上京を迷っている後輩Bに向けて

調子はどうだい?

キミが上京するべきか迷っている、だからアドバイスしてやってほしい、と言われてね。

こうしてとつぜん連絡したわけです。

アドバイスになるか分からないけど、僕の話を聞いていってよ。

お茶でも、お酒でも、飲みながら。

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「当たったら何につかう?」

山梨のサービスエリアで買った宝くじ。
ぺちぺち揺らして、ハルが聞く。

「とりあえず良いトコに引っ越すかな、吉祥寺とか」

僕は答える。

早朝に名古屋を出発して、もう6時間くらい。

僕たちはプロのミュージシャンになるため、車で東京に向かっていた。

ハルはギタリストで、僕はボーカリスト。

レンタルしたハイエースの助手席にはハルが、運転席には僕が。

後ろの貨物スペースにはギターやアンプ、服などが詰め込まれている。

「オレだったら、新しいギターを買うかな」

ハルは続ける。

「いやぁマジで、当たんないかなぁ」

「当たるといいよな」

僕は、まぁ当たらないだろうなと思いながら答える。

ちなみに、この時に買った宝くじは予想どおり当たらず、僕らはプロになることもなかった。

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僕たちが東京に引っ越したのは、東日本大震災があった年の初夏だった。

いろいろなタイミングで、計画停電のお知らせを見かけたのを覚えている。

新宿や渋谷から遠く離れた、西のほうの街。
東京というよりも、地元に近い雰囲気。

この街でこの先2年くらい、とりあえず次回の契約更新までは、ハルと僕はルームシェアをすることにしていた。

借りた部屋は3LDKで、家賃は8万円。
ひとりあたり4万円。

古いアパートで、周りには何もない。

最寄りの駅までは20分くらい。
食料品の店は、駅と反対方向に15分くらい進んだところにあった。

僕たちがこのアパートに到着したのは夕方を過ぎたころ。

持ってきた荷物を、ふたりで部屋に運び込む。
じんわり暑く、これからの生活に期待をしながら、心地よい汗をかいた。

その日はガスの契約がまだだったので、風呂場のお湯は出なかった。
こういうことがあるので、キミがはじめて引越しする時は注意してほしい。

結局、冷たいシャワーで汗を流した。
初夏でよかった。

ひとまずシャワーでごまかしたものの、疲れた身体を休ませる布団はまだない。

僕は持ってきた折り畳みベッドの薄いクッションの上に転がった。
東京にきた、ついに来たと思いながら、しばらく天井を見ていた。

ハルは床に段ボールをひいて寝たらしい。

翌朝、僕らは自転車屋に行った。

東京での生活は、自転車があるととても便利だ。

もちろん住む場所にもよるけれど、住む場所に自転車置き場があるなら買ったほうが良いと思う。

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東京での生活は楽しかった。

バイト探しに周りの探索。

あーでもない、こーでもないと、家具家電を揃える。

足を伸ばして池袋の楽器屋をめぐったり、新宿や渋谷をうろついたりした。

ひと月も経ち、金が少なくなると急に不安になった。

なんとかバイトを見つけ、当面の生活資金の見通しはたったが、そこからは大変だった。

バイトだけで1日が終わる。

バンド活動といえば、予定のないライブの話やメンバーを探すことばかり。

当時、僕たちはドラマーを探していた。

上京の際に、ドラマーが家庭の事情で東京に来ることができず、脱退していたからだ。

