魚には水が見えない
魚には水が見えない
twitterで最近よく見るのが、こうゆうやつ
大学生起業家
たくさん苦しんでたくさん失敗して、でも自分が急成長できてて、こんな機会は皆に平等に与えられているのに、なんで勇気を出せないで躊躇しているの?難しく考えないで、飛び込んでみよう!
みたいなやつ
多分その人は資本主義ゲームが性にあっている人なのだろう
たまたまこの時代に生まれてきて幸運だったと思う
そして、水のない世界がわからないため、地上の人間の気持ちがわからない
そして、地上の人間も、水中の人間を見て自分に嫌気がさしてくる
地上の人間にとって、水中で暮らすことは苦痛だ
水中の人間が評価されるし、マインド的に水中に適しているのだ
これはひがみでも何でもない
根本から見ていこう
この世にはある分断がある
成功したい人と、そこまでそう思わない人だ
そう思わない人は、成功したい人には理解できないマインドを持っている
地方で散髪屋を営んでいるある人は毎日常連さんと楽しくおしゃべりをして過ごしている。
港町で漁師をしている人は、ただ燃油と漁獲量の差を考えながら生活をしている
成功したい人は、そこまでそう思わない人には理解できないマインドを持っている
多くの人に知られたり、わかりやすい成功を求める
できるだけお金を蓄えたい、もしくはお金をできるだけ循環させたいと思っている
一方で、その2グループに分類できない人種がいる
成功したいと思っていなくてただ生活していたら、成功してしまって、成功したい人に見えるパターン
と
そこまで成功したいと思っていないのだけれど、資本主義で生きていくために成功を目指すパターン
しかし、ここまで述べてきた”成功”とは近代においての狭義の成功だ
対して、”広義の成功”とは、人それぞれ違うはず
みんな同じことを成し遂げたいと思ってしまうのは、社会システムが一つの成功に収れんさせているからだ
社会システムは統一的だと、はぐれものを不幸にする
近代資本主義は、夢や希望ややりたいことを無理やり意識させる
本来いきものは生きていること自体が目標であるはずだ
その中で、おもしろそうなことがあったのなら自然にそこに向かう
目標物は人間の内在的に発生するものだし、ゆえに、人それぞれ違う
近代資本主義とは、それを絶対と固定化し、その環境での成功を目指す人を不自然に増やしてしまう
その意味で罪深いのだ
一方で歴史的に見るとかなり豊かにはなった
前近代の人が現代を見ると、飢餓が少ないというだけで、羨むだろう
私たちは確かに豊かだ
あまり死なないからだ
しかし、そんな近代資本主義に欠陥が見えてしまったのならそれは変らなければいけない
いまや殺される人より、自分の手で自分を殺す人の方が多い
人は外部環境をコントロールした次は、内部環境に手を付け始めなければならない
それは仕組みの変革も伴う
それぞれがそれぞれの価値観で、自然的に生きられるような多様性を獲得すべきだろう
経済の仕組みが多様で、偏在している状態
われわれはどこからきたのかはわからない
われわれがなにものなのかはわかわない
われわれがどこにむかっているのかはわからない
しかし、
どこにむかうべきなのかはわかってる
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