『春と私の小さな宇宙』 その41
※ジャンル別不能の不思議な物語です。少し暗め。
※一人称と神視点が交互に切り替わります。
以上が大丈夫な方だけ閲読ください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「わかった! あたしもついていくね。ユウスケ君、ちょっと待ってて」
当然だと言わんばかりにアキはついてこようとした。
「あたしから絶対、離れないでね」
あの約束がハルの行動を著しく妨げた。
「別にトイレに行くぐらい大丈夫よ」
「ダメよ。離れないようにって言ったでしょ。ハルなら忘れてないよね」
アキは一歩も引かなかった。時間が経てば経つほど不利になるのをハルは強く感じる。 この状況に対抗できる手を高速で考えた。思考の奥底で黒い光りが降り注ぎ、解答を浮かび上がらせる。降り立つ、狂気の手。
「・・・わかった。お願いするわ」
ハルはアキとともに階段を下りる。飛び出た腹部が死角をつくり、階段が見えない。手摺を伝いながら、ゆっくり下りなければ危険だった。
そのため、アキはハルの前に出て、 手摺を持たない方の手と腹部を支えた。その途中、ハルは足を踏み外した。体勢が崩れ、 階段から落ちそうになる。
さかさずアキが食い止めようとしたが、そのはずみで足が滑り、 転げ落ちた。勢いよく転がったアキは頭を床に強く打って気を失った。
それを見たハルはすぐに階段を上り、ミチコの部屋に入った。
救急車に運ばれたアキは一命を取り留めた。脳震盪を起こしただけで、脳に異常は見られなかった。腕に軽い骨折を負った程度である。
すぐに回復し、その日のうちに退院した。
「ごめんね、ハル。面倒を見るはずだったのに、逆に迷惑かけちゃって」
腕にギプスをはめたアキは頭を勢いよく下げた。
「謝らないで。あれは足を踏み外した私が悪いから」
申し訳なさそうにするアキを見て、ハルはひとまず安堵した。あれは本当にハルの過失だった。
白衣の右ポケットに突っ込んだ手がある物に当たる。クロロホルムの入った瓶である。
家を出る前に持ってきた物だ。計画がうまくいかなかったときの保険として、白衣のポケ ットに入れていた。
あの時、立てた策は最終手段だった。トイレから出た瞬間、アキにクロロホルムを嗅がせて眠らすつもりだったのだ。
しかし、その作戦はあまりにも不自然で怪しまれる危険性が高かった。勘の鋭いアキなら目覚めた後、自分を疑うに決まっている。
それに、なによりその行為はアキに対しての裏切りに感じた。様々な考えがハルの脳内で渦巻き、歩調を狂わせた。あの事故は意図的なものではなく、ハルにとっても予想外の出来事だったのだ。
「もう次で家庭教師は止めるわ。産休で休むと、助教授にも話した。」
「そうなの? なんか悪いことしちゃったかな」
「・・・ごめんなさい」
「いいって、ハル。あたしは大丈夫だから。ね?」
アキは満面の笑顔を作ってみせた。心配しなくていいと言っているようだった。
違う、そうではない。
ハルは後ろめたい考えでいっぱいだった。この謝罪はけがを負わせてしまったことに対してではない。
アキが階段から落ちた時、すぐに助けを呼ばず、自らの都合を優先したことに対してだった。 もしも重症で、助けが間に合わなかったら……。
ハルは身震いした。アキを失えば、自分がどうなるのか計り知れなかった。昔のアキのように喪失感の鎖に縛られるのだろうか。
予測不能の未来に身の毛もよだつ思いだった。
ハルは、気付きかけていた。精神の奥底から湧き出す何かの存在を。
いままで自分自身 が最も拒絶していたものを。
効率的に、合理的に生きる。自分はバグの無い完璧な生き物。他の不完全な生き物とはわけが違う。
矛盾した二つの思考が決して切り離せないことを、ハルは悟りつつあった。
続く…
前の小説↓
第1話↓
書いた人↓