『春と私の小さな宇宙』 その4
※ジャンル別不能の不思議な物語です。少し暗め。
※一人称と神視点が交互に切り替わります。
以上が大丈夫な方だけ閲読ください。
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ハルが研究所へ急いでいると、後ろから呼ぶ声がした。
「ハル! ハアハア、ちょっと、早いよ!」
声を掛けてきたのは幼馴染のアキだった。 ハルにとって唯一の友だちともいえる。 全力で走ってきたのか膝を抱えて息を切らしていた。
「何か用? 急いでいるのだけれど」
「ひっどーい。昼休みは一緒にご飯食べようって約束したじゃない!」
そういえばそんな約束をしていた。当然、覚えていたが、研究所に向かう方が優先だった。 適当にうなずくものではないなとハルは考えた。
「忘れていたわ。悪かったわね」
「ああ! 絶対ウソだ!ハルが忘れるわけないじゃない!」
アキはプクッっと頬を膨らませる。
「ごめんなさい。今日は講義に出て気分が悪かったの。研究所で落ちす着きたかったのよ」
こういう時、「忘れていた」と言い訳できないのが不便だった。完全記憶能力にも意外な弱点があるのだ。
「お詫びに購買のアイスクリームを奢るわ」
「ホント! ラッキー!」
アキはピョンピョン跳ねて喜んだ。純粋無垢な笑顔が太陽のように輝いていた。 彼女は表情がコロコロよく変わる。最初に会ったときは、ハルですら展開の速さに少し戸惑ったぐらいである。アキはつねに元気いっぱいで少し子供っぽいところがある。
「私たちは二十歳なのだから、はしゃぐとみっともないわ」
「へへー。もう許してあげる!」
上機嫌にアキはスキップする。予想通りの反応だった。彼女との付き合いは長い。どういうときにどう言えばいいか、取扱説明書が出来上がっている。
それにしても何が嬉しいのだろうか。カロリーの摂取は生命活動を維持するための補給 行動に過ぎないのに。 アイスクリームのどこが良かったのだろうか。 どんなにマニュアルを開いてもその答えは載っていなかった。 ただ、説明書の通りに行動するしかなかった。
ハルが唯一、理解できないのは感情である。なぜあれほど、不必要なものが存在しているのか理解できないのだ。アキはまさに感情の塊だった。さまざまな顔の仮面を持っている。能面しか持ち合わせていないハルには持て余す代物だった。
そんなものにエネルギーを使うなら思考に回すのが当たり前。かれこれ二十年間そうやって生きてきた。
アキはハルとは真逆な存在だった。人と積極的に話しに行き、大げさに身振り手振りをして意思を表現した。うれしいと笑い、悲しいと泣いた。よく動く表情筋を飽きもせず、 つねに動かしていた。
ハルはわからなかった。そんな不要の塊であるはずの彼女と何年も会話しているのに、 なぜか不愉快に感じなかったのだ。
その疑問だけは、いまだ現在進行形のままだった。 購買はA棟とC棟の間に建っているB棟の一階にある。D棟に向かう途中だったため、 二人はすぐに到着した。
「とーちゃーく! どれにしよっかなー。バニラもいいけどチョコも捨てがたい……。抹 茶は苦手なのよねー」
ハルはその様子を見てよくしゃべるな、と思った。 無駄な労力は避けるべきである。最善は一言もしゃべらないことだが、このコミュニテ ィ社会では不便極まりない。だから、必要事項だけを報告し、後は適当に話しを合わせて受け応えている。必要最低限の言葉でいい。
「おばちゃん! バニラとチョコのミックス頂戴!」
予想通りの選択だった。ハルは前もって用意していたミックスアイスクリームの代金、 二百五十円を販売員に渡した。
「ハルはアイスクリーム食べないの?」
バニラとチョコの境を舐めながら、アキは尋ねた。両方の味を味わいたいのか境ばかり舐めている。アイスは舌が通り過ぎた後も、滑らかな白と黒の境界を描いて、それぞれの味を保っていた。
「私はこれで十分よ」
ハルは白衣の左ポケットから栄養剤を取り出した。人体に必要なビタミン、タウリン、 アミノ酸などが完璧に配合されている。 瓶を傾け、入っていた栄養剤が五粒、手のひらに転がる。 それを一気に飲み込む。 ハルの食事は三秒ほどで終わった。
「か、悲しすぎる。ハル、お願いだから人が作ったものを食べて! 特に今はちゃんとした栄養を取った方がいいよ! このとおり!」
アキは勢いよく頭を下げて、両手をバチンと合わせた。 こうなったらアキはテコでも動かない。これ以上の時間のロスは致命的だった。
「・・・焼きそばパン、一つ」
続く…
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