生きるって、なんだ? 「僕は縄文大工」

このタイトル。

あまりに壮大なテーマだ。


「私達は何のために生きているのだろうか」


そんな哲学的な問いを私は昔から持っていた。

明らかな切っ掛けは中学生のとき。通っていた学習塾で、授業の無い日曜日に“哲学の時間”というものがあった。


授業というより、半分くらいはその塾の先生の趣味の時間であったような記憶だが、少ない参加人数でも開かれていた。


自分は何故存在するのか、神はいるのか、、、

そんなことを2時間くらい考えたり話し合ったりする時間だった。

細かくは覚えていないけれど、物事を根本的に考える癖のようなものがついた切っ掛けであったと思う。

私は塾の授業より、圧倒的にこの時間が好きだった。

塾の先生と生徒という関係性より、お互いひとりの人間として大人と接する関係性が中学生ながらに心地よかったのかもしれない。



もう一度。

「私達は何のために生きているのだろうか」


今回は「私達」を「人間」として、少しだけ考えてみた。

つまり「私達、人間は何のために生きているのだろう」とする


この問いに、かなり変わった角度から、でも真正面から対峙し、実践し、ひとつ答えのようなものを私にみせてくれて、また新たな問いを投げてくれた人がいる。


Jomon(じょうもんさん)こと

雨宮国広さんだ。


見た目は、絵に描いたような縄文人。本物の縄文人を見たことはないが、イメージ通りといった感じの装い。長い髪を後ろで縛り、髭を伸ばし、全身日焼けし、動物の毛皮で作られた衣類を見に纏い、石斧を手にしている。

そして、ニコニコ笑顔がとっても印象的。


Jomonさんの著書


「僕は縄文大工」

雨宮国広(あめみや くにひろ)

2020年  平凡社新書


では、

著者の大工としての人生が本人によって振り返られ記されている。

大工、宮大工、そして縄文大工という、超特殊といわざる得ない仕事の経歴と経験を通じてしか感じ取れないのかもしれない大切な何かを私達に伝えてくれている。


全部で4章。

第1章では、縄文大工となるまでの経緯

2章では、石川県能登真脇遺跡での縄文小屋復元プロジェクト

3章は、三万年前の航海 徹底再現プロジェクト

4章は雨宮さんの実践、縄文暮らしから見えてくる物事に関して


歴史的考察というものは、遡れば遡るほど、わからなくなっていく部分があると思う。

なぜなら古いほど遺物が少なくなる。

残された僅かなものから想像するしかなくなっていくのだ。


例えばいわゆる「縄文小屋」について、雨宮さんの言葉を借りると

「全国各地に復元されている縄文小屋の形は、出土した建築材料と思われる遺物や、柱を立てるための穴の跡、それを取り囲む地面の形状などをもとに考えられている。地面から上の形状はそれらをもとに、だぶんこうだろうと想像して作られたものなのだ。」


「私はその過程に、遺跡としては残らない人間の精神世界と、建物をつくる石器道具の能力、さらにその道具を使う人間の技術力を加味して想像すべきだと思っている」


ここで、実践者としての雨宮さんの考察が生きてくる。

実際に石斧で様々なもの作りを行い、長年縄文暮らしをし、あらゆる体験から得られたものを総動員して想像をする。

実践者のみが感じ取れるものが確実に存在する。

「実践者だからこそ」をこれでもかと注入してくる。


そこから見えてくる縄文人や旧石器時代の古代人達は、決して無能で野蛮な人ではなく、自然と共に豊かに暮らす、賢く、強靭でしなやかな生き物だった。


そうした古代人達の生き方や暮らしかたを想像、実践するなかで再考される「私達、現代人の生き方」。

多くのヒントがそこにはある。


文明が発達するほどに、人間同士の争いはその規模や影響力を増している。

いわば他の生き物にも強大な負担をかけながら、同じ種族同士で殺し合う時代なのだ。
(もちろん助け合いもしているが)

それより前の時代には、そんなことはなかったという。


昨年、縄文時代の研究者の話を聞いたときに「日本の縄文時代の遺構からは、小競合いのような痕跡は見つかっているが組織立った大きな争いの痕跡は未だ見つかっていない。」と言われた。
もしかしたら、未だ見つかってないだけなのかもしれないが、同種間の争いの始まる以前の世界に想いを馳せる。

そこで見えてくる、生きるとは何なのか?というもの


Jomonさんから、ギフトをもらった気がした。


おわり

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