今日までそして明日から
11/28。
Dannie Mayが始動して2年と9ヶ月で迎えた初のワンマンライブから一夜明けて。
思えばこの2年と9ヶ月は、長い1日を過ごしているような感覚だった。
2年と9ヶ月前。2019年3月18日。
3/18というのは実は公式な結成日で、
実際顔を合わせたのはもう少し前。
2018年の暮れだったと思う。
当時映像を撮っていた俺は、その数年前に一度ソロで対バンしたことのあったマサに誘われバンドを組むことになる。この辺りは何度も話してるので割愛するが、誰が何を担当するか、と言うより『人が良い人』でマサが選んだメンツだった。
そして選ばれたもう1人が田中タリラだった。
忘年会と称して、渋谷の焼肉屋でレモンサワーを飲みながら音楽やらなんやらくだらない話でこれからのバンドの展望を語り合った。
当時自分達でアレンジする力もなかったから、
初めてできた曲『今夜、月のうらがわで』と『スクリーンセーバー』はアレンジャーさんにアレンジをお願いしていた。
上がってきたデモを本当に10席もないようなカフェで3人、イヤホンを耳にはめ初めて出来上がった曲を期待と不安が入り混じりながら聴いた。
今だから言えることだが、
正直出来上がった曲の良し悪しなんかより、
俺は(自分含め)2人が本当に楽しそうに音源を聴いてる姿を見て「俺達は売れていくんだろうな」と思った。
20代半ばにしてこんなにも童心に還れたことは無かったから。
都会の喧騒の中、俺たちの希望が詰まった3分半の宝箱。静寂とも興奮とも取れる、なんとも言えないモノがそこには入っていて、ワクワクが止まらない。
こんな楽しいことなんてない。
個人的な話をすれば、昔やっていたグループを卒業して以来、自分でも何をしてるのかよく分からないような人生を送っていた。毎日の繰り返し、嘆き、挑戦しては失敗し、金もない。諦めだって早い。
周りは成功していくし、自分の幸せを見つけて生きていく人だっていたのに。
"誰かと比べずに個の力を信じて自分らしく生きていく"
なんてそんなの嘘だ。
もっと言えば、「好きなことで生きていく」と言うキャッチコピーが流行った時代だった。
YouTuberたちがこぞってその言葉を使い、動画を出す。テレビや街中を歩いてもそんな言葉ばかり。
正直うんざりだった。
『なんだよそれ。』
好きなことで生きていけたら苦労なんてしない。
そもそも好きなことがなんなのかもわからない。
そんな考えがグルグルと頭の中をループする。
俺はそんなに強い人間じゃない。
自分の力を信じて疑わないほどの勇気もない。
じゃあそんな俺は、「好きなことで生きていけない人間」は、生きる価値なんてないのだろうか。
そう思った。
そんな時、誘われたバンドがDannie Mayだった。
いや、話飛びすぎじゃない?と思うかもしれないけど本当にそうなんだ。
明けない夜みたいな人生をずっと繰り返して彷徨って、底辺なりにもがいて苦しんでいたらマサから声がかかった。
それも、『人が良い人』という理由で。
こんな状態の俺を見て何処に人の良さを感じてくれたのか、正直今でも分からない。
「好きなことで生きてく」ほどかは分からないけれど、それでもやっぱり音楽は好きだったし、歌いたかった。
そして何より
仲間が欲しかった。
ただ、仲間が欲しかった。
もう1人で明けない夜を生きていくのは限界だったから。
つらつらと御託を並べて、強がってはいたけどもう限界だった。
話を戻す。
だから、そうしてあの狭いカフェで初めて音源を聴いたあの瞬間は本当に今でも忘れられない。
何の曲でもそれは変わらなかったと思う。
あの2人が楽しそうにしてる姿と、その空間に自分がいれたことが心底嬉しかった。
マサ自身、タリラ自身も色々と抱えているものはあって、それをここで俺が話すのは野暮だから言わないがとにかくみんな明けない夜の中に1人でいた。
俺はあの日、自分は1人じゃないんだ、、と何度も噛み締めたのを覚えてる。
そうして明けない夜で出会った俺たち3人は、
迷いのない世界の果てを目指して、希望の朝を迎えることになる。
2019年。
この年は本当に試行錯誤で、とにかくトレンドに合わせて曲を作って行ったり、バンドメンバーに監督がいると言う観点から、脚本から曲とMVを作ると言った変わり種も試してみたりした。
手応えは良くも悪くも、あるんだかないんだか。
アレンジを学び、トレンドを押さえ、映像を撮り、曲を作る。
三者三様で走り続けた。
初めてのライブは下北沢のREG。
シンガーソングライターのワンマンライブのオープニングアクトとして二曲。
これが個人的にも数年ぶりに出たライブ。
当時やっていたグループで応援してくれていた人も来てくれた。
