25歳、女、実家暮らし、無職。
↑読んでくださった方、ありがとうございます。
ずーーーっとおとなしい性格だったのに、
高校生にして、やっと(?)自我大爆発。
そんなわたしもこのままでは良くないと学び、
少し丸くなった短大生。
小学生のころから保育士さんになりたいって言ってたから、
(これね、ここ、この言葉なのよ、うん。)
保育の道へ進みました。
でもこの進路を決めた自分も、今思えばいろいろ感じることがあるよ。
またどこかで書けたらいいなと思うけれど。
短大時代は、授業と実習に追われていたら
あっという間に卒業になっちゃった気がする。
でもここで、一生のお友達ができました!
ところかまわず友達の友達を呼び合って遊ぶっていうのが流行って(笑)
すっごい友人関係が広がったなぁ。
わたし人と繋がったり会ったりすること、好きなんだ!
ってこのとき気づかせてもらった気がする。
34歳の今でも繋がってるし遊ぶもんね、ありがとうね。
そんなこんなで無事?
20歳で幼稚園の先生になりました。
5年勤めた中で
年中・年中・年少・年長・年中
の順だったかな?
担任を持たせてもらいました。
今親になって思うけど、
あんなちんちくりんを信用して預けてくれて
保護者の皆様には感謝しかありません。😢
お酒弱いのに、
毎週金曜日と土曜日は必ず飲みに行ってたなあ。
おかげでお金全然たまらなかった(笑)
今でもお酒は弱いけど、飲み会の場は好きなタイプ。
そして弱いからこそなんだけど、
人と飲むペースが一切合わなくて
みんなが満足して帰るよーってころにスイッチ入っちゃうから
よく朝まで付き合わせてた、お友達たちありがとう。(笑)
ちょっと話それたけど、
幼稚園は5年間勤めて、辞めました。
理由があって辞めたんじゃなくて、
「あ、やめよう」
って思ってやめたから、無職になりにいったよね自分で。
たしか保護者の前で結婚するから辞めます
みたいなことを言った気がする(笑)
結婚したかったピークの歳だったと思うけども(笑)
嘘ついてごめんなさい。
でもあのときのわたしで結婚というものをしなくて
心から良かったと思っています。
で、
25歳、女、実家暮らし、無職。
という肩書になりました。
そのあとはヨガの道に進むんだけど、
また長くなりそうだから続きへ!
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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