「好きなこと」は見つけなくていいのかも?
ここ数か月「好きなことを見つけよう!」と思って生活していた。
「やりたいことの見つけ方」(PR)という本を読んで、ノートのページが文字でびっしり埋まるほど自己理解に取り組んだ。過去の経験を棚卸したら、思いもよらない考えにたどり着いて興奮したこともあった。
が、それでも好きなことは見つからない。なんでだろう?
本によると、あくなき探求心が湧いてくるもの=好きなことらしい。
たとえば、温泉が好きなら、泉質の勉強をしたくなったり、浴槽の構造が気になったり。それが知りたくてたまらない!という感じ。
私の場合、好奇心がそそられたときにその分野の勉強するのは好き。
でも、ざざざーっと基本を勉強したら満足して、翌月には興味がなくなっている。
それに、有用性や合理性を考えて「これ以上のめり込まなくてもいいや」と思ったことは何回もある。
銭湯やサウナに200軒以上通ったのに、ライターとしてその市場に入らなかったのは、現実的にメリットとデメリットを考えぬいたからである。
巷で言われる「好きなことの見つけ方」は、なんだか自分にはしっくりこない。(この原因を考えると面白い答えにたどり着けそうだが、別の話になるので今は頭の隅に置いておく)
そこで私が考えた暫定解はこれ。
「好きなことを見つける」ではなく「興味のあることを突き詰める。そうすれば〇〇になる」と考える。
結局、取り組んだ後の未来を考えないと、次に進めないのだ。なんともつまらない大人である。
無邪気な子どものように、「好き!」と思えるものに没頭できるタイプだったらよかったのに!
でも、そうなれないのだから仕方ない。自分なりにしっくりくる道を見つけて、コツコツ歩んでゆきます。