Smile BIGBOSS!
はじめに
今回このnoteを書くに至った経緯からお話しさせてください。私は昨年末あたりからコミュニティ、現実、健康面であまり調子が良くなく心境の変化ややり方を変えざるおえないことが多くなりました。しかしそこからしばらくして変えてしまったところに自身の生き方や根底までもが崩れてしまったのではないかと思っています。そんな中で私はいったいどのような人間なのかこういう生き方であるからこそ私なんだということを思い出すための振り返るためのものとして書きたいと思っております。(そのため章にわけて見出しのなんだかんだは今回は大幅に省かせていただきます!ごめんなさい🙏)
yuってもともとどんなやつよ
元々難病指定の先天性疾患を持って生まれ、小さな頃から骨折や入退院を繰り返す日々でした。その関係で小さな頃から話す人は同世代の友達よりも自然と医者や看護師などの大人が多くなり、大人の喋り方を真似することが多くなりました。その頃からトークの内容と積極性"は"若干の定評があり、幼稚園、小学校ではある程度誰とでも笑顔で話せる人だったなとは覚えています。この頃から同年代の友達と話すことの楽しさを覚えていたんじゃないかなと思います。そんな中で小中ではおそらく身体的ギャップから多少のいじめもありました。親からは小さい頃からよく学校で何かあったら報告しなさいと育てられていたのですが、一度怪我等を報告した時には病院に行き入院、手術と一度の報告から大ごとになったことが強く印象に残ってあり、報告することに抵抗を感じていじめを黙っていました。もちろんいじめは続けば続くほどエスカレートしていき、だんだん抱え込むことが難しくなっていき、精神的にも追い込まれていき、好きだった笑って話すことも減っていきました。ほんとに当時は笑えないことがほんとに辛くてここをなんとかしたいその一心でいじめをフル無視で気にしないという選択をしました。今考えても変に血迷ってたらどうなってたのだろうと思い、この方法をとった自分を100肯定することはできませんが実際私は笑顔を取り戻すことはできました。そのいじめから二、三年後よく一緒に遊んでいた友人から言われた「yuが頑張ってるところを見てると勇気湧いて頑張ろうと思う」という一言が私のその後の人生を変えたような気がしています。この言葉を言った彼は小学校からの友人で中学時代にはよくカラオケに行く仲で彼と話す時間はとても楽しかったと覚えています。彼は卒業後他県の高校にサッカー推薦で頑張っていました。そんな彼から言われたこの言葉は嬉しさと共に勇気を与えられる人でありたい、そうでなきゃいけないと思うようになりました。この考えが今の自分の活動に大きく影響を与えていると考えています。現在パラスポーツとeスポーツの両面で頑張っています。しかしまだ私はどちらでも完全に上に上り詰めることはできていません。もしかしたら周りからしたらパフォーマンスだらけで実力がともなっていないように見えてくるのかもしれません。しかし彼を含め私の活動で少しでも多くの人へ勇気を届けられる生き方をするために常に笑顔で元気に頑張って行ければいいなと考えてきます。