東京オリンピック・那須国造碑

太川君たちや村井軍曹たちが訪れた、なかがわ水遊園の辺りの地図を見ると、近くに那須国造碑の史跡印が付いている。
久視元年(西暦700年)に建立された、顕彰碑である。国宝。
発見されたのは、1676年。そのときのこの地の領主は徳川光圀。碑文に書かれている那須直葦提、那須意志麻呂の墓は近くの侍塚古墳であると比定し、家臣の佐々宗淳に調査を命じた。佐々宗淳は、助さんのモデルである。
碑文には、永昌元年(689年)に那須直葦提が評督に任ぜられたことを、子の那須意志麻呂が顕彰した内容となっている。
評督は、ひょうとく、又は、こおりのかみ、と読み、評(こおり)の長である。郡(こおり)は、実際は大宝律令以降の呼称で、飛鳥時代は評と呼ばれていた。
日本の元号は白雉5年(654年)、孝徳天皇の崩御により元号使用中止。天武天皇15年(686年)7月に朱鳥を再建元するが、9月に天武天皇の崩御により又しても元号の使用が取り止められた。
永昌元年(689年・持統天皇3年)の元号は、日本の元号がなかったことから、碑文には唐の元号で記載されていると云う。代は則天武后の頃。
飛鳥浄御原大宮、の記載があり、実際に当時、朝廷はその様に呼ばれていたことが解る。
尚、侍塚古墳は、現代の考古調査では、更に昔の古墳であるとされている。
那須国造の一族の子孫には、平家物語に出てくる那須与一がいる、と云う説があるそうだ。

水戸黄門自体は漫遊していないが、助さん、格さんらを全国に送り、歴史調査をさせて、大日本史を編纂した。
水戸藩は快風丸を建造し、蝦夷地調査に行ったこともある。
アイヌ伝説には、ヨシツネサマ伝説がある。源義経がジンギスカンになった、と云う伝説の通り道である。小説、コタンの口笛でも紹介されていたと思う。
世界ふしぎ発見!で紹介されていた放送回もあった。それによれば、アイヌのヨシツネサマ伝説は平安-鎌倉期からのものではなく、水戸藩の蝦夷調査の際にアイヌに吹聴し、それが伝説化したものらしい。
萱野茂さんが出てきたり、金朝秘史が紹介されたりと、なかなかの神回だったと思う。

テレビの水戸黄門は北海道には行っていない筈だが、映画では1961年版の作品で、行っている。
アイヌから、更なる収奪を目論む松前藩と悪徳商人北海屋。それに対し、酋長ギルタンと大酋長シャグシャインが挑む。
そこに水戸黄門が分け入り、悪者退治をしてアイヌに平穏が訪れる。
名優・長谷川一夫さんが、水戸黄門とシャグシャインの2役。野添ひとみさんはアイヌの娘ノサップ。
シャグシャインのモデルは、シャクシャイン(1606-69)。
アイヌ語って、普通、濁音ないのよ。
オニビシは?


原作は川内康範。って、月光仮面、レインボーマンじゃないか。
おふくろさぁぁぁん~。
水戸黄門 海を渡る。
なんじゃそりゃ


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