「君たちはどう生きるか」を観て感じたこと(ネタバレあり)
いつも、私の拙いnoteを読んでくださり、誠にありがとうございます。
先日、宮﨑駿監督の最新作、「君たちはどう生きるか」を観てきました。
今後、沢山の方が考察や感想を書かれることと思います。
それらを読む前に自分はどう思ったのか、純度100%の自分の感想を残しておきたいと思い、今回の記事を書きました。
作品の内容を大幅にネタバレしているので、ネタバレが嫌な方はご注意ください。
◾️観終わってすぐの感想◾️
観ている最中から感じていたことですが、もうこの映画が私は大好きです!!
そして、宮崎監督の世界観にはまだこういう切り口があったのかと、とても驚かされました。
宮崎監督は、映画を作られる時「ワンパターンの展開」というものがありません。
どのお話も、物語がどのように進むのか全く想像がつかず、最後までドキドキしながら観る事が出来ます。
今回の作品については、私はまるで「人生で数度しか見る事が出来ない滅茶苦茶面白い夢」を思い出した気持ちになりました。
皆様も経験があるのではないでしょうか?
秩序も内容も展開もてんでバラバラに進むけど、何故か夢を観ている自分はその世界の理論とか全てを納得していて、把握していて、まるで世界の全てを悟ったような気になる夢を見たことが。
そして目が覚めた時に、やけに頭がクリアになって、世界の見え方が変わったような気がしたことが。
しかも、その夢の感動を誰かに伝えたくても、展開がバラバラな夢の内容を伝える事が難しく、うまく伝えることも出来ないため次第に何に感動したかを忘れ、「なんか凄い夢を見た」という印象しか残らない事が。
今回の映画を通して、私はその夢たちのことを思い出しました。
自分の夢の内容は思い出せないけれど、その夢を見た時の、目覚めた瞬間視界がクリアになったような気持ちを呼び起こされました。
映画の展開は、主人公の真人くんが塔に入る前と後と、大きく変わります。
前半の内容は、多分多くの人が面白さを伝えることができますが、後半の内容の面白さは、まるで夢の内容を伝えるのが難しいように殆どの人がうまく説明できないのではないかと思います。
これはもう、「実際に見て、感じてもらうしか面白さを伝えるのが無理なのでは」と感じました。
そしてもう一つ思ったというか、宮﨑監督作品に全て共通するなとやっと気がついたことが、「この景色、この音、この空気、どこかで自分も感じたことがあるな」というデジャヴを何度も感じるという事です。
何かの作品に似ているということではなく、自分の実生活で、自分も体験した事があるなという事です。
だから、不思議とアニメーションの画面を通して、その時の空気の温度や湿気、道を歩いた時の砂利の音とか、知らぬ道を初めて進む時のドキドキ感とか、まるでその場にいるかのように感じる事ができます。
子供の頃、何故だか異様に惹かれる場所がありました。
例えば普段滅多に行かない校舎の裏、空気が神聖な境内、どこに続いているのか分からない細道‥
そこにいる自分は何か特別な、特に五感の力が働いているような、不思議な感覚がありました。
ただ大人になるにつれ、どれも忘れるし、新しく見つけようという気力もなくなります。
もしかしたらですが、宮﨑監督もそういった経験を沢山されて、尚且つそれをずっと忘れないでいる方なのではないかな?と思いました。
宮﨑監督の作品の空気に色も温度も、匂いすら感じるのは、監督が経験した事だからではないかなと思いました。
忙しい毎日の中で、それを忘れずにいるのは本当に難しい事です。
82歳という年齢でもそれを忘れずに、作品として表現できることに、また宮﨑監督の凄さを感じました。
◾️気になったところ、その他気がついたところ◾️
①鳥はどれも醜く、なつこ母さんはずっと美しい、お父さんは大きい
この作品には、鳥が沢山出てきます。(数的な意味で)
青鷺と、沢山のペリカン、そしてインコです。そして、真人くんは何か鳥に恨みがあるんじゃないかという位、鳥が可愛く描かれません。むしろグロい。
鳥をこういう表現で描くのは、初めて見たかもしれません。
逆に、最初から最後までずっと美しいものがあります。
なつこ義母さんと、亡くなった自分のお母さんです。
それに気がついた時、「あ、この映像世界は直人くんの眼に映っている世界なんだな」と気がつきました。
