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新卒で入ったポスプロを1年で辞めてワーホリに行く話 Part2 彼女と就活編

みなさんこんにちは
ゆうのすけです!
前回の大学卒業とフリーター突入編はいかがでしたでしょうか?

振り返ってみると自分でも驚きのクズっぷりにちょっと凹みました。凹むことじゃないし反省するべきなのはごもっともです。

今回は多額の借金を許してくれた偉大な彼女と、後にポスプロに入社することになる就職活動について書いて行きます。(またたくさん反省すべき点が出てきます)


偉大な彼女

出会いは高校入りたての4月に同じ部活で顔見知りになり、ちょっとしたお出かけをしたり何回かデートを重ね、その翌年(高校一年生)の三月からお付き合いをはじめました。

高校卒業後はお互いバラバラの大学に進学、彼女は地元の大学、僕は東京の大学で4年間の遠距離恋愛をすることに。
いくらクズといっても浮気も風俗も一度もしていません。

何といっても2020年のコ○ナ渦をなんとか乗り切り二人は”無事”大学を卒業(卒業の経緯は前回の記事をご覧ください!)し、同棲を始めます

『同棲を始める』響きはとっても素敵でしょう!
しかし、その実態は彼女からしたら実にひどいもので、まず引っ越しの資金が僕の手元にはわずかばかり。

その額およそ十万円、あっ、もう少しあったかもしれない。同棲をすることは大学4年が始まったころにはとうに決まっていたことなのに、たったの十数万円しか用意できていなかった。(正確には50万くらいするカメラを前年の9月くらいに買ったため金欠)

そこで当座の足りない資金は彼女に借金する形で最終的に約50万円を借金、今考えても50万なんて大金を無職のプー太郎に貸すなんて正気の沙汰じゃないだろ。

詳しいことは僕は全く覚えておらず、どうやら僕が支払ったのは敷金と礼金のみらしい、家具など実生活に必要になってくるお金は用意できていなかったと彼女が証言しています。

彼女は超のつくしっかり者で、その記憶力たるや半端ではなく何年も前のことを詳細に覚えているという化け物級の記憶力。(本人曰く一歳半くらいからの記憶はおぼろげながらあるらしい、えっぐ)


そんな彼女も仕事を始めたては上京と就職という身の回りの大幅な環境の変化に心が追いつかず適応障害になってしまいます。

本来であればご飯を作ったり、家事をしたり、彼女が気持ちよく帰って来れるお家作りをするのが無職としてヒモとして当たり前のはずでした。

しかし、実際の僕はというと昼ぐらいに起きてきて彼女が帰ってくるまでゲームをして彼女がご飯を作るのを待ってご飯を食べたらというと今度は深夜の二時、三時まで友達とゲームをするという暴挙に


そんな生活は当然長く続かず、当たり前のことながらあきれ果てた彼女の不満がついに爆発し、一度話し合いをすることになります。

言い分は僕にもにいろいろあったのですが、こんなの客観的に見ても見なくても僕が100:0で悪いわけで、就職することになる翌年4月までに、都度都度話し合いをして少しずつ改善していきます。

彼女とはそれからもひと悶着も二悶着もあったのですが、大体は一方的に僕が悪いのでそれを一つ一つ乗り越えてきました。

特に僕が働くようになってから仕事が遅くなっても、ご飯を作ってまっていてくれたり、本当に献身的なサポートのおかげで同棲生活を過ごすことができました、感謝してもしきれません。

僕自身も彼女が仕事で遅い日は、ご飯を用意するなど恥ずかしいけれど最低限のことはできるようになりました。成長成長!(やめてたたかないで!)

ちなみに最近婚約し、婚約指輪も買いました。(婚約指輪を買いに行ったエピソードもなかなかおバカなのでまた書かせてください)


『とにかく明るい○○(苗字)です。』(就活編)

履歴書の一番下にあったフリースペースに何も書かないのは印象悪いだろうと思ってひねり出した一文。

本当にこんなおバカなことを書いてしまうんだから、マジで神でも救いようのないポジティブ馬鹿だ。

僕の就職活動を要約すると
大学生のときに二社(ゲーム系の企業一社、制作系の会社一社)
卒業してフリーターの時に二社受け、うち一社から内定をいただいたという形です。(両方ともポスプロ)

その内定をいただいた会社に提出した履歴書に記載したのが上の一文。
人生何があるかわからないもんだと思う。

就活といえば何十社も受けるのが普通で、僕がそういったことをしなかったのはコ○ナが大きな要因だ。

大学の授業がオールオンラインに移行し、フィジカルな接触を断たれていた大学三年生のときに軽いうつ病になったのだ。(診断は受けてないから自称)
日の当たらない1Kの暗い部屋で、一生『シンプソンズ』を見てニヤニヤしていた。日光は死ぬほど大事だ、みんなも死ぬくらい浴びよう

就職活動を始めたのも、同棲が始まって4月ちょいすぎくらいのころだ。

いくつか出したいなぁと思っていたところは4月頭にはすでにエントリーが終わっていて出せなかった。翌年の4月採用するのに、前年の4月頭にはエントリーの締め切りが終わってるって、いくら何でも早すぎるんじゃないか!?

受けることが出来た面接はその時に出した二社のみで、一社目は信じられないくらい緊張して全然うまく話せず撃沈。

そのあと面接を受けた会社が内定をいただいた企業になり、とにかく明るい感じの印象を残そうとずっとニコニコして受け答えしてどうやらその印象がよかったのか、あれよあれよという間に最終面接、内定に至った。(その節は大変お世話になりました、おかげでたくさんの学びと素敵な人たちに出会うことができました、今も本当に大好きな会社です)

当時を振り返って内定をいただいた会社を落ちていたら、マジでどうなっていただろうか今カナダにいないことは一つ間違いないだろうな。

そんな温情で入れていただいた企業もわずか一年ちょっとで辞めることになるのだけれどそれはまた次回以降で。

次回は、少しだけ時系列の整理をしつつ。
内定を出していただいたポストプロダクションの説明働いているときのことを記事にしたいと思います。
気に入っていただけたらまた次回の更新をお待ち下さい!


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