ワクチンと年金ぐるぐる🐕️
ワクチン一度目の接種は、「ものすごく痛い!」と思う一瞬があっただけで、何と言うこともなく終わった。
打つときは直前に、茶髪でベテランそうなカッコイイ女性の看護師さんに、「痛いですか?」と尋ねて(注射の時はいつも聞くことにしている。そういう人は多い気がする)、「まあ、針さしますからね~。めっちゃ痛い、って思っててください」とニカッと笑顔で言われて、本当にめちゃくちゃ痛くて体感一秒もかからなかったけど「めっちゃ痛いです……」と言ったら、さらなる微笑みのもと「頑張りましたね~」と、一瞬ためらいながらも子どもに言うみたいに言われた。
この人好き! と、私はそれが言ってほしかったのかもしれないですっ! と、そうだこれはずいぶん頑張ったってことだぞ! ということを同時に思った。
だいたい、その前の問診では、おじさん医師に「打つのにまったく心配のない問診表ですね!」とにっこり言われて送り出されたのだった。
私はすべての項目に「いいえ」と答えていて、過去に数回、薬や魚を食べてジンマシンが出たりしたことはあったけど、いつもは(気分によって)こだわって記入することもあるそれらのことを、なんかもういいやお薬手帳も忘れちゃったしめんどくさい…と思った結果のオール「いいえ」だった。
お医者さんと話せるなら言ってみようかともよぎったけど、もういいや(再)だった。
私はよくわかっていないけど、こんなに全国規模で(というか全世界で)打つことに決めたワクチンが、ほぼ全員に対応するように考慮されていないはずがないし、そのための実験や検証や研究が行われた結果なのだろうし、そんななかで私の数度のジンマシンについてを、確認するのもちぐはぐな気がしたのだと思う。
いや、単にめんどくさくてもういいや(再々)なだけです。
こんなに知らない場所で、知らないお医者さんに急に言うの?……とも思ったのかもしれない。
自分が説明できる気もしなかったし、説明したいことが何なのかも、そもそもわかっていなかった。
とても疲れていたというのもある。
その日は15:30に授業が終わって、16:06の電車に乗らないと間に合いそうになかったから、いつものようにぼーっとしていられなかった。
万が一、副作用で翌々日に休んだ場合の自習課題プリントを160人分両面印刷しなければならないのに(そもそも自習なのに課題ってなに?…でも、そうしないと休めない)、その日に限って印刷機が取り合いで、チーム(教科)で対抗してくる相手に対して個人の私は全然勝ち目がなく、かなり焦った。
ショッピングセンター内に、「ワクチン接種会場」の表示はあちこちに出ていて、ちぐはぐで、でもとてもわかりやすかった。(私は選挙の「投票所」を想起した。商業施設と公的機関の組み合わせ。)
会場付近にふらっと近寄っただけで、シルバーさんの係員の人がサッと寄ってきて「ワクチン接種の方ですか?」と聞いてくれたけどその迅速な対応にひるみ、さらに会場の記号を尋ねられてあたふたした。
会場はa、b、cに分かれていて、予約時に割り振られた(たぶん自分で選んだ)のだったけど私は覚えておらず、届いたメールにアクセスするのも今さら面倒で、「たぶんaだと思います」と本当にたぶんaだと思ったので言い、検温され、問診票をもらった。
会場の中には無数の椅子が置いてあり、往時は混雑して大変だったんだろうなと思われた。その時に行かなければならないとなったら私はもっとパニックで不機嫌で、たぶんこのルートの途中で棄権しているだろうとわかったから、今でよかったということと、こんなに閑散としているのならもう打たなくてもいいんじゃないかな? ということもよぎって混乱した。
問診票を記入するコーナーで書いていたら、隣にめちゃくちゃ素敵で派手なシャツを着た金髪でショートカットの女の子が座ったからかわいくてチラチラと見た。
よく考えた結果、全部「いいえ」にチェックして、かわいいシャツの女の子に後ろ髪をひかれながら立ち上がり、接種券と身分証を見せるコーナーをクリアして、予約時間を言って名簿を確認されるコーナーで、「aじゃなくて、c会場ですね」とやさしく言われて、すみませんと言いながら、エレベーターを上るか降りるかして(忘れた)、c会場で再び検温されて、会場間違えましたと言ったらおじいの係員に笑われたからムッとして入場し、いくつかの関門を突破して無事に注射を終えた。
何も知らない私は、注射後に「15分安静にする」部屋に行くことも初めて知り、少し感動した。
今月の「文学界」に作家の津村記久子さんも書いていたけど、だいたいどの関門にも多すぎるほどの係員が配置されていて、とにかく行き届いているのだった。
当たり前かもしれないけど時にはまだ当たり前じゃないから書いておくけど係の人たちはみんな制服なんかじゃなくて、ラフかおとなしめな服装で、でも女性は秋色オシャレにしている人も多くて、それだけでカラフルで安心、ぼんやりいいのだった。彼らは決められた場所で決められたセリフをしゃべっているだけだったけど普通で丁寧で、そもそも受診者が少ない時期と時間だったからスピードも求められていないのに迅速だった。(私は注射とワクチンが怖いので不機嫌で、頻繁な声かけに、したがうだけであまり対応できなかった。そういう人も多い気がするから、「丁寧」で接しても「丁寧」が返ってくるとは限らない仕事場って気がした。)
「安静にする部屋」ではエアコンが壊れていて、巨大な扇風機がゴーゴーと稼働していた。
係の人たちは隅の椅子に座り、静かに、接種済みの安静者を見守っている。
私が傘を落としただけですぐに立ち上がり、駆け寄ってこようとする行き届きぶりだ。
壁際には車いすが畳んで置いてあり、接種後に渡された紙には、ここには医療関係者が待機してるから気分が悪くなったら遠慮なく言ってくださいとか、体調に変化が現れる例と理由、心配はないことも書き添えられていた。「大規模接種」とはこういうことなのだと思ったし、考えうる限りや、できる限りのことを準備して対応しようとしているとわかりやすく示されていることも知った。こういう時に、こういうふうにするのか。普通で当たり前だけど、ありがたいシステムだった。それを知ったのはよかった。
なんかわからないけど、何か起きてもここにこんなにも人がいるのだったら大丈夫だと思えた。
そう思えることはすごく大事だし、本当は、こういうことをもっといろんな場所で思えたらいいのにと思った。本当はそれが理想。
翌日は家にいて、世界一安静にしていたけど、腕だけが痛くて、頭痛も倦怠感も発熱もたぶん無かった。
一回目はね、とすでに終えた人には言われたけど、私はこれからも一回ずつこうして引っかかったことに立ち止まって考えながらいくのだろうと思う。
翌々日は体調も機嫌も悪くなかったから普通に出勤して、授業では、印刷しておいたプリントをただ配るだけにした。
自分は授業せずにただの自習みたいにするのは罪悪感があって、途中ですぐにしんどくなったけど、ワクチンのせいかもしれなかった。
そんなことでいいのだと思った。
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