冒頭の、お母さんの入院している病院が火事になって慌てて駆けつける直人くんのシーンの映像表現、世界が歪んで揺らぐ感じなんて、まさにそれですね。
真人くんは、なつこ母さんを「父さんが好きになった人」という感じで、受け入れ難いのかな?と思いましたが、そう言う訳でもないのかな。
青鷺は、最初は滅茶苦茶気持ち悪い感じでしたが、最後の方では親近感あるコミカルなキャラクター、見た目になっていましたね。
お父さんは、顔のアップや勢いのある描写が沢山ありました。真人くんの、お父さんに対するイメージというか、影響力の強さの表れなのでしょうか。
この辺りについては、是非他の方の考察を楽しみにしている部分です
②真人くんは、「平凡な少年」ではない
ある日突然、子供が異世界に無理やりつれて行かれ、そこから帰ってくる話としては、「千と千尋の神隠し」と同じ展開です。
しかし、千尋と真人くんでは全然違うところがあります。
それは、真人くんは目的を達成するための権力と、知恵と度胸を存分に持っているという点です。
例えば、「となりのトトロ」のカンタ君が今回の主人公だったら、男の子バージョンの「千と千尋」の神隠しになっていたでしょう。
しかし、宮﨑監督は今回珍しく冒頭シーンに滅茶苦茶時間をかけて、真人が青鷺を退治するための周到な準備を描いています。その仕事ぶり、用意周到ぶりは、普通の小学生ではあり得ません。
また自分の頭を殴るときも、自分を傷つける時は多少なりとも力をセーブをするものですが、血みどろになって寝込むくらい自分に容赦しませんでした。
宮﨑監督の作品は、起承転結の起に時間をあまりかけないイメージがありました。(その為、物語がさくさく進んで面白い)
ただ、今回の作品ではじっくりと時間をかけて真人君の非凡ぶりを描いている。
なぜ、そもそも真人君は自分の頭に傷をつけたのでしょうか?
母を亡くした辛さ、叔母が母親になるという葛藤、新しい兄弟ができるというストレス、学校でのいじめ、様々な要因で自傷行為に走った部分もあるかもしれません。
新しいお母さんとお腹の子に目が行きがちな、お父さんに心配して欲しかったのかもしれません。
しかし、それよりは「自分が傷つけば学校にいかなくていいし、多分お父さんが学校やいじめをしてきた子達に対して復讐してくれる」という、打算が大きくあったのではないかと思います。
真人君は、傷については「自分で転んだ」と言い続けています。
しかし、ボロボロの服装で自分で転んだと思う大人はいないでしょう。
また、誰かを悪者にするのでもないので、真人君にも罪悪感はないでしょう。
ただ、真実を言わないだけです。真実を言わないだけで、周りが勝手に動いて対処してくれる。
小学生ながら、真人君は自分に力があることを理解しているんだな、と感じました。
真人君は非凡な存在なので、石を積み上げるか否かを決定する権利がありました。
そして、彼は平和で安定した世界を作ることを拒否し、元の世界に帰っていきました。
多くの平凡な市民がこの状況を知れば、平和で穏やかな世界を願い、石を積んでくれるよう真人に願ったでしょう。
いつだって、力があるものだけがこの世界の行先を決める事ができるのです。
③あの塔は、そして石を積むとはなんだったのか?
あの塔が実際なんの目的で作られたのか、はっきりしたことは分かりません。
本当に宇宙から来たものだとして、何が目的なのか?
あの塔が出て来たときに、「2001年宇宙の旅」のモノリスを思い出しましたが、あの塔が飛来したのはほんの数十年前のことです。
地球を侵略するためでも、何かを進化させるためではないでしょう。
では、あの石の目的は?
そして、大叔父さんが平和な世界を気づくために石を積み続けていますが、真人君の住む世界は戦争真っ盛りでした。
「まだ一日、平和でいられる」と大叔父さんは言っていましたが、すでに平和ではなくなっているのです。
また、真人くんは石積みを継承することを拒否しましたが、2年後も世界は存続し続けています。
では、石積みとは一体何か?
私が知識がないだけで、何かの暗喩なのかも知れないです。
うーん、つくづく知識不足が悔しいです!
取り留めなくバーっと書きましたが、一回目にみた感想は以上です。
とにかく、映画をみた二時間は特別な時間でした。
2回、3回と見る事で、また新しい発見があるかも知れません。
その時はまた、バーっと思ったことを書きたいと思います!