺のLINEが入る。「迎えに行こうか?」正直なことを言えば、タクシーに乗って帰ったほうがよほど手っ取り早いのだが、ここで、結構ですっと断れば家族としてよろしくないだろうと、せっかくなので来てもらうことにした。「俺の車は荷物がいっぱいだから、そっちの車で行くよ」そーかいそーかい。。「俺の車」には趣味のカメラ道具やらそれに伴うキャンプ道具が満載なので家族の用は足せたためしがないが、老後の趣味があるのは良しとすべき。
ホテル暮らしのように快適だった入院生活も明日で終わり。
しばらくは重いものを持たないようにとのことなので、Oisixのお世話になることにしてスローに家事へ復帰していこう。
完
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