ハイレゾ無エ ロスレス無エ
MP3──デジタルオーディオのはじまり
デジタルオーディオが、いわゆる「CD」(CD-DA、コンパクトディスク・デジタルオーディオ)という媒体から解き放たれるきっかけとなったのは、1991年にドイツのフラウンホーファー研究機構で開発されたMP3(MPEG-1 Audio Layer-3)圧縮アルゴリズムであった。
世界初のMP3プレイヤーは、1998年に登場した。韓国のデジタルキャスト社が開発し、セハン情報システムズ社が販売していたMPMan F10である。開発元であるデジタルキャスト社は、のちに米国ダイヤモンド・マルチメディア・システムズ社により買収され、後継機種として開発されていた機種は、Rio PMP300として発売された。販売にあたっては、全米レコード産業協会(RIAA)が、同協会が制定したデジタルオーディオ著作権使用料支払いシステムAudio Home Recording Actに違反するとして、販売差し止め請求を求めて提訴されるも、棄却されるという紆余曲折があった。
この後もアイリバー社やクリエイティブ社などがMP3プレイヤーを発売していったが、ここに殴り込みをかけてきたのがアップル社である。2001年にMac専用の音楽再生ソフトiTunes(アイチューンズ)を発表。その年の秋には「1000曲をポケットに(1000 Songs in Your Pocket)」というキャッチコピーとともにiPod(アイポッド)を発売した。
AAC──より高音質を求めて
アップル社は、2003年にオンライン楽曲ストアiTune Music Storeを開設。ここで採用されたのが、ドルビーラボラトリーズやフラウンホーファーなどが共同開発したAAC(Advanced Audio Codec)と呼ばれる、より高音質を実現した圧縮形式。このデータは、楽曲名などのメタデータとともにMPEG-4形式のファイルとして格納されてるわけだが、アップルは音楽業界に配慮し、楽曲データ部分に自社のデジタル著作権管理(DRM)技術を取り入れた「M4P」形式のファイルとして配信することとなった。
アップル社は、2007年に従来よりも高音質でDRMフリーとしたiTunes Plusを発表。2012年には日本国内でも全楽曲がiTune Plus仕様で配信されることとなった。ちなみに3年後の2015年には、定額制音楽配信サービスApple Musicを発表。ここで再び同社がFairPlay(フェアプレー)と呼ぶDRM技術が採用されることになる。
iTunesやiPodの時代は、(2007年にはWindows版iTunesがリリースされたものの)まだ「Mac専用」の色合いが濃かったが、後にスマートフォンの火付け役となったiPhoneの登場で、多くの人がアップルの音楽配信サービスとプレイヤーを使うようになり、CDから音楽配信サービスを中心とするデジタルオーディオのトレンドは揺るぎないものとなったといえよう。
FLAC・ALAC──“ロスレス”な音を求めて
さて、上述したiTunes StoreやApple Musicなど商用の音楽配信サービスでは、楽曲データの圧縮としてAACを用いている。しかもApple Digital Mastersと呼ばれる方式で、オリジナル音源とほとんど区別がつかない音質となっているという。
一方で、かつてMP3や初期の低ビットレートのAACでは、音質の劣化が気になる場面もあった。ソフトウェアエンジニアのジョン・コールソンは、iTunesが発表される前年の2000年に、音質の劣化がなく、高速な可逆圧縮形式であるFLAC(Free Lossless Audio Codec)をロイヤリティフリーのオープンな形式として、リファレンス実装のフリーソフトウェアとともに発表した(後にザイフォ財団に移管)。これがさまざまな機器や音楽配信サービスで採用されることになる。
アップルもまた、2004年に公開したiTunes 4.5において、Apple Lossless Audio Codec(ALAC)と呼ばれる可逆圧縮方式を発表。ALACは当初非公開の技術だったが、2011年にApache License 2.0でソースコードを公開した。
ソニーが生んだ「ハイレゾ」という言葉
これらのロスレス形式を用いれば、CDの44.1kHz/16bitを優に超える情報量を持つ音源を作ることができる(もちろん、CD音質のまま音質の劣化がないロスレスデータも作れる)。
2013年にソニーがウォークマン6シリーズを発表した際に、このCD音質を超える音源に対する総称として、「ハイレゾリューション・オーディオ音源(以下、ハイレゾ音源)」という言葉が用いられ、ロゴマークとともに発表された。これがいわゆる「ハイレゾ」の語源となっている。その後、ハイレゾロゴは、日本オーディオ協会の推奨ロゴとして採用されている。
いまでは、オンキヨーのe-onkyo musicやソニーのmoraなどで、ハイレゾ音源を購入することができる。また、先日、アップルがiTunesとApple Musicにおいてロスレス音源(ハイレゾロスレスを含む)の配信を開始した。
また、アマゾン社は、Amazon Music HDという名称でロスレスオーディオ配信をしている。HDがCD音質相当のロスレス形式、Ultra HDがハイレゾ音質のロスレス形式ということだそうだ。
なお、ハイレゾ楽曲は、40kHz以上の高周波数性能を持つ録音マイクで収録されたデータを96kHz/24bit以上のデータとして保存し、それを40kHz以上の再生性能を持つスピーカーやヘッドホン、イヤホンで再生することによって聴けるそうである。楽曲サービスによっては192kHz/24bitの配信も行われている。
ハイレゾを聴く障壁
さて、長いイントロを経て、ようやく本題に入っていく。実はこのハイレゾ、聴くのには障壁がある。その理由のひとつに、データ量の多さがある。先に述べたとおり、少なくとも96kHz/24bitという情報量で保存されている。
