『くせのうた』 星野源
君の癖を知りたいが ひかれそうで悩むのだ
昨日苛立ち汗かいた その話を聴きたいな
同じような 顔をしてる
同じような 背や声がある
知りたいと思うことは
全部違うと知ることだ
暗い話を聞きたいが 笑って聞いていいのかな
思いだして眠れずに 夜を明かした日のことも
同じような 記憶がある
同じような 日々を生きている
寂しいと叫ぶには
僕はあまりにくだらない
悪いことは重なるなあ 苦しい日々は続くのだ
赤い夕日が照らすのは ビルと日々の陰だけさ
覚えきれぬ言葉より
抱えきれぬ教科書より
知りたいと思うこと
謎を解くのだ 夜明けまで
君の癖はなんですか?
「ブラックでいい?」
「ん、ありがと」
知っているくせにまた同じことを尋ねてしまった。僕が黙ってブラックを提供しようが、わざわざ確認しようが、返事に大差はないだろう。
君のことは、だいたいわかってきた。右利きで、深爪で、化粧は手早くシンプル、夜のお風呂と朝のシャワーを欠かさない、髪が乾くまでは好きな曲を座ってじっと聴く。コーヒーはブラックで、紅茶は貰い物しか飲まない。
それでも、僕が本当に知りたいのは、脱いだ靴下を裏返す習慣や嬉しいときに首に手をやる仕草なんかじゃなくて、君のくせなのだ。
そんなことを言ったら、きっと引かれてしまうだろうし、くせを知った僕は君に惹かれていくばかりだろう。
「君と、一緒にいたい」
「…嬉しい」
告白だった、あの日の言葉。君は首に手をやって感想を端的に述べた。
今の君は、両手で持ったマグカップをゆっくりと口に運んでいる。猫舌だったな。恐る恐る飲んでいる。
どうして君だったんだろうか。
同じような顔、声、スタイルの持ち主は他にもいる。
もし、君にそっくりの双子やドッペルゲンガーがいたとしても、遅くに帰宅した僕が毛布をかけていたのは君だっただろう。他の人と声や見た目が同じでも、それは僕にとっては全部違う。
理由は単純。君だから。
「私ね、お父さんの顔も名前も知らないの」
「中学校に通ったことがないの、病棟暮らしだった」
「思い出すと眠れないの、時々ね」
同情なんか求められていない。暗い話を笑顔で中和しようと思っても、上手に表情が作れない。宙に溶けてゆく君の言葉を、僕は少し離れて眺める。それだけで十分意味がある。
眠気を忘れるような過去は、僕の脳裏にもある。日々の仕事に夢中になることで、同級生への嫉妬やうざったい不条理を忙殺している。
でも、そんなトラウマや鬱憤なんて大したことない。寂しいなんて、言えたもんじゃない。君に比べれば、あまりにもくだらない。
「昇進試験に通らなかった」
「お母さん、定期検診で再検査だって」
「消費税上がるらしいよ」
「観たかった映画、終わってた笑」
どうしてこうも、悪いことは重なるのだろうか。人生はどうやら苦しいものらしい。毎日を必死に生きているけれど、いつまで続くのだろうか。「必死に生きる」という言葉はとても不思議だ。自己矛盾も甚だしい。
主人公が夕日に照らされて、頬を赤らめる。明日への希望を抱き、顔をあげる。そんな光景はおめでたいフィクションでしか見たことがない。
退勤後、夕日を浴びても僕の背筋は伸びなかった。コンクリートジャングルと人間様が築き上げた社会というものだけが、虚に煌めいていた。
ニーチェは言った、
「他人から見れば、どうしてあんな人を愛しているのだろうと思う。あんな人は格別にすぐれているわけでもないし、見ばえも良くないし、性格も別に良くないのに、と思うのだ。しかし、愛する人の眼は、まったく異なる点に焦点をあてている。愛は、他の人にはまったく見えていない、その人の美しく気高いものを見出し、見続けているのだ。」
教科書では、社会や道徳、その歴史について述べるのに膨大なページが割かれている。
こんな覚えきれない言葉や、抱えきれない常識がなんだ。
果たしてそんなものが、君に通用するだろうか。
教養や学識が、僕たちに必要だろうか。
君を知りたい。ただそれだけの想いが絡まった系を解き、心と心の穏やかな抱擁を実現する。
ゆっくり話そう。コーヒーは、また淹れればいい。今夜は、暗い天井を見ながら辛い過去を思い出さなくてもいい。
君に僕のことを知ってほしくて、僕は君のことをもっと知りたい。
君のくせは、なんだろう。