
ファーーーッ!!!と言うとき
丁寧だな! と思う。自分のこと。
基本的に、あまり伝わらなものだと想定しているのかもしれない。
丁寧にするのは嫌いではないし、それで伝わるものが多いなら私は丁寧をする!
「うっとうしいかな」とか、「しつこいかな」という不安がよぎる時もある。
でも、抵抗感を押し殺し、勇気を出してわざわざ言いに行くと、え?! そうだったの? 知らなかった! という言葉が返ってきたりするから、私が思っているほどお節介ではないのかもしれない。
今日は連休の中日だったためか、連休中に一緒に過ごしていた子ども(2才)に話しかけるトーンで高校生達にしゃべってしまった。
「連休の中日に学校(仕事)なんて! 『遊びの時間』にした方がいい!」と妹が言ったので、まったく大賛成の私は授業でDVDを流したのだった。
現代文の授業で今読んでいる美術作品に関連する……『びじゅチューン』(井上涼、NHK)!
だからまあ「勉強」ではあるのだが、そんなことはどっちでもよく、『びじゅチューン』って大好きだ!
デューラーの『1500年の自画像』という作品。真正面を向いた自画像は、この作品が史上初めてなんだって。たしかに、他の画家たちの自画像は横顔だったり、目線がそらされていたりする。それだけに、デューラーの自画像からは、すごい「自意識」や「自負」を感じる。画家としての。
例によって、やりたい放題の井上涼の手にかかれば、ロン毛でひげで濃い顔の、正直いまいちピンとこない昔のおじさん(デューラー)はポップに踊り、躍動する。
なぜか耳から離れない「JI・GA・ZO! JI・GA・ZO!」のフレーズが流れるに任せ、教室でみんなはただぽかんと画面を見つめるばかりだ。
井上涼大好き。自由が本当に大事。
そして、このDVD BOOK は、番組同様、「かいせつ」が付いているのが最高!
そこで、
「じゃあ次は『かいせつ』をみましょうね~」
と言い、クリックしてからハッとする。
あ、子ども(2才)に言う言い方で言っちゃった。
いやー、やさしいよなあ私。言い方がやさしいんだよ☺
🐒
2才の子どもはしゃべらないのだが、そしてそれは周りの大人にとってほんの少し心配なことではあるのだが、本人はいたって元気だ。身内びいきかもしれないが、本当に一日ごとに深度を増して、こちらの言葉がわかっている様子を見せる。
最近は、「うん」をはっきり声に出すようになった。
子どもと私の母と私の3人で買い物に行った際、
「Aちゃん(子どもの母のこと)、電話かけても出ないんだけど、家で待ってる間に寝ちゃったのかな?」
と聞いたら、子どもが「うん!」とはっきり答えたので大笑いした。
知っているのか知らないのか、万事その調子だ。相づちを打とうとしているのがかわいい。
子どもは、しゃべらないがこちらの話す内容はわかっており、自分が具体的なことを伝えたい場合は、指さしとジェスチャーを最大限に駆使する。
たとえば、私が忘れている「お風呂場の準備の手順」も、子どもは浴室まで一緒についてきて教えてくれる。
給湯ボタンを指さして「ンー!」(「フ」と「ン」の間みたいな音)。
浴槽の栓を指さして「ン―!」。
洗い場に敷くマットを指さして「ン―!」。
足ふきタオルを指さして「ンー!」。
使い終わった浴室用長靴を指さして「ンー!」。これはしまいなさいということ。
言葉が出てこないことをもどかしく感じるのは、子どもの年齢の「平均」と比べているからなのだが、そうでなかったらどうだろう? と考える。
「めぐみさんは、Sちゃん(子どものこと)にしゃべってほしいの?」と友達に聞かれたことがある。
そう言われるとよくわからない。
子どもはしゃべりたくなったらしゃべり出すような気もする。
このままでもじゅうぶんに愛らしいし、ただしゃべらないだけで、「理解」や「思考」という面は着実に駆使されているような気がする。
子どもが好きなテレビ番組に、『おさるのジョージ』がある。
「ジョージが観たい!」は、片手をひょいっと頭の上にあげて曲げ、猿のジェスチャーをする。リモコンを持ってきたり、テレビを指さし「ン―!」と言いながらそれをするのですぐにわかる。
猿のジェスチャーは妹が教えたらしい。
妹は、子どものジャスチャーをほぼ100%理解する。
子どもはしゃべらないだけで要求はたくさんあり、それを手控えたりもしないので、一日中わりとよく「ンー!」とか「ファー!」とか言っている。「ファー!」は嬉しい時や感動した時の歓声だ。
外出する時に車(トミカのおもちゃ)を持って行きたいとか、でもそれが見当たらないとか、『パプリカ』が踊りたいとか、今踊りたいからその間車を持っていてほしいとか。
願いが叶わないと、子どもは延々と訴えてくる。妹は大体一発で当てる。
それは、まったくおさるのジョージの同居人である黄色の服を着たおじさんと同じレベルだ。
ジョージの発する言葉の様子も子どもと一緒。
私は感嘆して、「え?! 今のでわかるの?! ジョージと黄色い服のおじさんじゃん!」と言って妹を笑わせるのだが、妹は、「それでもわからない時がある」と言う。特に、子どもは成長してきて、だんだん言いたいことが複雑になっているため、それを伝えるのは難しいし、汲み取るのも難しく、「伝わらなさ」を実感するらしい。
見ているかぎり、妹は子どもの習慣や経緯からその言葉を推測していて、子どもをよく見ているし共有しているんだなという印象だ。
それでもわからないことがあるなんて。
おもしろいことに、子どもは妹が教えたわけでもないジェスチャーをする時もあるという。
たとえば、本当においしいものを食べた時、左手を頬っぺたの横で開いてひらひらさせる。にこにこしているからよくわかる。自分で発明した手話みたいだ。
妹たちが相談に行った先では、臨床心理士の人が子どもの様子を見てすぐに、子どもが言葉を「理解している」ことがわかったそうだ。
こちらとしては、それだけでも安心する気持ちだ。
原因はわからないが、なかなか「発語」し始めない子どもが増えてきているらしい。
臨床心理士には、「無理に発語させようとしないこと」、「話さなくても理解しているから『わかっていない』と思わないこと」と言われたそうだ。大事な教えだと感じる。
人に興味がある性格みたいですね、とか、妹もパートナーも、子どもとのかかわり方がとてもいいと褒められたらしい。
ファーーーーーッ!!!!!!
それはもうやっとホーーッとひと安心だ。
一生懸命やっていることに対しては、そうやって言ってほしいものだし、親たちは経験が無いことを不安を持ちながらもやっているという状態だったから、そういうことも含めて、認めてもらえてよかった。よい専門家に遭遇できてよかった。
そんなこんなで、連休中子どもに対して自然とやさしく話しかけていたから、高校生にも適用された!
これは他の家族に対しても自然と適用されていて、子どもに対して言うのと同じように、「ありがとう」とか、「ごめん!」とか、わりとすぐに、そして多めに言っている(あくまで自分比です)のと同じかもしれないな。無意識だけどね。

(熱いとわかっているので触らない)
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?