かわいい王様といちばん幸せな日
かわいい神様の次は、かわいい王様の話か~。幸せだなあ。
二度目の緊急事態宣言によって、学校では、手首に「検温しました」のバンドを巻くことになった。
生徒も教員も職員もお掃除の人達も、お客さんも全員。
黄緑、黄色、赤、ピンク、水色……。毎日色が違う。
「コロナ対策実施中 ○○高校」と印字してある。
さながら、どこかの遊園地のフリーパスみたいだ。
<手首にみんなおそろいのバンドをするなんていやだ!!!>
と思うタイプの私は、こっそりつけずに過ごしていて、今のところ何も言われていない。
みんなは大体装着している。相手と話すときにいちいち確認しているわけじゃないけど、袖口に異様にカラフルなフリーパスはやっぱり目立つから、見つけるともなく見つけてしまう。
みんなは立派だ。
初日に教頭席の前で検温した際、バンドを渡されながら添えられた、「これ手首に付けてても、どこにも入れませんけどね、ユニバとかね。あ、ヒラパーだったら入れるかもしれん! ワハハ!」という教頭ジョークを、私はそのまま教室で垂れ流した。
生徒たちは、「ヒラパーのことバカにしてんのか?!」と私が教頭前で思っていたことをそのまま言うので話が早い。
「うちらの金、何に使っとんねん! もっとマシなことに使えよな~」
と、そりゃあそうだ! の声が続々とあがる。
生徒はまともで、ストレスにも敏感。
学校(大人)の側は鈍くなってしまっていても、子どもは子どものままの感性を捨てていない。したがっているふりをしているだけなんだよな。
コロナ対策として、学校側が、教室を広くするとか、一斉授業の人数を減らすとかの思い切った方法をすぐには実行できないことはわかりつつも、だからと言って「負担」や「我慢」をいつまでも市民(生徒やそこで生活する人たち)にのみ強いるやり方は、ちっとも愛が足りないな~と思う。
みんなが同じフリーパスをして校内を歩いている光景は考えてみただけでギョッとするし、なんか怖いし、必要以上に「同調」を想起させられるし、何よりこれ以上(すでに「制服」という決められたユニフォームにしたがっているのに)、他人の身体に何かを身に付けさせるのは、人権を踏みにじる行為だよな~と思う私は少数派みたいだ。
だって、そのフリーパスを身に付けたら、私もそれに同意したみたいじゃない?
生徒にそれを付けさせることにも同意しているみたいに見えない??
それもいや。
「私の身体は私のものだ。」
「何を自分の身体に付けるのかを決めるのは私だ。」
何に所属していても、たとえ働いていても、そのことは変わらないんじゃないかと思う。
学校が、本当はそういうことをおしえる場所だったらいいのに。
毎日溜まっていくカラフルなフリーパスを、捨てたり、何の計画もなく溜めたりしていた頃、授業に行ったあるクラスで出席簿に日付を記入していたら、誰かが「先生、見て!」と私を呼んだ。
顔を上げると、一人の男の子が、頭に王冠をかぶってこっちを見ている。
なんと、あの毎日配られているフリーパス何日か分×何人か分で、カラフルで見事な王冠を作ってしまったのだ!!
それは立体的で、フリーパスの細長い形や柔軟な材質を生かしたなめらかなカーブに覆われており、やわらかで上品な印象の小ぶりでカラフルな……完全な王冠だった。
私は一瞬で心を撃ち抜かれて大感動し、いそいそと机の間を縫ってその子の元に行き、しげしげと王冠を見てさわった。
「すごい! すばらしい!! なにこれ!! めちゃくちゃいい!! 感動してる!! つくったの?! すごくない?! 『こんなもん腕に付けさせやがって!』の反骨精神と、それを作品にしようというユーモアとセンス! そのうえこの見事な出来ばえ!! これがアートよ~!!!」
大絶賛しまくる私に、生徒たちは若干引いていたものの、すぐに嬉しそうな顔をして私を見た。
たぶん、「見て!」と言って見せても、教員の中でも私なら怒らないだろうということは薄々予測しつつも、それはやってみなければわからないところなので反応を見るような気もあったのだろう。私が、思いがけず、予想を超えて特大に大喜びしているので、彼らはうれし・はずかし・うれし、っていう感じだった。
黄緑多め(その日のフリーパスの色)で、「コロナ対策実施中 ○○高校」とぐるり360度果てしなく書いてある王冠は、製作者の男の子の頭の上で完全にかたちを変えていた。文字はすでに意味を失い、男の子を輝かせるものにも、単なる模様にも見えた。
そして、それをかぶっているのはかわいい王様だった。
そもそも、そんなもので人をしたがわせることはできないし、強いられたつまらないものを、別の形で、何倍ものユーモアを加えて返すことができることを、私の方が知ったのだった。
「反骨精神」なんて、言っている私だけがうるさくて、生徒たちはそこまで意識していないのかもしれない。それはもうどっちでもよくて、彼らが考えて、行動しているのがすばらしいと思う。
本当は、こういう力があるんだよな、ということを思い知らされる。
いつも休み時間は、大体みんなスマホでゲームをしていて、それはそれで大人だって同じだし別にいいのだけど、どうしてもやりたくてしていると言うよりも、暇だからそうしているだけなんだろうなーと思う。
<「コロナ対策実施中」のフリーパスを使った王冠の作り方>なんて、YouTubeにあがっているわけないから、全部自分たちで考えて製作したのだろう。
われわれ大人は、子どもたちに、つまらないこと(授業の内容も含めて)を強いているのじゃないか?
彼らの力を発揮させない、むしろ削ぐようなことにさせているのではないか?
そのことにドキッとした。だって、そのことについては私だってその一味なのだから落ち込む。
ただ、「先生、見て!」の相手に私を選んでくれたのは、偶然かもしれないけどありがたいし、よく見てくれていると思うし、日ごろの授業や交流! とも思うし、ともかく幸せだった。
学校という世界に戻ってみていろいろよかったことがいっぱいあったけど、この日が一番幸せだった。(って、今までも色んなクラスで何回も思った。笑)
「本当にすごいよ」といつまでも繰り返す私に、みんなは、「首飾りも作りましたよ! ホラ、あれ!」と指さした先にはカラフルな飾りがあって、彼らのありあまるエネルギーとハングリーさはアッパレすぎた。
ちなみに、王冠は、教室に隠していたけど2日後には他の教員に見つかり、捨てられてしまったらしい。
残念がる私に、生徒は「材料ならあるし、また作りますよ! 今度はもっと大きいの。これがアートだから」と言っていて、頼もしすぎた。
怒りすぎないし、怒りや憎しみを醸成させるよりも楽しいことに意識が向かっている。
これは、大人なんか相手にならないだろうな~と思った。
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