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返信する
飽きた。というか、同じだなーなんか。と思ってきた。
生徒も自分も。
新学期というものに慣れてきたというのはそういうことで、それはいいことなんだけど。
私だって、職場は自由席なのに(フリーアドレスと言うらしい! 最近流行りみたい。なんか名前ダサいな!)、だいたい自分が座る席も決まってきちゃったしなーって、それはいいことなんだけどな材料を集めて思う。
新しいこと・別のことをしよう。今週はそのチャンスかな。
じゃあ、生徒に「返信」してみよう。
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職場で、1年半前には考えられなかった相手と今談笑しているのはいいことだなと思った。
厄介な人であるなーとか、使う言葉が違うタイプかもとか、そのわりにメールやPC上の「ルーム(部屋)」を使って連絡や伝達することを好むのでその言葉を目にする機会は多く、見ていてしんどい、しかし業務上見ざるをえない……とか、初期は(今も)思っていた。ペダンティック! とか。(今もまあ。)
今は、いいところも悪い所もある人だなあと思っている。
誰でもそうかー。でも、誰でもそうだということが、あんまり認められていなかった。認めたくなかった。
関係が明るく変化してきたのは、この春、メールのやりとりをしてからだった。
「アドレスの確認をしたいから」と最初の会議で言われ、渡された紙に記入した業務用アドレスにメールが送られてきた。
そこには、私が会議で提出した紙にらくがき(近況の)程度に、「アニメ『平家物語』を観始めました。」と書いたことに対する返事が書かれていた。
内容は、アニメの大絶賛! とりわけ最終回のまとめが秀逸☆ ぜひ最後まで堪能してください☆彡☆彡 というお言葉で、読んだ途端なんかいいねと思った。
私は当時『アニメ 平家物語』にいたく感動していて誰かと話したくてたまらなかったし、この人なら観ているだろうという予測が見事的中していたことも、欄外のらくがきに対して返信するという行為も、待ってましたの大親近感だった。
(もちろん私はそれに対して長い返信をした。)
そこから劇的に仲が縮まった、というわけでもないが、なんとなくどんな人なのか、今まで見えなかった部分が見えた気がした。
そんな程度でいいのだった。相手に対して、少し気が抜けたということなのかもしれない。「信じる」まではまだいかない、でも構えなくてもいいのかなという程度だけど。
結果、今は、メールや「ルーム」で発信しているほど強い「言葉」を、現実の世界で接するその人からは感じない。
思っていることを突き詰めて研ぎ澄まし、言葉にするとそれになってしまうあれこれが、話してみると幅のあるグレーなゾーンであるということがわかったりする。事情を配慮しないほど、峻烈なことを求めて来るというわけではなさそうだった。
つくづく、言葉は難しいと感じる。とりわけメールや「ルーム」などの公式の場、特定の・多数に宛てる場合は、相手との距離を想像して、配慮と、センスと、祈りをこめて書くしかない。それがバチッとはまるには何が必要なんだろう。愛? 相手への信頼とかかなあ……。
依然として、私はその人がメールやルームで使う言葉が苦手だ。朝とか、調子が悪い時に読むと精神に差し障ったり(笑)、直球で憎悪が相手に向かう羽目になる。(だから開く時は注意が必要。)言葉には、その人の片鱗が現われてしまうのだと思う。
でも、それは片鱗であって全部ではないのだろう。
話してみないとわからないし、案外冗談が好きなタイプの人という面があったりもするし、その言葉は私と同じだと感じることもよくある。
緊張をほどき始めているのは、相手も同じだと感じる。会話の中で、よく笑ってくれるようになった。
そういうことがだんだんわかってきた気がする。
いろいろ変わるな。関係も、人も。
それはなんかいいことだよな。
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