#2 アバターとは何か?
この記事は、ゴーストエンジニアリング Advent Calendar 2020の2日目の記事です。今日からは、#1で行った概説に含まれていた様々な要素を深掘りしていきます。走りながら書き殴っているので、次の日に見たら記事が修正されているかもしれませんがご了承ください。年明けくらいにまた見てみてください。
ゴーストエンジニアリングで活用する身体変容体験の中で、イメージしやすく、自由度が高く、多く用いられるのが(VRにおいて身体化した)アバターです(もちろんそれが全てというわけではないのですが)。
ということで、今日はアバターってなんだろう?ということを考えてみます。
Avatarの語源
アバターという言葉は、もともとはサンスクリット語にあったもので、ヒンドゥー教や仏教説話の文脈で「(神や仏の)化身」を意味していたと言われています。神や仏が、我々の生きている現世に姿を表す時に使った肉体という仮の宿りです。残念ながら僕はサンスクリット語も仏教説話も学んでいないので、かなり表層的な捉え方しかできていないと思いますが。
そんなある種のファンタジックな単語をデジタルの世界へと手繰り寄せ、現代で使われるような「自分の分身」と言ったニュアンスを与えた最初の起点は、1985年に発売されたゲーム『Ultima IV Quest of the Avatar』とされています。開発者のRichard Garriottは、図書館で調べ物の最中に偶然アバターという単語を見つけ、自分が作ろうとしているゲームのコンセプトにぴったりだと感じたらしい。
地球にいる小柄でやせ型のパソコンオタクが、私の作った魔法世界ブリタニアでは憧れていたような体格のいい冒険家になれる。しかし、それも自分なんです。それが自分のアバター。そうすることで、自分の行動や振る舞いに責任が生じるのです。
Richard Garriott - ハイスコア:ゲーム黄金時代
開発秘話などの経緯が、Netflixで配信中の「ハイスコア:ゲーム黄金時代」の3話にて特集されています。
「オンラインインタラクションのために用いられるインターフェースとしての自己表象(self-representation)」といった意味のアバターは、1992年に発表されたSF小説『スノー・クラッシュ』にも登場します。
実はこの『スノウ・クラッシュ』、Oculus創業者のパルマー・ラッキーや、Oculus ResearchチーフサイエンティストのMichael Abrashが、自分が影響を受けた作品として推しています。もう絶版みたいですが……。「メタバース」という単語を生み出したのも『スノウ・クラッシュ』だと言われています。
このように、突如ゲーム業界に転生した「アバター」という単語は、以降のゲームやインターネット、SFの力を借りて、徐々に定着してきたのでした。
アバターの定義
定着した、と言ったものの、定義はあるのでしょうか?
いいえ、ありません()
2018年にアバターの定義とアバターコミュニケーションに関するレビュー論文が出ています[1]。そこでは、アバターに関する研究は2000年に入って以降盛り上がっているものの、業界でも、研究者の間でも、厳密に合意の取れた定義は存在していない、と結論しています。
[1] L. K. Nowak & J. Fox. (2018). Avatars and Computer-Mediated Communication: A Review of the Definitions, Uses, and Effects of Digital Representations. Review of Communication Research, 6 (2018), pp. 30-53
使う人によって指示する範囲が微妙に違う。そんな曖昧性を孕んだ単語であるだけに、アバターについて厳密な議論をしたければ、まずはその議論における「アバター」を自分たちで定義しなければならない、ということです。
では、どんなブレが存在しているのか?
例えば、表象が視覚的であることはアバターにとって必要でしょうか?
聴覚障害者向けのゲームがあったとして、聴覚的なアバターは存在しないのでしょうか?
人による制御がなされていないものも、アバターと呼べるでしょうか?
(そもそも制御において人とコンピューターは区別できるのでしょうか?)
いくつかの研究では、人ではなくコンピューターによって制御されているものをあえて区別し、「エージェント」という語を当てています。
どの程度「リアル」ならアバターになるのでしょうか?
グラフィックの豊さや動きの忠実さもさることながら、どこまで「人」に似ている必要があるのでしょうか?三次元的な広がりを持っていない、二次元的なものもアバターですか?
では、SNSのアイコンは?
チャットをするときに表示される自分のディスプレイネームは?
ビデオ会議においてカメラが画面に映し出している自分の映像は?
電話においてカスタマイズされた着信音は?
