世界は人の数だけある
先日、誤って記事を一つ、削除してしまいました。
不要な下書きが残っていたのに気づいて削除していたら、うっかり公開中の記事まで削除してしまったのです。
10/27(日)17時開場、18時~配信
「《哲学者の薔薇園》×黒猫魔術店『ハロウィンの心霊召喚譚』新宿御苑トークライブ」の予告記事です。
ダッシュボードのタイトルをクリックすると、記事自体は表示されます。
なのに、元に戻せません。切ない。
もう一度投稿すれば良いようなものですが、普通の記事ならともかく、今回削除した記事はイベント直前に思い立って告知したもの。
今更アップしても意味がないのです。
ということで、内容をちょっと増やして再投稿しようと思います。
この日のトークライブのチケットは完売!
コラボメニューは
フード「お化け南瓜のクリームパスタ」
デザート「黒猫のクッキー」
カクテル「魔女の秘薬」
オレンジ、黒、紫のハロウィンカラーでご用意致しました。
こちらは試作品
黒猫魔術店チャンネルのYouTube配信は、以下アドレスにてお楽しみ下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=oxpgOh9Z8I8
アンコール放送
https://www.youtube.com/watch?v=7NSXnokj-rY
この日は私が司会を務めたのですが、私自身聞きたかった質問を、蜜猫さんにぶつけてみました。
「オカルティズムとスピリチュアルの違い」といった内容です。
というのも、スピリチュアルと呼ばれるものに、どうも懐疑的になってしまう自分が居るのです。
最も、スピリチュアルなものに対して偏見がある訳では決してありません。
それを言ったらオカルティズムだって、散々怪しいものとして世間では懐疑的に見られている訳ですし。
もっと言えば、宗教。
私の相方は、よくネガティブな意味合いで「宗教みたい」という言い方をします。
見方が偏っていたり狂信的だったり、というようなことだと思いますが、真っ当なクリスチャンの私としては、この言い方が非常に引っ掛かる。
まあ、歴史的に見て宗教の名の下に戦争が起きたり、原理主義者や一部のカルト宗教の信徒が過激な振る舞いをしているのは事実ですが、だからといって一括りにして欲しくはないなと思います。
で、結局スピリチュアルというのは、曖昧過ぎるのだという結論になりました。
オカルティズムの方は、かなり論理的だったり体系的だったりして、ずっしりしている。
それに対してスピリチュアルはふんわりしている、というのです。
しかし言葉の使い方って、人によって本当に違いますね。
言葉は共通認識を持つ為の重要なツールだと思うのですが、その言葉の定義すら、人によって異なったりするので厄介です。
そういえば最近良く思うのが、自分の意図と異なる受け止め方をされる場合の多さです。
SNS上など、相手の表情や口調が分からないと余計ですが、そうでなくても、同じ言葉に対する印象の違いが、発言を真逆に捉える原因になったりします。
例えば、「背が高いですね」「かっこいいですね」というのは普通は褒め言葉だと思うのですが、ある人は背が低くて可愛いタイプになりたかったので、そう言われる度に落ち込んでいました。
私は人と議論をすることが割と好きで、自分と違う意見を積極的に聞きたいと思う方なのですが、相方は自分の意見に反対されるのをとても嫌がります。
恐らく、自分の意見に対する反対が、イコール自分の人格の否定のように思えてしまうのでしょう。
私は昔から、相手に合わせてしまうところがあり、無駄にぶつかりたくないというのもあって、相方の言うことに全てうんうんと頷くようになりました。
相手に合わせるのは行動であって、相手の考えに合わせる必要はないのです。
相手がそういう考え方をしているんだな、ということを理解してあげれば良いだけです。
同じ景色を見ていても、きっとどこに焦点を合わせているかによって、全然違うものが見えているのだと思います。
図書館や本屋など、本がずらりと並ぶ場所で、その本の一つ一つに世界が閉じ込められているんだ、と気付いて興奮したことがあります。
これと同じことが、人間にも、いやもしかすると生物全てにも言えるかも知れません。
ひとつひとつの個体が、それぞれ一つの世界を内包しているのです。
思い付きをざっと書いてみましたが、もうちょっとこのテーマを追求していきたいな、と思います。
画像はロサ・アンティカにて取扱中のお人形たち。
サポートして頂けたら、アーティストの支援に使わせて頂きます。 貴方の生活の片隅にも、アート作品をどうぞ。潤いと癒しを与えてくれます。