いつかまた歌う、としか言ってなかったのに。
そんな詐欺みたいな言葉を本当に信じて待ってくれていた人には今でも頭が上がらない。
バンドとして初めての転機が訪れたのは
コンセプトEP『暴食』が、タワーレコードが行なっている未流通音源のトレンドを押さえたタワクル企画で4週連続1位を獲得した時。
タワーレコード渋谷店では自分達の音楽が流れていた。
不思議な感覚すぎた。いくら1位とはいえ、未流通の自分たちの音楽、いわばアマチュアバンドの楽曲がタワーレコード渋谷店で流れていることが不思議で仕方なかった。
また2人は純粋に喜んでいて、それを見て自分も嬉しくなった。
そこからは何度も小さいライブを重ねて、
時にはお客さんがいないライブもあったし、
ライブ中大きなミスを犯して、鍵盤を弾くのが怖くなった時もあった。
あの時は何故不具合が起きて、そしてそれにテンパってミスを起こしたのかも分からずで、
そんな自分にもイライラしてタリラからも死ぬほど怒られてそれにまたイライラして喧嘩して。
みたいなこともあったり。
あとはそう。仲間も増えた。
俳優の山田ジャンゴ、デザイナーのsokyon(健太郎)、カメラマンの小澤彩聖、ちほちゃん、mona。
特に山田ジャンゴはずっとDannie Mayの成長の裏を支えてくれている人。
Dannie MayのMVには欠かせない存在になった。
彩聖は俺の高校の同級生で、同じクラス。文化祭ではダンスを一緒にやったりしたな。
なんでもないただの同級生だった2人が、今もこうして夢を一緒に追えているのは感慨深い。
特に彼はバンドを始める前からずっと支えてくれている。だからまずこれからバンドをやっていこうと決めた俺の仲間、マサとタリラを紹介したんだっけな。
そうして少しずつ、着々とバンドが大きくなっていく実感があった。
迎えた2020年
1周年は渋谷o-nestにて。
コロナが蔓延し始めた頃で、ライブができるかどうか怪しかったがなんとかギリギリ開催できたライブ。
サポートドラムにたいちゃんを加えたのも確かこの辺りからだったと思う。
年明けのライブで初めて一緒にやったんじゃなかったかな。
そこからはコロナ禍に入り、活動が途絶える。
そもそも年齢的に言えばバンドを始めたのもギリギリなのに、2年目を走り出せなくなってしまったことに不安と焦りを感じながらも、この年はなんとか走りきったなと思う。
個人的にも、肺の病気が再発したりと前半はすごく苦労したし、見通しの立たないコロナ禍とバンドで
『もう辞めようかな』と思うことが何度もあった。
結局自分は卑怯で弱虫なんだって、むしろ開き直ったりもした。
でもその度に、引き戻される歌が実はこのバンドにはある。
バブ28。
「ゆけどゆけども苦しい道だろう
痛いし辛いし辞めたくなるけど
まわれよまわれ その向こうだけに
本当の自分がいるんだろう」
「嗚呼 夢の麓へ連れて行けと
蓋をしてこぼした言葉 溢れてしまう」
どんなに自分に開き直って押し殺したって、
こうして歌っていることの楽しさ、仲間がいる幸せには逆らえない。
その心に蓋をしたって溢れ出てしまう強い想いが絶対あって、その向こう側にいこうとする。
そうして何度も引き戻されながら、活動を続けた。
またこの年は新しい仲間も増え、
特に映像まわりが強化された。
木部くんと福田さん。
何度かMVのnoteにも登場するがこの2人が欠かせない年だった。
2020年Dannie May MVP賞を挙げるとしたら
この2人だろう。あと山田ジャンゴもね。
連日打ち合わせ、コンテ切り、ロケハン、撮影、編集、ともう福田さんとしか会ってないんじゃないかってくらい一緒にいた。
昨日のワンマンも、撮影のことを思い出して泣きそうになりましたと熱い想いを福田さんが伝えてくれた。
その横で木部くんは泣きながらグッズをたくさん買ってくれてたらしい。
本当に愛くるしい奴なんだよ木部くん。
山田ジャンゴは何も言わずメンバーの俺らを抱きしめてくれた。
もうそれだけで全て伝わったので、野暮な事は話さなかった。
このメンツの話で言えば、
『この曲が人生最後の僕の代表曲だったら』MVの撮影秘話が本当に壮絶なので、良かったらnoteを読んでみてほしい。
迎えた2021年。1月。
新曲リリースイベントを以前からお世話になっているタワーレコード渋谷店で行った。
これが久々のライブ。1年ぶりか。
当時はそうは言っても仲間内のお客さんが多かったDannie Mayのライブも、
この1月のライブにはたくさんのファンの方たちがいてとてつもなく驚いた。
ましてやこのコロナ禍に、足を運んでくれたみんな。もちろん時期が時期なので、さまざまな都合で来れなかった方々からもたくさんの声が寄せられて、いよいよ大きくなってきたなと感じたのがこの頃。