議論の目的に応じて、定義は変化するかもしれません。いずれにせよ、アバターという語は、みんなで一致団結して導いた統一用語ではなく、生活の中でみんなが各々のニュアンスで使用した集積でしかないということです。
まあ……これはアバターに限らずいろんな言葉に当てはまると思いますけどね。VRとかARとかMRとかAIとか……生命とか……。
L. K. Nowak & J. Fox.は、強いて包括的に定義するならこんな感じだろうと述べています。
■ アバターの包括的な定義 [1]
- a digital representation of a human user that facilitates interaction with other users, entities, or the environment.
- 人(ユーザー)が、他人やオブジェクト、環境などと行うインタラクションを促進するためのデジタルな表象
あ、そう言えば、全然関係ないですけどキャメロンの映画「アバター」の続編が現在絶賛制作中らしいですね(2どころか5まで予定が決まってるらしい)。
[1] L. K. Nowak & J. Fox. (2018). Avatars and Computer-Mediated Communication: A Review of the Definitions, Uses, and Effects of Digital Representations. Review of Communication Research, 6 (2018), pp. 30-53
人とアバターの関係を分類する
プレイヤーとアバターの関係性について、オンラインゲームである『World of Warcraft』のプレイヤー30名に反構造化インタビューを行った研究があります [1]。
結果として、アバターに対する
● 自己分化:アバターをどれくらい自分と同一視しているか、あるいは他人と感じているか
● 感情的結びつき:アバターにどれくらい愛着を感じているか
● 主体感:アバターの行った行為が、誰によってなされたものと感じるか、誰に責任があると感じるか(プレイヤーである自分か、あるいはキャラクターの意志か)
の度合いが、人によって異なることが分かりました。この研究では、これらの程度の強さを基に、4つの「プレイヤーとアバターの関係」があることを見出しています。
(1) Object
アバターをモノ、道具(つまり自己の一部)として見ている(使役している)。アバターに愛着をあまり持たず、主に戦闘や競争を目的としてゲームプレイをしているプレイヤーに多いタイプ。社会的な相互作用やアイデンティティの表現というより、ゲームのクリアに焦点を当てたプレイスタイルと関連している。
チェスの駒やマウスなどもこれに該当しそう。
(2) Me
アバターを自己と同一視している。主に他プレイヤーとの交流など、ソーシャル目的のプレイヤーに多い。アバターに対して、他者へ示すような愛着はあまり示さない(自己なので)。
Second LifeやMiiなど、ソーシャルプラットフォームで使用するアバターが該当しそう。
(3) Symbiote
アバターと自己が共生関係にある。アバターを仮面やコスチュームのように扱いつつ、それを通じて自己、あるいは理想の自己を体現しようとするプレイヤーに多い。プレイヤー・アバターの双方が理想の自己に向かって協力する関係とも言える。
どうぶつの森の操作キャラはこれに該当しそう。
(4) Other
アバターを他者(自分とは異なるキャラクター)として見ている。ゲームと現実を区別し、ゲームの世界観やキャラクターの物語を深く理解しているプレイヤーに多い。自立したアバターの物語を外から鑑賞することで、強い愛着が形成される。
マリオやリンクがこれに該当しそう。
この図は、右に行くほど、
・アバターと社会的な関係を築いている
・アバターを自己とは異なる存在として認知している
・アバターに対して強い愛着を覚えている
・アバター(キャラクター)が自らの意志を持っていると感じている
ことを示しています。
逆に左に行くほど、
・アバターとは社会的な関係を築いていない
・アバターを自己として、あるいは自己の一部として認知している(使っている)
・アバターに深い愛着を持っていない
・アバターではなくプレイヤーである自分が行動をしていると感じている
ことを示しています。
次の図は、僕が勝手に上の図をビジュアライズしたもの。
隣接領域には何らかの要因で転移できそうですよね。例えばマリオはOtherに該当しそうではあるけれど、場合によってはほとんど自己の一部、操作のインターフェースとしか捉えることのないObjectになるのかもしれません。
一方、近年のVRによる身体化されたアバターは、隣接領域に属していた様々なアバター体験を「Me」の側へと引き寄せる力があると言えそうです。あー……眼鏡が本体、みたいな(?)。VRを使うことで、Objectだったものに愛着を与える体験ができたり、Otherを強制的に「Me」の体験に変えることができてしまうわけです。ここへ来て「Me」について考えることがますます重要になってきたのではないでしょうか。
[1] Banks, J. (2015). Object, Me, Symbiote, Other: A social typology of player-avatar relationships. First Monday, 20(2).
