見出し画像

ぼくのイチロー物語

我が家で、野球は特別

2006年春。大学3年生になる直前、20歳になったばかりのぼくは少し生き急いでいて、背伸びしてビジネス書なんかを読んでは、「これからはグローバルだ」なんてうそぶいていた。そして極めて短絡的に「そうだ、海外行こう」と思い至った。とはいえ小心者なのでいきなり留学はこわい。海外に行ったこともないし。

まずは身体を慣らさなきゃならない。ぼくは短期の旅行に出かけることにした。行き先はすぐに決まった。他は考えられなかった。マクドナルドのアルバイトで貯めたお金……だけでは足りなかったので、母親に頼み込んで追加資金を借りた。動機は正直に伝えた。

「英語圏に行ってみたい。あとどうしてもイチローを見たい」。

我が家において野球は特別なスポーツだ。父親は毎晩必ず巨人戦を観ていたし(そして負けると怒る)、母親は中学生の頃テレビにかじりついて阪神の掛布を応援していた(らしい)。そんなふたりの長男として生まれたぼくは当然のように少年野球をはじめ、そのまま高校3年生まで野球を続けた。我が家では「イチローを観たい」は殺し文句になり得るなのだ。

かくしてプレゼンは成功し、ぼくは機上の人となった。

ぼくにとって、イチローは特別

ぼくにとってイチローは特別な選手だ。小学生の頃に『イチロー物語』を読んだときの衝撃は忘れられない。本では、「息子の才能を見込んだお父さん(通称チチロー)は毎日3000円を課金し、イチローをバッティングセンターに通わせた」というエピソードが紹介されていた。こどもながらに「うちの親では(ぼくをプロ野球選手にするのは)ぜったいに無理だ」と思った。もちろん才能もなかったけれど、同級生よりひとあし早くあきらめがついた。いたずらにプロ野球選手の夢を追わずにすんだのはイチローのおかげだ。

マリナーズに移ったイチローは、活躍を疑問視する声を開幕から一蹴。大大大車輪の活躍を続けた。その詳細はここではもう書かないけれど、そりゃもう、痛快だった。本は片っ端から買って読んだし、イチローが表紙の『Number』は全部買った。友だちと好きなプロ野球選手の話をするときは大体「イチロー以外で」ということわりがついた。ぼくの中では、とっくに殿堂入りだった。

その時にはもう、「外国人」じゃなかった

さてシアトル。2006年、6年目のシーズンを迎えていたとはいえ、イチローは現地の人からすれば外国人である。日本のプロ野球には「助っ人外国人」という言葉があって、この「助っ人」には「一時的な」というニュアンスが含まれている。熱狂はあるかもしれないが、愛着はそこまでといったニュアンス。残念ながら。最近はあまり聴かなくなった言葉だけど、当時はスポーツニュースなんかでよく聴いた。

6年目とはいえ、イチローも基本的には「助っ人」なんだろうなと思っていた。日本でいくら「現地でも大人気です!」と報道されていても、尾ひれ背ひれがついてのことだろうと思っていたし、「外国人である」ことを加味しての「あいつ小さいのに、遠いところまで来て頑張ってるよね」という目線での「人気」なのだと思っていた。

しかしぼくは、マリナーズの本拠地セーフコフィールドに行って、その認識が完全に間違っていたことを思い知らされる。

2006年4月当時、マリナーズの「チームいちの人気選手」は完全にイチローだった。スタメン紹介でいちばん盛り上がるのもイチロー。打席に入るときもっとも大きな歓声があがるのもイチロー。レプリカユニフォームがいちばん売れるのもイチロー。いちばん人気が外国人選手という、日本ではあり得ないことが起きていた。

現地で買ったイチローのユニフォームを着て観戦していると、たくさんの現地ファンに声をかけられた。英語がからっきしなのでにへらと笑って聞き流すしかなかったのだけど、ぼくでも聞き取れる単語を必死にひろう。「グッドプレイヤー」、「アメージング」、「サンキュー」、「サンキュー」、「サンキュー」。「こんなに素晴らしい選手を生んでくれてありがとう」と言ってくれているのがわかったときは鳥肌が立った。

このときイチローは「アウェイで勝つ」という、困難究める偉業を成し遂げたスーパーな男として、ぼくのなかで二度目の殿堂入りを果たした。

ライトへ駆けてく、その姿

それから13年が経った2019年。3月20日、21日。ぼくは二日とも東京ドームに行き、背番号51を追った。確実視される三度目の殿堂入りを見届けるために。

初日は内野から。二日目はレフトのポール際から観戦した。

特に二日目、毎回ライトに向かうイチローを真横から眺められたのは格別な時間だった。大きなストライドで守備位置まで颯爽と走り抜ける姿はほんとうにかっこよかったし、回を重ねるごと、その道程をかみしめるようにスピードが落ちていったのは儚く、そして美しかった。

延長戦が終わって20分ぐらいが経ったころ、鳴り止まない歓声に応えるかたちでイチローがグラウンドにあらわれ、ドームをゆっくりと1周した。直後の会見で「今日のあの球場でのできごと……。あんなものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません。」と語った「あんなもの」を作った一人になれて、心から光栄に思う。

イチローさん、長い間おつかれさまでした。あなたの野球、大好きです。ありがとうございました。