バンドあるあるだが、ギターを弾ける人はたくさんいる。
ベーシストも意外と多い。

それに対して、ドラムを叩ける人は圧倒的に少ない。

これからバンドをしてみたい人は、ドラムをはじめるとバンドマンにモテると思う。

さらに、僕たちのドラマー探しには大きな制約があった。

それは僕たちのバンドのベーシストであるAくんだ。

彼はなかなかにクセが強く、過去にふたりのドラマーを脱退させるほどの狂犬だった。

ウデが良くてストイック、クチが悪くて自分にも他人にも厳しい。

おまけにイケメンなので絵面的にも強く、説教にも説得力と迫力がある。

「Aに合うドラマーなんて本当にいるのか?」
バンドリーダーのハルは、よくぼやいていた。

Aくんは秋ごろに東京にくる予定なので、それまでに僕とハルでメンバーをみつくろっておく必要がある。

夏が終わりを迎えるころ、後から上京してくるハズだったAくんから連絡がきた。

バンドを辞めるという連絡だった。

はじめは方向性とかなんとか言っていたが、どうにも支離滅裂なので問い詰めた。

FaceTimeでの問答のすえ、Aくんは「さいきん彼女ができた」と白状した。

いやいやいや、上京するのに、なんで地元で彼女作ってんだよ。
そして東京に来ないのかよ。

去る者は追わず、というよりも追えなかった。

冷たいかもしれないが、優先順位は尊重すべきだ。

彼は「バンドは彼女よりも優先度が低い」という決断をしたわけなので、強要してもお互いに不幸になるだけだ。

正直に言えば、僕はAくんに対しての失望があった。
ハルがどう思っていたかは分からない。

それでも精一杯、Aくんの決断を尊重した。

僕たちがブレはじめたのは、このころだったと言える。

バンドの話はほぼしなくなり、代わりにゲームばかりやるようになった。

Wiiのマリオカートだけが上手くなっていく。

そんな日々を過ごした。

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バンドのために空けていた時間は、バイトに使われるようになった。

バイトで稼いだお金は、音楽ではなく、東京でできた新しい仲間との遊びで使うようになった。

東京で出会った彼らとの時間は、とにかく心地よかった。

それぞれが何かのために東京に来ていて、なにかのために生きていた。

僕はこの時すでにブレていたけれど、彼らとともに過ごしている時は、「バンドのために上京した人間」でいられた。

だけど、そんなごまかしも面倒になり、そのうちあまり出歩かないようになった。

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ハルがバイトでいないある日、僕は息抜きで映画をみた。

マリオカートの腕前はとっくに上がりきっていて、これ以上うまくなるのは無理だと思ったのだ。

ちなみに、キミは「人生を変えた映画」に出会ったことある?

僕はあった。

「トレインスポッティング」という、若い頃のユアン・マクレガーが主演の映画なんだけど、知っているかな?

なかなかショッキングな映画だけど、ファンも多い。

2017年に続編が公開された名作だ。

もしキミが何かにぶちあたって、どうしようもなくなったら、観てほしい。

その時までネタバレしたくないから、ボカすけれど、僕にはラストが突き刺さった。

この映画から受けたメッセージを僕なりに置き換えると、こうなる。

「バンドを辞めよう、辞めて普通の人になろう」

「いつまでも集まらないメンバー、変わらないバイトの日々、お金のない生活、歌詞が書けない苦労、歌が上手くならない事実、ギターを練習する苦労、いつまでもできないライブ、そんなものとはオサラバ」だ。

