『春と私の小さな宇宙』 その12
※ジャンル別不能の不思議な物語です。少し暗め。
※一人称と神視点が交互に切り替わります。
以上が大丈夫な方だけ閲読ください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
高性能の頭脳がその情景を鮮明に映し出している。
なぜか、 胸が熱くなる。構築していた構想が崩壊した。何かが思考を妨げ、物事を冷静に考えられ なくしていた。
ハルはその計画を消去した。理由はなかった。ただ、薬物に頼らない方が良い気がした。
もしかしたら、あの浮かび上がった記憶は、計画のどこかに間違いがあったのだと、忠告しに現れたのかもしれない。
ハルは自分にそう言い聞かせた。 胸の熱はすでに冷めていた。 自力で問題を解決することにする。
先ほどより、優しく丁寧に彼に寄り添う。 ユウスケの耳元に唇を近づけ、囁いた。
「来ないわよ。あなたのこと必要としていないのだもの」
「う、うそだ!」
「本当よ。あなたの母親があなたのこといらないって言っているのを聞いたの。あなたみたいな出来損ないは育てる価値が無いと思っているそうよ。」
「そんな・・・」
「確かに聞いたわ。あなたの父親とそう話していたの」
ウソである。そんな話を聞いたどころかあの夫婦が会話しているところすら見たことがない。
「父親も同じよ。あなたを道具だと思っている。わかる? 使えない道具はどうなるか」
「うっ、うっ・・・」
ユウスケはうつむいたまま泣き崩れていた。ほとんど嗚咽に近かった。 それを見たハルはとどめの一言を言い放つ。
「あなたは両親に愛されていなかった」
これは本当であった。 まだ、三日しか宮野家に訪問していないが、大体の家庭状況は把握できた。
家庭教師を依頼してきた宮野ノブユキはどこか必死だった。心拍も激しく波打っている音が、はっきりハルの敏感な耳から聞き取れた。
プライドの高い彼は自分の子供が落ちこぼれだと認めたくないのだろう。自身の血を引く者が人より劣っているなど耐えられない。
もしも、受験に落ちるような失態があれば、T大の助教授という立場である自分が世間にどんな目で見られるか……。
だから、宮野は優秀な人間にユウスケを教育させたがっていたのだ。
一方のミチコは、自分の子供に興味が無いようだった。正確には宮野ノブユキの子供に、である。 初めて会った時も彼女の口から夫のことは全く語られなかった。
恐らく彼女は宮野に好意を抱いていないのだ、とハルは察知した。 それはユウスケに対してもであった。育児や幼稚園の送り迎えなどは欠かさず行っているようだが、それだけだった。
ほとんどの場合、彼女の方からユウスケに話しかける事はなかった。必要最低限の会話で済まそうとする意思が窺えた。
つまり、恋愛からの結婚ではなく別の目的、例えば金銭などの企みで結婚したのだ。俗にいう玉の輿である。
さらにもう一つ、この家に入ってから気になる事があった。ほんの僅かだが、暮らしている三人以外のにおいがこの家に染みついていたのだ。
勿論、親せきや近所の住人かもし れない。しかし、その人物は頻繁に宮野家を出入りしているようだった。特にミチコの部屋から訪問者の体臭を強く感じた。男のものである。
彼女は不倫をしている可能性が高い。宮野から乗り換えたに違いなかった。
ハルは、危惧した。なぜならその人物を知っていたからだ。ハルはにおいも完璧に記憶できる。家に残っていたにおいが記憶のデーターベース内で、ある人物のにおいと一致したのだ。
信じがたい事実だった。だが、それならば全てが納得できる。面倒なことになりそうな予感がした。
この家はハリボテだった。一見、幸せそうな家庭である。だが実際は、父親も母親も、 我が子とは世間に真っ当な家庭に見せかけるための道具でしかなかったのだ。
完全に自分たちの都合であった。いてもいなくてもどちらでも良かった。つまり二人に とって、ユウスケはどうでもいい存在だったのだ。
ユウスケの部屋を見る。絵本や地球儀、カードなどが散乱していた。 その真っ白な部屋にあふれていた一人遊び用のおもちゃやぬいぐるみが、親と子供の距離を顕著にあらわしている。
ユウスケはうつむいたままだった。大量に零れ落ちた涙がカーペットを黒く染める。
ずっと下を向いていて表情を確認出来なかったが、ハルは彼の目が真っ黒に渦を巻いているのを確信した。
「大丈夫。私がついているわ」
静かに、ゆっくりとハルは彼の耳に語りかける。
「両親を見返しましょう。わからないことは全部、私が教えてあげる」
「ほんと?」
一筋の言葉が手を差し伸べる。天からのお告げのように、彼の心に深く染み込んだ。
「ええ、本当。優秀になって、逆にあなたの方から親を見放すのよ」
「わかった。おねえちゃんのいうとおりにする!」
「いい子ね・・・」
泣き止んだ幼稚園児の頭をそっと、撫でる。まだ小さな頭蓋骨が脳の発達に合わせ、これから成長していくだろう。
「いい? このことは私たちだけの秘密よ。守れる?」
「秘密?」
「そう、秘密。親には内緒にして驚かせましょう」
淡いピンク色の唇にハルは人差し指を立てる。
「うん! まもる! ぼくたちだけのヒミツ!」
ユウスケは飛び跳ねて笑顔をつくった。彼の黒い目は希望の光を宿したかのように輝いていた。
予想通りの展開であった。 中学生の頃、暇つぶしにハルはいくつか心理学の研究論文を閲覧したことがあった。
そのため、幼少期の子供が自立心や探究心を成長させるために、誰かと秘密を共有したがることを知っていた。
幼い頭の中には隠し事をおさめておける余白が無いのだろう。だから、自分の安心できる空間や仲間が必要なのだ。
「まずは、言葉を覚えられるようになりましょう。全てのひらがなを書けれるようになりなさい」
――それから、歪んだ受験勉強が始まった。
続く…
前の小説↓
第1話↓
書いた人↓