見出し画像

【短編小説】 昨夜、彼女が出て行きました。

 徐に上体を起こす。体が重い。やっぱりソファーで寝るもんじゃない。
 ガチガチになった背中をゆっくり伸ばす。あくびが出る。今日は休みだ。ゆっくりしよう。
 視線がテーブルに向かった。うちのカギが置いてある。僕のじゃない。太ったひよこのキーホルダーが付いている。彼女のだ。
 昨夜、彼女が出て行った。
 ひとりの朝は、何年ぶりだろうか。もう部屋でタバコを吸ってもいいのか。それは楽でいい。
 キッチンに向かって換気扇を回した。来るついで持ってきたにタバコにコンロで火を付けて一服。寝ぼけた頭の靄が少しずつ晴れていく。
 腹が減った。すっかり朝食がないといけない体になってしまった。冷蔵庫を開ける。食材はある。みそ汁くらい作って、後は卵かけご飯でいいや。
 いつの間にか料理ができるようなった。手伝ってるうちに楽しくなって、気が向いたら自分で作るようなっていた。キッチンの向こう側で、椅子に座って眺めてる彼女の顔を思い出す。なんであんなに嬉しそうにしてたんだか。そんなに美味いものじゃなかっただろうに。不思議だ。
 流しでタバコの火を消して、三角コーナーに捨てた。というか、三角コーナーが三角じゃない。いつからこれなんだ。気にもしてなかった。まぁいい。
 豆腐、わかめ、玉ねぎ、味噌。取り出してから、調理する。我ながら手際がいい。作っている合間にご飯を温める余裕さえある。
 みそ汁完成。温めたご飯に卵を落として醤油をかける。あとはお茶だ。朝は緑茶がいい。お茶っぱはどこだ。ない。そうだ。コーヒーしかないんだった。まぁいい。
 ちゃちゃっと食って、流しに食器を置いて、洗面所。あ。その前に洗濯機回しとくか。いや、ひとり分だし。水もったいないからまた今度でいいか。
 歯を磨く。鏡の前に歯ブラシがもう一本。持っていかなかったのか。歯ブラシくらい新しいの買えばいいもんな。捨てておこう。
 口をゆすいで、顔を洗って、風呂だ。風呂掃除をしなければ。何年ぶりだ。思ったより体を使う。きついな。お昼になってからやればよかった。
 体を動かしたついでに掃除機もかけよう。窓を開けて換気をしてから、押し入れから掃除機を取り出す。なんだこれ。軽いな。こんなんでゴミ吸うのか。新しいの買おう。
 これで一通り終わったか。疲れたな。ソファーに座ってテレビでも見るか。何か録画してたっけ。うわ。アニメばっかり。これでもいいや。見よう。
 アニメ面白いな。てか、絵が綺麗だな。これなら一緒に見ても良かったな。
 ゲーム機はさすがに持ってったのか。新しく買うか。掃除機が先だけど。
 今日は休みだけど、明日は仕事だ。英気を養うべく寝よう。またソファーでいいや。

 ※

「君、よくこれで生活できてたね」

「案外、生きていけるもんよ」

「これは、私が全部やっちゃダメね。家事、教えてあげるから覚えな?」

「全部やってくれてもいいんだけど。もっと甘やかしてくれると助かる」

「嫌。手伝って。まずは料理ね」

「へいへい」

「へぇ〜器用じゃん。やってこなかっただけで、できないわけじゃないみたいね」

「お褒めにあずかり光栄です」

「なにそれ」

 ※

「アニメ見ないの?」

「なに?興味あるの?」

「いや。ないけど。撮り溜めてばっかりで見ないじゃん」

「私は一気に見たい派なの。だから見ないの」

「ふーん。さいですか」

「さいです」

 ※

「忘れ物ない?」

「ない。荷物全部は持っていけなかったから、いらない物は捨てちゃって」

「分かった」

「寂しい?そんな気持ちすら君は忘れちゃったの?」

「どうだろう。少なくとも今はない。でも」

「でも?」

「感謝はしてる。こんなろくでもないやつの面倒みてくれてありがとう」

「どういたしまして。じゃあ、行くね」

「お幸せに」

「そちらこそ」

 ※

 徐に上体を起こす。やっぱりソファーで寝るもんじゃない。
 すっかり夜が更けてしまった。窓が開けっぱなしだった。
 部屋が暗い。ぼんやりとしか見えない。こんなにこの部屋広かったかな。夜風がよく通る。

「寒いな」

いいなと思ったら応援しよう!