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SATOMI アブダクション

①その日は、昨日とうってかわって春めいた日で、陽光と身体の記憶から桜が彷彿とした。
 さとみはダウンジャケットを脱ぎたくなった。胸元のジッパーに手をかけようとしたとき、会社の昔の同僚が視界に入った。さとみははっとした。瞬間的に明るく、春めいた気持ちになった。この前に会った際には、だっこひもの中で指をくわえていた赤ちゃんが、今やママに手を引かれて、たどたどしくも自らの足で前へと歩いていたからだ。小さな体でせいいっぱい踏み出す一歩一歩をさとみは微笑ましく見守った。
 しかしさとみは唇をかたく閉ざすと、急を思い出したかのように帽子をよりいっそう深々と被り、足早に横を通りすぎた。
さとみには友だちが、いない。この街にいないといったほうがいいかもしれない。引っ越しして以来、気楽に話せる友達が誰一人といなかった。数年前にしつこい同僚いじめにあって以来、人が怖いのだ。いや、もしたかしたら、もともと同性が怖かったのかもしれない。
 会社勤めをするまでの女学生時代は、女友達に恵まれていると思っていた。実際、明るく才とおもいやりのある友人ばかりで時折の交流は彼女に少なからぬ歓びをもたらした。しかし、さとみはおそらく物心がついたころからどこか自分が浮いていると感じていた。友人といても野放しで楽しいと思えたことがないことに、自分はなにか大切なことがわかっていないのではないか、自分には大きくかけている何かががあるのではないかと思っていた。社会人になるや、途端に様子は一変し、ひきずりおろしの矢先に立った。それは女独特の執拗さで、さとみは疲弊し、容易には拭えない傷をおった。
 商店街は賑わっていた。方々でお客を呼ぶ声が耳に入った。行きかう幾十人の人が視界に入った。

「 春ね。季節がめぐる。同じ繰り返しなんてまっびらごめんだわ。わたしがわたしを脱ぎ捨てて、変わるために、何ができるのかしら。」
書道・弓道・お茶・英会話・・・・、さとみは、思いつく限り何か新しい挑戦を考えてみるのだが、どれも的外れに思えて、所在ない気持ちを静めることができなかった。得体の知れない寂しさのような心もとなさも覚えていたが、傷から立ち直れない不安というより、新しい季節への抵抗だろうと思うようにした。
「足を引っ張るだけの過去ならば、早々と脱ぎ捨ててしまいたい。」
そう思っているのに、痛みの記憶が大きなしこりのように胸を圧迫していた。
 商店街を抜けると、辺りは急に静かになった。シャンパンとケーキの買い物袋がかさばる。さとみは、玄関先で手荷物を下ろして、スニーカーを脱ぐ数分後の自分を想像しながら一人暮らしのマンションへと足を早めた。最後の曲がり角にさしかかったとき、ふいに突風がブワッと顔にかかった。
 
キーン
 
目が眩むほどまぶしいフラッシュ、未知の衝撃がさとみを襲った。脳の内部から光が炸裂したようだった。
 さとみは0. 0コンマの時間感覚で視界を失った。高密度の光の量子の中で、身体の自由も失い、直立していた。
「嫌だ、私、事故!?眩しい。あ、身体が動かない。このまま死ぬのかしら。嫌だ、そんなの。まだ、人生最高って心底思ったことないのに。」
さとみの意識が遠のいた。






















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