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藍坊主の「沈黙」という曲に受けた衝撃

藍坊主の「沈黙」という曲がある。

この曲を初めて聴いたのはライブハウスで、もうかれこれ15年以上前、私が高校1年生か2年生の頃だった。

初めて聴いた時、私はとある歌詞に驚き、戸惑い、藍坊主のファンでいていいものか迷った。
けれど、ファン歴は浅かったものの、すっかりファンになっていたし、なにより、
あのhozzyがこの歌詞を歌っているし、
ユウイチさん、藤森さん、拓郎さんからなる藍坊主がこの歌詞を採用しているのだから、きっとなにか意味があるのだろうと思った。
その歌詞というのが、

ジョンレノン 世界平和はきっとこないよ


衝撃だった。
なんてことを言うんだ!と思った。
まだ10代半ばの私は、世界平和について授業で学んできたし、修学旅行で広島に行った時は、平和記念公園に折り鶴を捧げた。過ちは繰り返しませぬから。そう、書いてあったし、そう信じることになんの疑いもなかった。
世界平和を祈ろうって周りの大人は言っていたし、平和はみんなが願い、この平和を祈る輪が広がっていくことで、やがて平和が訪れるんだと思っていた。

なのにここで、大人が、大勢の前で、心からの大きな声で、世界平和はこないと歌っている。
それも私の大好きなバンドが、そう歌っている。

この時の衝撃は、何年経っても忘れることはできない。

きっと、同じ年齢の頃、初めて聴いた藍坊主の曲がこの「沈黙」だったら、ファンにはなっていなかったと思う。
ただ、「うわ、過激。」
そんな感想で、それ以上藍坊主の曲を聴くことはなかったと思う。

そうして私は、この歌詞の意味が知りたくて、どういう意味なんだろうと、ずっと胸の中において、この歌詞とともに生きてきた。
そうすると、やっぱりわかってきた。
大人になるにつれて、いよいよわかってきた。
いよいよそんな気がしてきたとともに、当時は気にも留めてなかった他の歌詞の意味までわかってきた。
一生大切に私の胸において生きて行きたい歌詞たちだ。

君のためなら、僕は死ねるよ。
何千何百何十何回でも。
だけど、本当に最後の、最後の一回は、
ぼくがほんとに死ぬときだろう。

だけど"無数"の人間を愛しながら、
"ただ一人"を愛せるだろうか。


何十億の愛と、それを守る摩擦が、
至る所で、煙を上げてる。


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