『春と私の小さな宇宙』 その13
※ジャンル別不能の不思議な物語です。少し暗め。
※一人称と神視点が交互に切り替わります。
以上が大丈夫な方だけ閲読ください。
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「ねえねえ、きょうはなにするの?」
「今日は敬語を覚えてもらうわ」
「ケイゴ?」
「目上の人間、つまり大人に使う言葉よ」
ユウスケの学習能力は悪くなかった。さすがにT大の助教授、宮野の血を引いているだけのことはあった。
今まで無知でわがままだったのは、育児と教育を任されていたミチコに原因があった。 我が子の育児までは世間体を気にして行うが、その先の教育までは範疇外であるからだ。
現在、彼女の頭は訪問者のことでいっぱいなのだ。 近いうちに、夫と子供を捨ててこ の家を出ていくに違いない。
ハルはそう結論付けた。 家庭教師として来たハルのことも、面倒な子供の遊び相手ぐらいにしか思っていないだろう。 ユウスケが大人になるまで育てる気など、微塵にも無いのだ。
「オトナをみかえすのに、なんでそんなコトバをつかうの?」
どうやら彼は大人にだけ専用の言葉を使われているのが癪らしい。大人と対等の立場に なりたいようだった。
「別に本気で思って言う必要は無いわ。表面上、つまり恰好だけでいいの。そうすれば無駄に相手を不機嫌にさせて、厄介なことにならない」
「じゃあ、ケイゴをつかえばおこられないんだね?」
「そうよ。それどころか頭のいいきちんとした人だと思われるわ。簡単に大人を騙せるでしょう?」
「すごい! ケイゴ、おぼえる!」
「では、始めましょう。敬語は尊敬語、謙譲語、丁寧語の三種類があって・・・」
ハルの魔力を帯びた言葉がユウスケの身体を突き動かす。着実に勉強は進みつつあり、 初回とは見違えるほど作業効率も上がっていた。
彼の、両親に対する復讐心が学習へのエネルギーを燃やす原動力になった。集中力が途切れると、ドス黒く燃え盛る精神の釜に「憎悪」という名の薪をくべてやる。
すると激情する精神とは対照的に、その瞳は静かに落ち着きを取り戻し、彼の手は機能的に動き続けた。
受験まで稼働してくれるならそれで良い。タイムリミットまで彼の精神さえ保ってくれれば、依頼の報酬を受け取れる。
単なる時間稼ぎに過ぎなかった。彼の復讐を手伝う気など毛頭ないのである。 将来、彼がどうなっても良いのはハルもまた同じなのだから。
「・・・この辺りで終わりましょう。面接ならとりあえず丁寧語を覚えておけば何とかなる。 最後に『です』と『ます』をつけるだけだから」
「うん。でも、しっかりケイゴをおぼえられるようになる」
「いい心がけだわ。その調子でお願い」 「がんばる! でも・・・」
ユウスケは情熱を持って答える。しかしどこか、何か言いづらそうにしていた。何度か迷った後、決心してハルに聞いた。
「ねえ、ハルおねえちゃんはなんでいつも、わらわないの?」
「急ね。まあ、いいわ」
ハルは突然の質問にも顔を崩さず、ユウスケの疑問に答えた。
「私はあなたたちと違って『バグ』が無いからよ」
「ばぐ?」
「そう、欠陥、誤り、不具合。わかりやすく言えば駄目な所のこと」
「ハルおねえちゃんはダメなところがないってこと? なんでダメじゃないとわらわないの?」
純粋な五歳児は首をかしげる。
「感情がある人間は駄目なの。笑ったり、泣いたり、そんなものは無駄に労力を使うだけよ。そんな事に時間とエネルギーを使うなら知識や技術を高める事に使いなさい」
「そうか、わらうほうがおかしかったんだね。ぼくもそうする」
納得したユウスケは顔の筋肉運動を止めた。ハルと同じ能面がそこに現れた。
「それでいいわ・・・」
その言葉とは裏腹に、ハルの胸がチクリと痛む。痛みの根源はわからなかったが、特に気にせず放っておいた。たいしたことだと思わなかった。
「そろそろ時間だから帰るわね。次は計算の復習をするから」
ユウスケに連絡事項を告げ、ハルは子供部屋を出た。 ハルはまだ気付いていない。 幾度も感じている違和感の、疑問の正体を。
それが常に拒絶し続けたものだということ を。 彼女はまだ気付いていない……。
階段を下りると、ミチコの落胆した声が台所から聞こえた。 どうやら肉じゃがは失敗したようだった。
5
○ 小さな宇宙
調査は順調に進んだ。耳をすまして聞くことで外の知識を私は知ることが出来た。大量の情報が頭になだれ込んでくる。
ひとつひとつの情報が外の様子を教えてくれる。 主に知識の発生源はユウスケだった。
どうやらユウスケはあまり頭が良くないらしく、 ハルに様々な情報を教えてもらっていた。 それは私にとって、とても都合が良かった。外の状況や言葉を知れるからだ。
いつかハルと話す時のために、私は必死に言葉を覚えた。目が開かないので見ることはできないが、音を頼りに文字を想像した。
言葉は見えるものと聞こえるもの、二つあるようだ。見える方の言葉を『文字』というらしい。 ニンゲンは文字を作る時、エンピツと言われる道具を使う。そのエンピツを紙というものに当てて滑らせることで文字を作り出すのだそうだ。
その作業を『書く』という。 書くと言葉が可視化され、文字が覚えられるようだ。実際にハルはユウスケに文字を書かせていた。
最初は書くペースが遅かったが、何度も書くうちに早くなっていく音が聞こえた。
文字には『ひらがな』、『カタカナ』、『漢字』があるとハルが言っていた。
同じ言葉でも 文字が違うらしいのだ。私は混乱してしまった。ただでさえ真っ暗で文字が見られないの に、理不尽極まりない話だった。
文字と文字は隣会わせにすると意味を持つようになる。それを『単語』という。さらに、 多くの単語などを連ねてできるのが『文章』らしいのだ。
一つの文字に複数の読み方があるそうだが、文字を見られない私が知る術は無かった。
続く…
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