ファストコンテンツをやめたら豊かになる話
ここ1、2年自分の中でモヤモヤしているものがあります。それはファストコンテンツについてです。なんだか漠然とした嫌悪感にも似た何かを自分は感じてます。
ただ、このモヤモヤは言語化が難しい。法的なものを置いておくと、ファストコンテンツの問題は個人の生き方みたいな、ふわっとしたものに帰結するからだと思います。それらしい答えが中々見つかりません。しかし、このモヤモヤをなんとか片付けたい。
というわけで今回は、ファストコンテンツについて考えてこの電子の海に放流したいと思います。普段話題にしてるゲームとは直接関係ありませんが、皆さんの糧になれば幸いです(有料記事ですが最後まで無料で見れます)。
ファストコンテンツの定義
ファストコンテンツについて考えるとき、決めときたいのはその定義です。まずはファストコンテンツと呼ばれているものを集めてみます。
ファスト映画
本の解説動画や画像
配信の切り抜き動画
ゲーム実況、配信
調べたところ、ここらへんのものがファストコンテンツと呼ばれるものでした。また、時間短縮や要約というキーワードが共通点としてよく登場してました。まあ、ファストといってますしね。確かにどれも時間短縮や要約されてるものに見えますが、ちょっと弱い気がします。特にゲーム配信なんかは時間短縮や要約要素はないです。
そこで、ほかの共通点を考えてみると、ひとつありました。それは、コンテンツとユーザーの間に第三者がいるということです。
というわけで、この記事でのファストコンテンツの定義は元となるコンテンツとユーザーの間に第三者がいるものとします。あるいはユーザー目線から、第三者を通して元コンテンツを楽しむことでもいいかもしれません。こっちの方がわかりやすいですね。
そう定義するとゲームの感想を書いてる自分のnoteも、読む人にとってはファストコンテンツだといえますね。
ファストコンテンツの問題点
定義が決まったところで、本題のモヤモヤについてです。わかりやすくファストコンテンツの問題点とします。
まずファストコンテンツの問題として、著作権、要約方法、コンテンツ元の収益のあたりが挙げられます。ただ、自分は法律に詳しいわけでもなく元コンテンツのメーカーでもないため、これらの問題は考えません。なので、ここではファストコンテンツによるユーザーへの影響を考えてみます。
まず、ファストコンテンツばかり楽しんでる人を想像してみてください。もし、身の周りにそういう人がいればその人でもいいです。ちなみに、自分の周りにはいます。
なんというか、浅いですよね。知識も薄くて根気が足りてないような気がします。あと、やたら流行りに敏感ですね。
では、なぜ彼らがそうなってしまうのか考えてみると、それは元コンテンツに対して愛着を持ってないからです。つまり、元コンテンツのファンじゃないんですね。確かに、ファストコンテンツを楽しんだとき、元コンテンツのファンになるシチュエーションは想像できません。
そして、愛着というのは執着心を生み出します(ちょっと言葉が悪いですが)。そして、執着心は根気につながり、根気は努力につながります。最終的にその努力から成果が生まれると思います。ほかにも、執着心は審美眼を養うためにも必要です。コンテンツへの愛着を積み重ねることで、人は少しずつ豊かになっていくんだと思います。
つまり、ファストコンテンツの問題点は、コンテンツを直接楽しむことで得られる大切なもの(豊かさ)を養う機会がなくなることだといえるでしょう。映画やゲームのネタバレの問題点もこれな気がします。
ファストコンテンツのいいところ
ファストコンテンツの問題点について考えてきましたが、もちろんいいところもあります。それは、ファストコンテンツは間口が広いところです。
例えば、本の解説動画を見てその本のことを知って買って読んだとか、ゲーム実況を見て面白そうだと思って買って遊んだとかですね。これは豊かさにつながると思います(これはこれで、初見の大切さという問題をはらんでますが……)。
あと、現実社会で生きてると、時間の問題で情報の質や深さよりも量を求めなければならないシチュエーションもあるでしょう。そのとき、ファストコンテンツは助かるものだと思います。
大切なのは、ファストで終わらせないことだと思います。上手にファストコンテンツと付き合っていきましょう。
こんな故事があります
ちなみに、ファストコンテンツについてこんな中国の故事があります。
さらに、後世であと付けされた続きもあり、こちらになります。
コンテンツに対するユーザーの姿勢として本質をついてる気がします。古代の中国人すごいですね。自分なりに色々とファストコンテンツについて考えましたが、とりあえずこの故事を覚えて帰ってください。
モヤモヤの正体
では、最後にファストコンテンツについてまとめたいと思います。
定義:コンテンツとユーザーの間に第三者がいるもの
問題点:元コンテンツへの愛着が生まれず、豊かにならない
いい点:間口が広い
そして、この記事を書いてる内に自分が抱いてたモヤモヤの正体がわかりました。それはファストなユーザーとそうでないユーザーとの間に生まれる断絶です。つまり豊かさの断絶です。この断絶はファストなユーザーとそうでないユーザーのコミュニケーションを不可能にし、お互い生きにくくなると思います。さらに、ファストなユーザーがコンテンツを作る側に回ってしまうと、コンテンツの質が落ちます。そして、低品質なコンテンツの氾濫はユーザーの不信感を生み出しコンテンツの衰退につながります。それこそアタリショックのように。
こういった事態が起きないよう、自分はファストコンテンツに警笛を鳴らすこの記事を書いてるのだと思います。皆さんもぜひ、自分とコンテンツの付き合い方について考えてみてください。では、また。