蒸しパン
私の子供の頃の定番のおやつのひとつが蒸しパンでした。
昨日ポストのふかし芋に並ぶ定番中の定番なのですが
私の蒸しパンデビューは、私の世代では珍しく大人になってからでした。
私が幼少の頃、近所の公設市場の和菓子屋さんで黒いゴマが中央にふられた白い蒸しパンが売られていました。
学校の帰り道、公設市場の中を通るとき、子供達は和菓子屋さんの商品を毎日横目で観察していました。
お腹を空かせた子供達は、甘い物よりもお腹にしっかりたまる蒸しパンが気になっていて、観察の対象は蒸しパンでした。
子供達は
「蒸しパンは売っているのに、なぜか買う人が少ない」という疑問を持ちました。
家に帰って親に聞いてみようということで級友達と別れました。そこでわかった理由とは、
基本 蒸しパンは家で手作りするものだから買う人が少ないということでした。
今でこそ ペットボトルのお茶やおにぎりが売られていますが、
最初に缶入りのウーロン茶を売ったサントリーは相当な冒険だったと聞きますし、おにぎりを売ったコンビニも販売までの道のりは大変だったそうです。
「お茶に、おにぎりに、お金を出す人がいるのか?」ということです。
実際、昭和一桁生まれの方々に 缶入りのお茶やコンビニのおにぎりが浸透するのに時間がかかりました。
あの世代の方は ペットボトルの水は今でも買うことに抵抗があるとのことです。
公設市場の和菓子屋さんは、いわゆる老舗の和菓子屋さんとは別のカテゴリーに入るものでした。
多分仕入れてきたと思われる饅頭や団子、手土産用の羊羮やカステラが店の中央に置かれていいますが
店の売り上げの主力は甘食、バナナカステラ、ゴム風船の中に入った羊羮(変なものだけど実際に売られてた)という庶民的なものだったと思います。
主力選手は店の奥の方に置かれていましたが、さらにその脇に追いやられて、ひっそりと置かれている蒸しパンは、
その風貌から察するに、これだけは店のおかみさんの手作りだったのではないかと思います。
あの白いふわふわの、ほんのりとした甘さ(に ちがいない という想像)のパンを一度食べてみたいといつも思っていました。
やがて、その公設市場は取り壊されて和菓子屋さんの大将は市会議員になりました。
そして、子供達の興味は蒸しパンからマンガやテレビ番組に移って行きました。
あの時、蒸しパンを買ってもらうことなく、家で蒸しパンを手作りしてもらうこともなかった私が、最近 ついに蒸しパンデビューを果たしました。
お米を買い忘れ、買い置きの麺類もなく、買いに出るのも億劫で、、、
食材置き場を探して、主食になりそうな物は小麦粉だけしかないことを確認したとたん 思いつきました。
そうだ、蒸しパンを作ろう!
30分後に出来上がった蒸しパンは想像通り、ほんのり甘くフカフカと美味しいものでした。
しかしながら、雑味のない自然な甘さとふんわりした軽さは、いくら食べても私の胃袋には少々頼りなく、主食にはなり得ない感じがしました。
あの時、あまり売れなかった理由はここらへんにもあったのかと思います。
美味しいけれど、主食の枠を越えそうで越えられない蒸しパンは、
同じような立場のたこ焼きや肉まんほどの異彩を放っておらず、
蒸しパンの持つ自然で素朴な美味しさに馴染みがない人からはリピートされにくいものだったのでしょう。
しかし、今でもスーパーのパン売場には蒸しパンは売られています。
今の物は卵やチーズがふんだんに使われていて、むしろケーキに近いリッチなお味です。
昔と変わらず、今も主力のリッチな蒸しパンの脇に、ひっそりと置かれた白い素朴な蒸しパンは、
今はもう、手作りすることもなくなった、ご年配の方々が求める郷愁の味なのでしょう。