マヨルカ島で聞いた藤井風
友達から仕事が休めそうだから旅行しようと言われ、時間だけはある私はいいねと返した。日程だけ決まり、あとは私がいるダブリンから、彼女がいるドイツから行きやすいところでどこかないかと探していたところ、スペインのマヨルカ島に決定した。マヨルカ島は、「ヨーロッパのハワイ」と言ったらわかりやすいかもしれない。こちらの人は、太陽を求めて旅行をしている気がする。マヨルカは特にドイツ人に人気らしく、確かにドイツ語を話す声をたくさん聞いた。観光地として栄えているので空港も大きく便利だし、メニューはスペイン語、英語、ドイツ語、フランス語、カタラーナ語と用意されているところが多かった。実は私は友達から「マヨルカどう?」と聞かれるまでどこにあるのかどんなところなのかも知らなかったけれど、行ってみたら楽園だった。
マヨルカにつくと、10℃くらいのダブリンからついた私は面食らうほどの夏だった。気温が高いと、縮こまっていた体が伸びる。ダブリンで水着を買えなかったけれど、お土産やさんでたくさん安い水着が売られていて、適当に1着買った。来るまでは、「泳がなくてもいいかな・・・」と思っていたけれど、「これは泳がずにはいられん」と思わせる気候だった。友達がつくまで一人でアペロールスプリッツァ(イタリアに行って以来はまっている)を飲み、ホテルで昼寝しながら待った。
一人で旅行するときは、事前にどこに行こうか、何をしようかすごく調べるのだけど、今回はほとんど調べなかった。スペイン人の友達何人かにマヨルカ島のおすすめをいくつか聞いただけ。私としては、友達といるだけで楽しいからあとは特になんでもよかった。3泊のうち、1日は観光で別の街に行ったけれど、あとはひたすらホテルの近くのビーチで泳ぎ浜辺で寝っ転がっていた。
ヨーロッパのビーチは私はこれが初めてだったのだけど、まずトップレスのお姉さんが普通にいるのに驚いた。ヌーディストビーチではなく、ふつうのビーチでもトップレスになる人はわりとみると友達は言っていた。ちなみにタオルで隠そうとしながらもあまり隠せていない状態で水着を着替えているおじさんもいた。
マヨルカのビーチでは、何もしないということをひたすらした。砂を踏み、泳ぎ、砂浜で寝っ転がり、「この過ごし方最高だね」という話から、「どうして日本のビーチに行かなかったか」という話になった。日本でビーチに行くとなると、グループで何人かで行くことが多いし、「それまでに痩せなきゃ」とか「どの水着を着るか」とか、海を楽しむというより見られることの心配が多くて面倒になってたよねという話になった。
マヨルカのビーチは、オフシーズンだったこともありあまり人は多くなかったが、年齢もさまざまな人が思い思いの水着を着ていた。これは水着だけの話ではないけれど、年をとってもミニスカートとか派手な色柄とか自由に見える服を着ている人が多いのは良いことだと思う。私もペニーズ(アイルランドの激安ファストファッションの店)で6ユーロで買ったショートパンツをずっと履いていた。このショートパンツは気に入ったので来年の夏も履きたい(ここに書いておけば来年履くかな)。日本でも島など遠くに行ったら人の目線が気にならないような違う雰囲気のビーチがあるのだと思う。でも私が知っている神奈川のビーチはとにかく人が多くて、残念だけどチルい雰囲気ではない。
裸の話に戻ると、ドイツにはサウナがあり、男女混合で裸が基本という話を友達から聞いた。月に1回、水着着用OKの日があるそうだ。正直そこに行
ける気はしないけれど、裸に対する考え方も文化で後天的に作られるものだと感じた。小さい頃からそういう文化のところで育てば気にならないものだと思うし、自分の体を隠さなくてもいいというのは楽なのかもしれないと思う。洋服でも、露出についての感覚は日本とこちらでは全然違う(これは海外のリアリティー番組見ててもいつも思う笑)。
ひたすらだらだらおしゃべりしながら、ビーチで過ごして、藤井風の『帰ろう』を流した。この曲の特に最後のサビの歌詞は人生の真実だと思う。こういうことを思い出したくて(というか体に叩き込みたくて)、私は定期的に大きな自然や自然に限りなく近いアートに触れる必要があるのだと思う。
今回友達と旅行して、やっぱり一人旅より誰かと一緒のほうが楽しいと思った。私は一人旅も楽しめるタイプだと思っていたけれど、実はこの前に一人で行ったヴェネツィアで考え方を変えた。思った以上に英語が通じなくて少し不安になったのと(駅の看板が普通にイタリア語しかない駅があった)、イタリア語で超盛り上がる楽しそうなイタリア人ばっかりを見て、初めて一人旅で寂しいと感じた。南イタリアに行こうかと思っていたけれど、観光地のヴェネツィアでこれなら、南イタリアまで行く勇気はないと思った(実際ナポリに行った友達が、注文したものと同じものが出てこないという話も聞いた)。一体私は日本でどんな暮らしをしていたのかと思われそうだけど、ダブリンに来てから私は周りの人との関係をもっと大切にしたいと思うようになった。ダブリンの生活も、結局友達がいるから楽しいわけで、またダブリンに来たいなと思っても、この寮にいる海外からきているメンバーはもういないのが寂しい。今の自分の時間がエアポケットみたいなところに存在している気がしてなんだか不思議な気持ちになる。