決断には、解放感があった。

モヤモヤしていた感情が、いっきに言語化できたことによる爽快感すらあった。

後悔はまったくなかった。

ちなみに、今もまったく後悔していない。

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そこからは早かった。

僕はバンドを辞めること、この家から出ることをハルに告げた。

「去る者は追わず」が僕たちのルールだった。

ただ今回はいつもと違った。

ハルもバンドを辞めると宣言した。

バンドは解散し、僕たちはバンドマンからフリーターになった。

安直だが、バンドを辞める=就職だという式があった。

イオンに行き、リクルートスーツを買った。

上下セットで2万円くらい。

家を出るにはお金がたりなくて、ギターやマイクを何本か売って用立てた。

楽器はなかなかリセールバリューが高い。

おまけに値上がりしていく傾向にあるので、なにか新しい趣味を探している人には、楽器演奏がオススメだ。

飽きてもそこそこの値段で売れる。

そんなこんなでバタバタと就活を始めた。

そして、とあるIT企業に拾われて今に至る。

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その会社にも、さまざまな人がいた。

僕と同じように、若い頃に音楽のために上京した人。

大学進学で上京した人。

震災で引っ越してきた人。

なんとなく人生を変えたくて、上京した人。

もともと東京で育った人は、あまりいなかった。

そして当たり前だけど、すべての人が「東京で果たしたかった目的」を達成できたわけではない。

達成できた人も、できなかった人もいる。

一部だけ達成できた、そんな人もいる。

それぞれが折り合いをつけて、決断をして、今を生きている。

人生はなるようになる。

もしかすると、ほとんどの人が、上京した頃に持っていた「東京で果たしたかった目的」は達成できなかったかもしれない。

そんな人は「今はなにも持っていない」かというと、そうではない。

ふと気がつくと、東京で生きるうちに、最初はなかった「人生で果たしたい目的」を持っている。

きっとそうだと感じるようになった。

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さて、どうだったかな?

プロのミュージシャンをめざして上京したけど、叶わなかったって話だ。

ちなみに、僕らはまだ東京にいる。
ハルは東京の西の方、僕は東の方。

お互いに今は、音楽とはまったく関係のない仕事をしている。
僕は会社員として、ハルは個人で事業を。

数年前にそれぞれ結婚し、ありがたいことに子どもにも恵まれた。

週に2、3回くらいLINEで連絡もとりあう。
バンドの話はほとんどしないが、ゲームやビジネスの話をする。

ハルの事業は好調のようだ。

「儲かったからさ、昔ほしかったギターを買っちゃったよ」

ハルは楽しそうに話していた。

上京してはや15年。

久々にギターを買ったハルは、またギタリストとして活動をはじめたようだ。
四苦八苦しながら、インスタに投稿している。

僕は歌も作詞もスッパリやめたが、文章を書きはじめた。
これもそのひとつだ。

今日、この話をするために、久しぶりにいろいろと思い出して考えてみた。

東京にきたのがキッカケで、僕の人生は今のものになったんだな、とあらためて感じた。

今のかけがえのない友人と家族がいるのは、上京したからだ。

地元にいたらどうなっていたかは分からない。
実はその方がよかったのかもしれない。

それは分からないし、切り取るタイミングでも変わるだろう。
「もしも」を考えたり、妄想するのは自由だ。

それでも僕は「なんだかんだ、その時にした選択が、その時のベストだったんだろうな」と思う。

住む場所や仕事を変えるという選択は、人生を大きく変える。

人生を大きく変えるとき、挑戦する仲間が近くにいるというのは、とても心強いことだ。

僕にはハルがいたし、ハルには僕がいた。
もしキミが迷っていて、夢を追う同じような仲間がいるのなら、それは幸運だと思う。

そんな幸運を、チャンスをみつけたら、飛び込んでみてほしい。

仲間がいないなら、飛び込んだ先で探してもいい。
東京には今でも人が集まるし、夢を追う人は多い。

特になにかやりたいことがない、なんて場合もおすすめだ。
なにかを大きく変えるきっかけになる。

思い切って踏み出してみて欲しい。

と、おじさんになった僕は、上京した先輩として心からそう思うのである。

ちなみに、なにがどうなるかはわからない。
エラそうに言っているけれど、僕には責任はとれないから、そこはカンベンしてほしい。

誰にも先のことは分からない、けど年はとる、時間は過ぎる、後悔だけが残るかもしれない。

よくも悪くも、行動にはすべてを変える力があるし、選んだ責任は自分でとるべきだ。

東京にはとにかく人がたくさんいて、色々なことを考えて生きている。
夢を追っている人、つかんだ人、諦めた人、何かを見つけたひと、逆に無くした人。

そんな人たちを見たり、関わったりすることで、価値観が変わる。捉え方が変わる。

それは自分を見つめ直すきっかけにもなる。

もちろん当時はそんなことは理解できなかった。
ただただ苦労だけがあったし、思い描いていたような未来ではなかった。

それでも僕は上京したまま、今も東京でたのしく生きている。

キミがもし東京に来ることになったら、また連絡してよ。
それじゃあ、応援してるよ。

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