カムカム・卒業式🌼
卒業式に行った。
着ていく服がないから行けないなと思っていたが、行きたくなって買うことにした。
日曜日に友達と会った時、モールの中のniko and…で黄色い花のカーディガンを一緒に見てもらった。満場一致でこれさえ着ていればどこへでも行ける! って形と風情のカーディガンだ。クリーム色の厚手生地で、首元と袖口と真ん中にグリーンの刺繍のあるレトロ風。ボタンじゃなくて何か金具。
夜、ネットで調べて組み合わせを考え、翌日HEPのniko and…に行って買った。
水色のサロペットも買った。
中に着る白いカットソーも買った。
試着したらとにかく春の姿で、こんな人が居たらいいだろう! と思った。
🌼
卒業式の日。
およそ2ヶ月ぶりに学校に行った。
金髪で行くのは初めてだ。
靴をはきかえていざ、校舎に足を踏み入れる。遠目で見た職員室は……黒かった!!
みんな完全に黒いスタイル! 黒服! 礼服!
怖くなって職員室に入れず、トイレに行った。
こうなることはわかっていた。
ただでさえ金髪。
この学校の卒業式に行くのは初めてだったけど、『出席される教職員は略式礼服でお願いします』という文言を、去年か一昨年かの教員連絡ページで見た気がした。
去年と一昨年は、卒業式に行くという考えが浮かばずに過ぎていった。
今年はすべての担当授業が3年生だったし、中には1年生の時から知っている子もいる。それで、卒業式での作法やふるまいはわからないものの、ちょっと行ってみようかなと思ったのだった。
「略式礼服」のバリエーションがよくわからなかったが、クリーム色の生地に黄色い花のカーディガンではないことはわかっていた。水色のサロペットでもないことも。(サロペットは、カーディガンの前を金具で留めているのでそうとは見えません、念のため。)
家で探したら、何年も前に所属していた別の学校の卒業式のために買った黒いツルツルした服の上下はあった。でもやだな……と思った。寒いし面白くない。その時は、卒業式に出席するという義務かつ仕事のテンションをあげるために新しく買ったのだが、中途半端に周囲に合わせたからそういうことになった。服は悪くない。でももう着ないから、必要な人にあげたい。
🚾
ひとまずトイレを済ませようと思ったら、サロペットってトイレめんどくさいスタイルなんだね!!! って初めて知る。
コートからカーディガンから全部脱いでする。カーディガンの前側の金具が、留めにくいが外れやすいことも含め、個室で笑えてくる。
まあいっか。こういう人がいてもいいだろう。
👖
意を決して職員室の後ろから入る。誰にともなく曖昧に頭を下げながら、さっと窓際にある非常勤講師専用の座席に向かうと、仲良しのおじさんがいたーーーーー♡よかった♡
「みんな黒いんですけど! 私だけ、どうしよう!」
と、わかりきっていたしそうであっても出席するくせに泣きつくと、おじさんは「専任(正社員)じゃないからええやろ。俺もネクタイ黒じゃないで」と言ってくれたから、あーよかった。本当はただ口に出しておきたかっただけ。平気でやってるんじゃなくて、そういう不安を持ちながら来てますよと口に出したら味方になってくれるかなと思っただけ。慰めてほしかっただけ!!!
略式礼服で構成された集団の輪や卒業式の雰囲気を、壊したり乱したりしてはいけないかなという気持ちもあった。
でも、そんなことで壊れたり乱れたりするものかとも思った。行きたい気持ちのある人が行って祝うのが大事だろう。大事な場だと思ったから私もniko and…で服を買っておしゃれして来たのだからいいような気がした。
👗
ところで略式礼服と喪服は同じなのかな? と、女の先生達の服を見て考えた。喪服なら、私にも母に買ってもらったのがある。喪服でよかったのか。でも、喪服で卒業式に行きたいとは今後も一切思うことはないだろうという自分のこともわかった。
喪服のようにも見えるみんなの略式礼服は、とにかく全部同じに見えて、どこで自分を飾り、どこで私だということを判別してもらうのだろうと思った。ちょっとしたウェスト部分の切り替えなどで? 個性を? おしゃれを? かわいさを? 出すのだろうか。よくよく見たら、細かい違いやこだわりがあったりするんだろうか。あまりに自分のことばかり考えている私は、自分と人々との違いが目に痛すぎてよく見ることができなかった。そういう自分はやはりとても傲慢だという気がした。
後からやって来た他の非常勤講師の女性達も、皆当たり前のように略式礼服喪服だった。そんなこと、みんなどこで学ぶのだろう。結婚して子どもを産んだら行政などから通達が来たりするのだろうか。
👔
職員室で時間が来るまで待ちながら、略式礼服喪服オンリーの「教員席」に黄色花女がいることを想像してみる。
変だけど悪くない気がした。
悪くないけど変な気もした。その交互の思考に捕まりそうになったので、考えるのをやめた。
来る前は、自分の楽しみのために行くのだから別に「保護者席」でもいいと思っていたけど、やっぱりせっかく来たのだから、生徒に「いるよ!」と知らせたい。自分から身を引くのはやだな……と思った。
もし、会場の入り口で、誰かに「教員席は略式礼服喪服オンリーなので遠慮してください」と言われたとしたら、したがうことにしようと決める。
