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三代続いた親子の確執 その5

【娘を虐待し続けた祖母(しげ)】

後年、娘のみよからその虐待について、聞かれたことがありました。娘は自分が3,4歳頃の記憶をしっかり覚えていて、こう言いました。

「幼い頃、公衆の面前で私は殴る蹴るしたことがあったよね?私はしっかり覚えていて、その時周りにいた大人たちの会話もしっかり記憶している。
『お母さん、そんな小さい子どもを、みんなの前で折檻するのはやめなさい』それくらい私に酷い仕打ちをしてたよね!」

心が痛かった。その頃の自分はともかく日々の家事と商いで精一杯。若かった私は、自分ではどうしようもない感情を幼いわが子にぶつけていたのでした・・・
「だって、姑は酒飲みでどうしようもないし、舅は口煩いし・・どうしようもなかったんだよ~」としか言えませんでした。申し訳なかった気持ちはあったものの、娘に謝る言葉は出ませんでした。

ただ言い訳にはなりますが、私の母も生活に追われていて、母親と娘らしい親子のやり取りは、ほぼ無いに等しい間柄でした。私も長女で下に妹弟が生まれれば、幼いながらに育児をさせられ、遊ぶ暇もない生活でしたので、子どもへの無償の愛なんて、どう与えれば良いかもわからなかったのです。

まして、躾をゆっくりしている暇もなく、ただただ生活に追われていました。夫は戦地に居り何年に数度か帰郷し、すぐ戦地へ戻ってしまう。そして、太平洋戦争が始まる昭和16年までには、一男三女の子どもが生まれ、夫不在のまま終戦までは、舅姑に仕えながらの子育ての生活だったのです。

ようやく、夫の酉蔵が戦地から戻ってきたら、今度は別の問題が起こり始めたのです・・・・


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