『春と私の小さな宇宙』 その17
※ジャンル別不能の不思議な物語です。少し暗め。
※一人称と神視点が交互に切り替わります。
以上が大丈夫な方だけ閲読ください。
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2
その日は珍しく気温が高く、肌を撫でる風が暖かく吹いていた。まだ弱い冬の日光が町に降り注ぎ、冷えたコンクリートの道路を健気に温めている。外に出歩く者は多く、様々な人が行き交っていた。
日曜日。
ハルとアキはバス停の前に立って、次のバスを待っていた。アキの思いつきで安産祈願をしに神社へ行くためである。
そこからバスで二十分ほど走ったところにある神社だった。 ハルは時刻表を確認する、までもなく、あと三分でバスが来ることを悟る。バスの時刻表も当然、完璧に記憶しているのだ。
バス停はハルたちが住んでいる家からすぐ近くにある。ハルはいつもそのバスを大学への通学に利用していた。自宅からT大まで一キロ以上離れているからだ。
アキは朝早く家を出るので、ハルは基本的に一人で乗っている。アキは普段、バスを使っての通学はしていなかった。彼女は陸上部に所属しており、トレーニングも兼ねて走って通うのが習慣だった。
彼女は朝練を終えると、必ず校門の前に立つ。ハルを出迎えるためだ。特にハルが妊娠してからは毎朝欠かさず待ち合わせをしている。
ハルからすれば、ついさっき家で顔を合わせたばかりでそこまで心配しなくても良いのだが、やはり世話を焼きたいようだった。それが彼女の性分だと割り切り、あきらめた。
柔らかな風がハルの黒く長い髪をなびかせる。真っ白な白衣がそれを一層、引き立てる。
「ハル~、休みの日ぐらい白衣はやめようよ~。恥ずかしいよう。あたし、オシャレな服、 いっぱい持ってるから今からでも貸すよ?」
「必要ないわ。何度も言うけど、服に興味ないから。それにもうすぐ来るわよ」
ハルが指を差す先に大きな車が見えた。町を巡回する市営バスである。目的地はこの町の近くにあるため、交通機関の中では市営のバスで移動するのが、一番都合が良かった。
バス停に市営バスが止まる。数人の乗客が降り、数人の乗客が乗る。定期を提示し、ハルたちも搭乗する。
安全週間の文字とシートベルトの着用を促す表示が目に入る。車内は混んでおり、座る場所が無かった。
「混んでるねー。そうだ! 席を譲ってもらおう!」
余計なことを。
ハルは非常に迷惑だと思った。そのような行動は面倒な騒ぎになりかねない。そう考え、アキを止めようとしたが、遅かった。
「別にいいじゃない! こっちは妊娠してる人がいるの! 大体そこ、優先席なのよ!」
優先席に座っていたのは大柄な男だった。肥えた顎に、濃い髭を蓄えている。
「それがどうした! 席は早い者勝ちだろ。女は黙ってろ!」
アキを怒鳴った男の声は迫力があり、車内全体に轟いた。乗客たちに緊張が走る。
「何よ! 女だからなんだっていうのよ! そもそも早い者勝ちって何? 子供みたいな こと言ってんじゃないわよ! 図体だけでかくて、器は小さいのね」
「なんだと! 女のくせに!」
男は怒鳴り散らした。今にも図太い腕を振り上げそうだった。アキは一瞬、ひるみながらも一歩も引かずに男を睨み返した。
突如、ハルたちの背後から泣き声が響き渡った。男とは向い側の席。優先席に座っていた女に抱えられていた赤子が発生源だった。怒号飛び交う乗客の声が赤子を不安にさせたようだった。
「すいません・・・。すいません・・・」
母親は申し訳なさそうに何度も謝っていた。泣きそうになりながらも懸命に泣き止もうとしない赤子をあやしている。
「ちっ、お前が喧嘩を売るからだぞ」
「な、なによ。あたしのせいにしないでよ」
泣かしてしまった責任を負いたくないのか男は静かになった。周りの乗客からの白々しい目線に耐えらず、顔を背けているようでもあった。
アキも我に返り、うろたえていた。自分のせいで赤子を泣かしてしまったばかりか、母親や他の乗客に迷惑をかけていたことを自覚したのだ。
赤子の泣き声がハルの耳に強く響く。高音の空気の震えが耳障りでどうしようなく不快だった。
大きく鋭く揺れる音の波形が、激しく鼓膜を劈いた。 ハルの精神の隙間から邪悪な殺意が溢れだした。
白衣の右ポケットの中に入っているものを強く握りしめる。
この赤子を早急に処分したくなった――
続く…
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