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Memento mori

"死を忘れるな"

23歳、死について深く考えたことなど今までにそう多くはない。未来を生きる若造にとって程遠いものだと感じている。

日本では、若い人の自殺が多く、欧米では殺人、テロが多く、アフリカでは餓死、戦死が多く、中東では戦争被害者、戦死が多く、ロシア、ウクライナ間での戦争、イスラエル、パレスチナ間での戦争、多くの死者の情報がニュースやsnsで飛び交う今の世の中。

それ以上に人を最も不安定にさせるのは身内の死。

それに直面した時、人は少なくとも心身ともに弱くなる瞬間がある。
その経験は歳を取ればそれは多くなることは知っている。
いつか来る運命だが望んでくるものではない。
それが来た時、どう乗り越えるのかどう向き合うのかどう受け入れるのか。

先日、母方のおじいちゃんが亡くなった。
じいじはいつも孫9人、ひ孫1人に対しての愛情がすごかった。すごい大家族で育っている。
昔は良くサッカーの試合や練習を見にきては写真を撮ってくれたり、運動会など何かあるごとに全て見にきてくれた。
高校を卒業してから海外で住むことになっても夢を応援してくれた。
これは俺だけではなく、孫、ひ孫全員にだ。同等の愛情があり深いものだったと改めて思う。
そんな、じいちゃんの最期を隣で側にいれない人生を選んだことの悔しさと葛藤している。 
ただ、海外に出た時から覚悟はしていた。
この葛藤は時間のみが解決するものだと思う。

人は少なくともいつか死ぬ。俺もいつかは死ぬ運命であるからこそ今を大切にしたいとこの瞬間の価値は何よりも高価なものだと実感した。
地獄に行くのか天国に行くのかそれはどっちでもいいが行くときに悔いの残る生き方はしたくはない。
あれ、食べたかった。あれ、したかった。あそこに行きたかった。恋したかった。もっとサッカーしたかった。試合したかった。海外で挑戦したかった。
そんなん死んだら何もできない。
だから、帰国の際にはじいちゃん、ばあちゃんとよく呑みながらいろんな話をしていた。
そう考えると自分なりに受け入れようとしていたのかもしれない。
それでもこの感情を素直にスッと受け入れようなんてまだ未熟な23歳には理解し難い。

おじいちゃんたちはいつも心の中に1番近くで遠くで見守ってくれている。

なんて綺麗事なら綴ることは簡単、本当はものすごく寂しいし、会いたいし離れたくない。

1.17
じいちゃんは家族の安否確認をして消防士として助けを求める人のもとへ。
どれほど、家族の側に居たかったのだろうかと考えながら火の中、瓦礫の中、1人でも多く1秒でも早く助けようと多くの人が協力しあった、そんなじいちゃんたち、ヒーローを尊敬する。

僕たちはイマを生きていてそのカコを知らないなんて失礼だと感じてるからこそ今もなお神戸っ子たちは風化させないためにも多くの経験者から話しを聞く機会が年に一度は必ずある。これは良い伝承であり守り続けるものだと思う。

多くの人が神戸に生まれ、神戸に住み、神戸を愛することができれば、もし同じことが近い未来に起こったとしてもまた強い、優しい、住みやすい神戸で在り続けることができると思う。


死を忘れずにイマを一生懸命に。
一期一会。
感謝。
よく聞くありきたりの言葉たちの意味を少しでも考えれば少しは成長することができる。


読んでくださったみなさん、ありがとうございました。
皆さんの今年の健康、活躍を心より願っています。そして、その願いを僕にも少しお裾分けさせてください!それでまた頑張れそうです!

久しぶりに思っていたことがあったので書きましたがこれからもそれっぽいことを書いていくかもしれません。笑

それではまた!see you guys!

mememto mori

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