ロボットもアバター
この記事では今まで、アバターをデジタルコンテンツ(ゲームとか)上で動作するインターフェースに限って話してきました。しかし、アバターをデジタル表象(CGのキャラなど)に限らず、もう少し広く捉えることもできます。
例えば、ロボットとかね。
巨大なロボットを操作している時、ある意味で操作者はアバターをまとっていると言えます。クレーン車や戦車は、ある意味で運転手の能力を拡張するアバターです。さらには近年では、テレプレゼンスをはじめとするロボット操作技術が、ロボットに「乗り移る」ことで身体化された操作を可能ににしています。テレプレゼンスにおけるロボット操作は、VR環境上に生成されたアバターと体験の上ではほとんど変わらないでしょう(いや、この問いは自明ではないので検証が必要ですね)。
L. Aymerich-Franchは、身体化されたロボット操作やVRアバター体験を「Mediated embodiment」として統一的に論ずるべきではないかと主張しています[1]。僕はあえて新しい用語をあてずとも、アバターという用語はロボットも包含していると感じていたのですが、そうでない(アバターはデジタル表象に限る)人もいるみたいです。
内閣府 ムーンショット目標に登場するサイバネティック・アバターも、これに近い概念だと思います(あるいはもっと広く捉えている概念かも)(ムーンショットの話はまた後日書きたいです。ムーンショットがディストピアではない、今の日常生活の延長上に実現するものだということを)。
他にも、一人の芸能人を「作り出す」ために多くの人が各々努力をしていることを考えると、「スター」は融合人格のような存在であり、概念的にはアバターの一種と捉えることができるかもしれません。嵐は、嵐の個々のメンバーの力もさることながら、裏で顔を見せない大勢のメンバーがグループを支えている(彼らがいないと嵐が成り立たない)わけですよね。
[1] Aymerich-Franch, L. (2020). Towards a Common Framework for Mediated Embodiment. Digital Psychology, 1(2), 3-12. https://doi.org/10.24989/dp.v1i2.1824
化身
アバターは、もともと化身を意味すると書きました。
化身というのはつまり、ほんとうの「存在」は
別のところにあるが
たまたま、いま、
問題となっている次元空間のなかで
その姿をとっているということです。「ほんとうの存在」の一部か全部かが、その本質を保持したまま別の姿を取っているということです。
ここから考えると、「Me」のアバターは、自己の化身ですね(訳しただけやんけ)。つまり、自己の一部か全部かが、その本質を保持したまま別の姿を取っている。
アバターに託されている自己の本質というのは何なんでしょうか?
動き?声?名前?見た目?能力?社会的役割?思想?物語?
そして、どんな条件を満たせば自己の本質を充分に託すことができるのか、あるいはどんな条件においては本質を託すことが失敗してしまうのか?
その辺のことが僕には気になります。結局のところ、アバターとは何か、という問は、「アバターは自己の写像(化身)である」というテーゼで以て、「自己とは何か?」という問へと辿り着くのかもしれません。
上記の問に対しては、今後の記事で、自己論やアバターの身体化について話すことになると思います。
「もっとこれについて書いてよ!」
「この情報が違っている」
「この文献も取り入れた方がいいのでは?」
などなど、意見等ありましたらお気軽にコメントをつけてください。
関連書籍
プレイヤーとアバターの関係のところで紹介した論文の著者であるJaime Banksさんは、これ以降もたくさんplayer-avatar relationshipに関する論文を出しています。
[a] Jaime Banks, Nicholas David Bowman, Jih-Hsuan Tammy Lin, Daniel Pietschmann, and Joe A. Wasserman (2019). The common player-avatar interaction scale (cPAX): Expansion and cross-language validation. International Journal of Human-Computer Studies, Volume 129, pp. 64-73. https://doi.org/10.1016/j.ijhcs.2019.03.003
[b] Banks, J., Bowman, N. D., & Wasserman, J. A. (2018). A Bard in the Hand: The Role of Materiality in Player–Character Relationships. Imagination, Cognition and Personality, 38(2), 61–81. https://doi.org/10.1177/0276236617748130
[c] Banks, J., & Bowman, N. D. (2016). Avatars are (sometimes) people too: Linguistic indicators of parasocial and social ties in player–avatar relationships. New Media & Society, 18(7), 1257–1276. https://doi.org/10.1177/1461444814554898
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