外に出て体育館に向かう。まぎれもない快晴だった。卒業式は毎年晴れている。すばらしいことだな。
🎓️
色んな先生に会ったが誰にも止められることはなく、体育館に入って、無事に教員席に座った。
体育館はギチギチで隙間がなく、教員席はあんまりにも隅っこだったため、誰にも見えない気がした。それでも、近くの子にチラッと見られたからにっこり笑って返したら知ってる男の子で、来てよかったなと思った。
歌はなく、ブラスバンド部の演奏で式は進んだ。
表彰される生徒が名前を呼ばれてその場に起立し、拍手をもらうスタイル。
卒業証書は代表者が受けとる。
定型で非接触型の卒業式だった。
祝辞があまりにも定型なので思考が飛んで、私はまた服のことを考えていた。みんなもたぶん別のことを考えていたと思う。
完全に私だけ別の服を着ていたが、居心地はよくも悪くもなく、だからと言って略式礼服喪服を着てくればよかったとも思わなかった。
せっかくだから、みんながこの黄色い花のカーディガンから光を受け取ってくれたらいいと思ったけど、あのギチギチぶりでは、生徒から見えなさそうだった。私は自分の役割を果たせなかった気がして少し落ち込んだ。
祝辞が続くなか、あることに気付いてハッとする。この調子だと、私は他の人の葬式はともかく、母や父など家族の葬式に喪服を着ていくことができないんじゃないか。着たくない。着たくないのだ! これは困ったな……。
そんなことを考えていたら、あっという間に卒業式が終わった。
うながされるまま外に出て階段の両側に立つ。会場から出てくる卒業生を教員達が拍手で見送るのだ。生徒と顔を合わせることのできるチャンスだった。けれども、一瞬でみんな通りすぎて行き、あんまり目が合わなかったな。
一人だけ、私を見付けて、「先生、髪かわいい!」と言ってくれた女の子がいた。こういうふうに時を逃さず言葉を発することができるってすごいし、そうそう! 待ってたよ! と思った。
👞
職員室に戻ると別の非常勤の先生が来ていた。当然のように略式礼服喪服を着て来ているんだな~と思って眺めていたら、近寄ってきて「ブラックフォーマルじゃないから出席したらあかんかなと思って、職員室で卒業式のライブ配信を見てました」と言う。
え?! 今着ているそれはブラックフォーマルではないの? ツルツルしたその黒い服上下と、ブラックフォーマルの違いは何?
そして、それをブラックでさえない私に言う?! どういう心情????!!!! 私のこと見えてる???
彼女はなおも、「今日は保護者の人たちが来てるから、ブラックフォーマルじゃないのに校舎をうろうろするのは気が引ける……」と言い募っていて私はさらに困惑した。
「私のこと見えてる???」と言えばよかったけど、つい反射で相手の側に添ってしまう癖により、「あ~~……残念でしたね」という受け止めの態勢で聞いてしまった。すぐそうしてしまうのだが、よくないのだろうか? この人もほんとは卒業式に出席したかったんだろうな、と察知して寄り添ってしまうのだ。じゃあ出ればよかったじゃん! ブラックではあるのだから! って思うけど、「ブラックフォーマル」の壁にこだわって出席できないことも、後からうだうだ言うのも、本人の問題だ。だから放っておけばいい。でも、私は相手の辛さの方に寄り添ってしまう。私のこういうところが相手に無意識にいじめさせるのかもしれないなと思う。
その人の希望で、その後、廊下を一緒にうろうろしに行った。生徒と最後にしゃべったり写真を撮りたいんだろうなと思った。私一人だったら恥ずかしくてしなかったけど、せっかくだからついて行った。
会えた子もいたし、会えなかった子もいた。
全先生に対してフランクにしゃべりかける男の子が私たちの服装を見比べて、それぞれに対して「○○先生は、そうやろうな……」と言ったのが面白かった。来てよかったなと思った。
美容院の予約をしていたのでお昼前に学校を出た。
探したけど会えなかった子もいて、名残惜しく感じた。式の時に顔は見たし、まあいっかと思うことにした。
👼
美容院で洗いざらい話したら、美容師さんに「そもそも金髪なのに、服が人と違うことでくよくよしてたんですか? 」と言われて、たしかに…と思い、一緒に大笑いした。そしてさらに明るく染めてもらい、パーマをあてた。
☕️
卒業式なのに、服のことばかり考えていた1日だった。
私にもわざわざ感謝を言葉にして伝えに来てくれる子達がいてとても嬉しかった。そんな尊い想いや行いと比べると、私は自分のことばっかりだ。
そういう情けなさも全部、授業でみんなに話したいなと思った。でも、もうできないことが今ようやくさみしかった。
平気でやってるわけじゃないけど、やりたい気持ちや、やりたくない気持ちの方が大きくてやってしまう。
落ち着いて振り返ってみると、誰にも咎められたり、止められたりはしなかったことにやっと気付く。祝いの気持ちをもってやって来たことを尊重してもらえたような気がする。
ブラックフォーマルの世界のなかに私が居てもそのままにしておいてくれたことに、ありがたいという気持ちがわいてきた。これはもしかしたら私が知ってる世界とは少し違うのかもしれない。
今度学校に行ったら、ひとまずおじさんたちにお礼を言おうかなと思った。
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