3月には2周年記念にYONA YONA WEEKENDERさんと、7月には小林私くんとツーマンを行い、着々と積み上げていった。
MVでは初の試みで、アニメーションを2作出した。
アニメーターさんとの合作で、
『適切でいたい』を提供わたしさん、
『ええじゃないか』をカンタロさんと共に作った。
やはりただ作るだけは嫌だったので、2作をクロスオーバーさせるような大きなストーリーを作り、主人公を分離させる事でより深い作品にしてみたのも功を奏してか、
2作とも再生回数が鰻登り。
特に『ええじゃないか』は45万回を越え、年内に50万回いきそうな勢い。
それに呼応して、今年はライブ制作のスタッフさん達もたくさん仲間に加わってくれた。
そうは言ってもまだこんなに関わってくれるほどの規模でもない俺たちに、彼らはたくさん力を貸してくれている。
RECを担当してくれているエンジニアさんも兄貴肌で侍みたいな人なんだが、これまた手取り足取り力を貸してくれている。
本当に頭が上がらない。
2年と9ヶ月前、
あのカフェで俺たちの音楽を聴いていたのは俺たち3人だけだったのが、
今や何十人と言う協力者がいて、何万人と言う人に聴かれ、何百人と言う人がライブに足を運んでくれている。
その事実が圧倒的に夢かと思うくらいの感覚で、
頭にのしかかる。
拍子抜けしたかのような気分になる。
自分を救う為に手にした宝箱がいつしか誰かの大切なものになっている。
こんな幸せな事があるだろうか。
迎えた初のワンマンは、自分の個人的な旧友も見に来てくれた。
中には結婚してる人もいるし、自分のキャリアをどんどん伸ばしている人もいて、忙しいにも関わらず、年甲斐もなく音楽を続けている俺を見にきてくれた。
何故この話をするかって。
きてくれた事が嬉しかったのもあるけど、
自分のライブを理由に、10代の頃よく集まってた友達が皆集まってくれたことが嬉しかったから。
そうか、ライブってこう言う力もあるんだと思った。
もう俺達の歳になると、なかなか理由がなきゃ集まったりしない。
理由もなく集まって馬鹿やってた10年前とは違って、今は各々の道がある。
そうして『みんなで集まりたいね』という気持ちはありつつも、現実集まらなくなる。集まれなくなる。
もう何年も会ってない昔の友達がこの日は来てくれたのだ。地方から新幹線で来てくれた人もいる。
「Yunoのライブを見にいく」という理由で、
みんなが集まってくれた。
それが嬉しくてたまらなかったから。
そうなんだよ。
やっぱり俺は、人が楽しそうにしてる空間にいるのが好きなんだよ。
WWWでの初のワンマン。
お客さんの中にもいろんな思いの方がいて、SNSや手紙で伝えてくださった。
みんな各々もがきながら生きていて、
明けない夜と戦ってる。
それでもあの空間で共に集まれた事。
Dannie Mayのライブを理由に、大事な人と会えた事。
俺にとっての3分半の宝箱が、300人にとっての大きな宝箱に変わった瞬間を目の当たりにした。
そしてその瞬間にいれたことが何より俺は嬉しい。
あのみんなのキラキラした顔、真っ直ぐ俺たちを見つめる瞳、友達と戯れてふざけ合う仕草、
全部俺に届いてる。
それが俺は嬉しい。
そしてこんな気持ちにさせてくれてありがとう。
『好きなことで生きていく』
あの頃抱いていた嫌悪感に対する答えはまだ出ていない。
自分がなんなのかはまだ分からない。
たくさんの仲間ができたし、たくさん裏切られたし、傷つけ、傷つけられてきた。
自分だけが被害者だなんて思わない。
自分だけが出来た人間だなんて思わない。
卑怯で、弱虫で、不完全な自分。
そんな俺でも『人が楽しそうにしてる空間を望む』ことくらい赦されてもいいんじゃないか。
そう思った瞬間、初のワンマンを終えた時。
2年と9ヶ月と言う長い長い1日が終わりを告げた気がした。
「戦う人を笑うのは
1番卑怯な生き方でしょう
寝付けぬほど悩むのは
貴方が生きている証でしょう」
この言葉と共に、長い一日が地平線へ沈む夕陽に溶けた。
これがDannie Mayの、俺の今日まで。
たくさんの人に力を借りて、
裏切られて、傷ついて、傷つけて。
泣いて笑って悔やんで比べて。
倒れて立ち上がって休んで走って。
そして明日からもこうして生きていくんだと思う。
『人が楽しそうにしてる空間』を作る為に。
そしてその空間に自分も居続けるために。
最後に。
5年前、フォークシンガーとしてギター抱え1人ステージに立っていたマサにこの曲を捧げて終えようと思う。
今日までそして明日から/吉田拓郎
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