ライナーノーツ
はじめに断っておくと
このnoteは、すごく読みにくいものになるかも
しれない。
なぜなら、今書きたいことを
単純に書き連ねているからで
よくあるペルソナの設定や
有料級の情報が書いてあるわけでもないし、
支離滅裂に終わるかもしれない。
それでも、いいよ。
暇つぶしに読んであげる、という方に
先に感謝を伝えたい。
どうもありがとう。
このnoteを書いたきっかけは、
あるCDのライナーノーツにある。
私は、小さい頃から
父の車に乗って
音楽を聴くのが好きだった。
それも、今思えば決して子ども向けではなく
杏里、岡村孝子、辛島美登里…などの
大人びたバラードばかりが
車の中のカセットから流れていて、
カセットのA面とB面がひっくり返る音で
あぁ、30分経ったな…なんて思う
ちょっと変わった子どもだった。
そんな私が、中学生になり
あるバンドに夢中になった。
それが、フリッパーズ・ギターである。
彼らはすでに解散していたのだけれど、
ツタヤでCDを借りて、
当時は主流だったMDに入れて
何度も聞いた。
彼らの音楽には独特の世界観があって。
当時の私は
【音楽の知識】なんて持ち合わせているわけでは
なかったけれど、自身の感覚で
夢中になって聴いた。
そのままの流れで、
私は小沢健二が好きになった。
解散後、コーネリアスとして
華々しく活躍した小山田くんよりも
しばらく経ってから
少し遅れて出した小沢くんのアルバム、
【犬は吠えるがキャラバンは進む】。
それこそが、今回のnoteを
書くきっかけになったものである。
私はこのアルバムの
ライナーノーツがとても好きで、
歌詞カードが破れるほど読んだ。
もともとライナーノーツは、
曲への想いを文字にするもの。
いわば解説である。
このCDのライナーノーツは、
それだけではない。
小沢健二らしい、
曖昧で抽象的な表現を用いながらも、
真っ直ぐにはっきりと、
聴くものに語りかけてくるのだ。
私が特に、好きな言葉がこちら。
芸術について僕が思うのは、それはスーパーマーケットで買い物をするようにアレとコレを買ったからカゴの中はこうなるというものではなくて、アレもコレも買ったけど結局は向こうから走ってきた無限大がフュッと忍びこんで決定的な魔法をかけて住みついてしまったどうしましょう、というようなものではないかということだ。
この、とんでもなく
意味のわからない表現の仕方が
今でも好きでたまらない。
まさに、私がこのnoteを書いていることと
似てる気がするのだ。
いや、このnoteだけではない。
私たちの築いてきた歴史そのものを
表しているように感じて他ならない。
私が大好きだったカセットテープは
表舞台から姿を消し、
MDなんて言葉を知らない人も増えた。
音楽は、CDを買う時代から
曲をダウンロードすることへ
シフトしている。
この辺のことだって、
誰もが初めからわかってた訳ではなく
いつの間にか時代が過ぎ去って、
結果的にこうなりましたよ。なんて言葉で
さくっと片付けられてしまう。
ともすれば、芸術というものは
私たちの人生そのものを
表しているようにも思える。
人生なんて、思い通りに進んでいくはずがない。
道に迷うこともあれば、
目指していた場所を変えることだってある。
そんなときに、向こうから走ってきた無限大が
フュッと忍びこんで決定的な魔法をかけていくと
そこにはまた違った景色が広がっていて、
なんだ、こっちもいいじゃない。なんて
思えることがきっとある。
わからないものが、わからないからこそ
人生は楽しい。
生きていることを、
1つのアルバムで表すとしたら
悲しい曲もあり、
楽しい曲もあり、
という人が、大半だろう。
全部が完璧なんかでなくていい。
時代が変わっていくように、
私たちの心のあり方も
毎日変わっていくのだから。
ただ、1つだけ。
精一杯生きた証を
人生のアルバムに追加しておこう。
好きになれること、
夢中になれることを見つけて。