例えば、96kHz/24bitのステレオ(2チャンネル)データは、96k×24×2=4608kbps=4.6Mbpsというデータ容量になる。
これに対して、再生側はどうだろう。最近はワイヤレスイヤホンが流行しているが、SBC(Sub Band Codec)というBluetoothの標準データ転送方式では、たった328kbpsしか転送できない。転送容量が1桁も不足しているわけで、とてもハイレゾ音源を聴くことなどできないわけだ。
こうした状況を解消するために生まれたのが、ソニーが開発したLDACと呼ばれる圧縮コーデックだ。96kHz/24bitまでのデータを最大990kbpsに圧縮して転送する方式で、人間の耳によく聞こえる中音域は24bitで割り当てて、あまり聞こえない高音域は16bitにするなどしてデータを残しながら圧縮することで、「ハイレゾ級」の音質を実現しているという。
日本オーディオ協会は、こうしたハイレゾ級のワイヤレス転送方式に対し、「ハイレゾオーディオワイヤレス」というロゴを与えて、ワイヤレスにおけるハイレゾなのだということにしてしまった。現在はLDACとLHDCが認定されている。
データ転送容量の壁に阻まれ、有線よりも音質が悪いとしても、圧倒的に便利なワイヤレスイヤホンが人気を博する中での規格化ということで、ハイレゾとは一体なんだったのかという気もしないでもないが、ともかくワイヤレスでもハイレゾ相当の音質は聴くことができるという話になっている。
でも、現実には…「ハイレゾ無エ」
CDより高音質のデータをロスレスで提供するという試みも、再生機器などに大きく左右される。
我らがIKZOこと、吉幾三は「俺ら東京さ行ぐだ」で、「は〜 ギターも無エ ステレオ無エ 生まれてこのかた見だごとア無エ」と歌ってみせた。これを現状に置き換えると、「ステレオはあるけれど ハイレゾ無エ ロスレス無エ 空間オーディオ何者だ」といったところだろうか。
そもそも、256kbpsのAACとロスレスなデータとで違いがわかるのか。ということで、ソニーとかJVCとかレコチョクとかJVCのサイトに、AACの圧縮音源とFLACなどの非圧縮音源のサンプルデータがあったので、聞き比べてみることにした。
準備として、手元のMacBook Proを使う。Macの3.5mmイヤホンジャックにつながる内蔵のDAC(Digital Analog Converter)は、そこそこの品質のようで、標準の「Audio MIDI設定」により、最大96kHzの出力設定が可能なようだ。
で、ハイレゾなどが出るよりもずっと昔に買ったヘッドホンだが、周波数特性が10Hz~41kHzとなっているゼンハイザーHD650が手元にあったので、これでも聴けるでしょということで、比較してみた。
結果、「全然わからない」。で、しばらく考えてみて行き着いたのが、加齢性難聴。いわゆるモスキート音のテストサイトを試したのだが、1.4kHzくらいまでしか聞こえない。
結論はこうである。
「ハイレゾ無エ あるわけ無エ 俺らの耳には聞こえ無エ」〈終〉
ワイヤレスイヤホンの「籠もり」を取る
ということで、ハイレゾとかロスレスに関して追求するのはやめることにした。でも、気になっていることがまだあるので、追求してみたい。
手元にあるのは、ソニーのWF-1000XM3というワイヤレスイヤホン。DSEE HXという独自技術で、ハイレゾ相当の高音質を実現するらしく、ノイズキャンセリングの便利さもあって愛用している。でも、これはLDACに対応していないし、あくまでも信号処理により、疑似的にハイレゾに近づけるというアップコンバート技術だ。消費電力も少なくない。
でも、特に静かな環境で聴くときに、このイヤホンは少し籠もったような印象を受けるのだ。もちろん、前述のHD650との基本的な性能差が大きいのは仕方がないのだが、もう少しなんとかできないかと、改めて色々と設定をいじってみた。
試したのパラメータは3つ。まず、ノイズキャンセリング機能のオンオフを試す。
そして、DSEE HXもAutoとオフを試す。
最後に、スマホに内蔵されていたDolby Atmos。これも試せるパターンを全部試してみた。
個人的な結論として、「全機能をオフ」にするのが、最もクリアな音声になる気がした。もちろん、イコライザーの類いも全てオフにする。
考えてみれば、楽曲がマスタリングされる時点で、あるいは、再生機器がチューニングされる時点で、それぞれ最適化されているわけだから、内部で信号をアレコレいじらないほうが、無理なく再生できるということだろうか。
何曲か聴いてみよう。
1曲目。Adoの「ギラギラ」。
「あーもう本当になんて素晴らしき世界」
彼女の伸びやかで、時としてパワフルな歌声が、とても心地よい。
「なんて素晴らしき世界だ! ギラついてこう」
2曲目。Eveの「ドラマツルギー」。
「頭でわかっては嘆いた」
そう。もう僕の耳は高周波数を聞き取れない。嘆いてもしょうもないけど。
3曲目。YOASOBIの「群青」。
「どこか虚しいような そんな気持ち つまらない
でもそれでいい そんなもんさ これでいい」
彼女の透明感のある声が、よりハッキリと聞こえてきた。ハイレゾなんて無くても、これでいいと思う。
4曲目。Ayaseの「夜に駆ける(初音ミク Ver.)」
「沈むように 溶けてゆくように」
Ayaseの1st EPである「幽霊東京」に収録されていた初音ミクバージョン。機械チックな歌声が、よりスッキリした感じで良い。
5曲目。やはり、これで締めよう。吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」。
「は〜 ハイレゾ無エ ロスレス無エ
ノイキャンも ドルビーも イコライザーも 切ればエエ」
〈終〉