達成はいつもギリギリで、おかげさまで。
学歴が高くなるほど、大学で何を学んだか、また授業で何を教わったかを覚えている人が多い。
もともとそういう人だったから高学歴になったのか、それとも偏差値の高い大学ほど授業がおもしろいからなのか。どっちでもない自分には知りようがないが、社会人を15年やってきて、あまり例外のなかった仮説だ。
逆もまた真、なのか。ぼくは大学で習ったことをほとんど覚えていない。
しかし、アホな学生だったぼくでも覚えているほど納得度が高く、また引き込まれた授業があった。「目標管理論」の初回で習った「目標と目的の違いは何か」という話だ。
先生曰く「“なぜそれをやるのか”が目的で、“どうすればそれが成功したと言えるか”が目標。特に目標の設定には注意が必要で、具体的に成否を判定できるものでないといけないし、できれば進捗を正確に把握できるものであるほうがいい」。
3年間必死に練習するも弱小校のベンチにすら入れなかった元高校球児に、この話はガツンときた。だからダメだったんだ。「うまくなりたい」は目標として不完全だった。それを証拠に、ぼくは野球がうまくなったと思えた試しがなかった。
以来、同じ轍を踏まないよう、何かをはじめるときはその目的と目標について、できるだけ言葉にするようにしている。
さて、きのうはめでたい夜だった。1年前に立てた目標が達成できたのだ。
ライターの古賀史健さんがはじめた「バトンズの学校」。ツドイとしてそのお手伝いをするのが決まったとき、ぼくがひっそりと立てていた目標はこうだった。
[1]受講生発の交流会が自然発生する
[2]この講義をきっかけにライターあるいはそれに準ずる仕事に就く人が出る
[3]古賀さんにnoteで褒められる
[1]は、自発的な受講生さんたちのおかげで早々に。[2]も複数名の方がこれに該当するようなキャリアチェンジをしたし、これからもするだろう。問題は[3]。[3]だけが読めなかった。
ちなみに「褒められること」を目標にするなんて、ずいぶんさもしいことをと思われる方もいるかもしれない。当該人物をおだてたり、その人にだけいい顔したりしてれば達成できるじゃんか、と。残念ながら古賀さんという人にそういう小細工は通用しない。また、仕事がダメだったときに社交辞令で褒めてくれるような人でもない。
「次代を担うライターの育成」という目的に確かな貢献ができたとき、自分にも他人にもきびしい古賀さんのお眼鏡にかなう仕事ができたとき、自然と[3]が起きるんじゃないか。1年前に、そうするつもりでやっていこうと決めた。
バトンズの学校は毎度土曜日に行われ、古賀さんがnoteを書くのは月曜日〜金曜日のウィークデイだ。1月のレギュラー講義終了時など、節目の講義のあとの月曜日に更新されるnoteを、少しの期待感をもって開く。まあ、載ってない。OK大丈夫。そんなもん。
補講と打上げを経た今週月曜日の投稿は、ある種ラストチャンスだった。少しの期待感を持って開く。学校全体を振り返る内容が記載されている。テンションも高い。珍しく情緒的。載ってそう。のるかそるか。のら……ない。OK大丈夫。結局[3]はダメだったけど、目標の2/3は達成してるし。「良い花は後から」わたしの好きな言葉です。
しかし昨晩、ついにその瞬間はやってきた。きわめて不意に。
最後に、学校の運営を担当してくれたツドイさん。彼らの協力がなければ、この学校は成立しなかった。一方でまた、「じゃあ具体的に、なにをやってくれたんだっけ?」と考えると、「縦横無尽の大活躍!」みたいな感じとも少し違う。どう言えばいいんだろう、いろいろやってくれたのだけれども、そこでの「いろいろ」とは、ともすれば彼らがそれをやってくれていたことさえ忘れてしまうような、非常に細々とした「いろいろ」なのだ。そして、そういう「いろいろ」をそつなく、いやな顔ひとつせず、しっかりカバーしてくれたのがツドイさんの運営だった。そのカバーリングの妙、伴走のありようはやはり、イベンターというより編集者の名がふさわしいのだろう。
感動というよりは安堵。うれしく、ホッとした。完ぺきにはほど遠い仕事ぶりで、何度もやきもきさせてしまったと思うけれど、最終的にこう書いてもらえて本当によかったです。あー、よかった。
* * *
batonsの古賀さん、田中さん、水沢さん、ダイヤモンド社の今泉さん、朝倉さん、補講のゲストで来てくださった編集者のみなさん、すばらしい時間をありがとうございました。ぼくらにとっても、財産となる仕事をさせてもらいました。
そして受講生のみなさん、ほんとにおつかれさまでした! 目標達成はみなさんのおかげです。たくさん助けてもらいました。みなさんの熱意と根性、しかと見届けました。また何度でもお会いしましょう。できればお仕事も。今後とも、よろしくお願いします。