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お墓でピクニック

連休に名古屋に帰った時、じいちゃんのお墓参りに行ってよかったということを、戻ってきてからも時々思っている。

何かを「した」ことで救われているのは、大袈裟な意味でなく私の方なのだろう。

行かなきゃ、電車で一人で行くのがどんなにさみしいか全然知らないままだった。

天気が良く、緑の多い公園、木もたくさんあって気持ちの良い場所だけど、車でみんなで行くから楽しかったんだな、一人で電車とバスなら街外れの郊外、バスの本数も少なくてやるせない気持ちになる。墓は、行っても本人に会えない場所。

墓には15年前に亡くなった祖父が入っていた。

祖父は生前、住んでいた古い家を売って市営団地に引っ越し、墓地を買って墓を建てた。

祖父の世代ではそれがスタンダードなのかどうか私にはわからないけど、後に残る人たちに何ひとつ雑事を残さないあり方は見事だと思う。

思いつきのピクニック感覚で、「お墓参り行く?」と聞いたら、母が「そんな嬉しいこと言ってくれるなんて!!」と言うのでびっくりした。

私のほうこそ、そんな嬉しいことを母に言われたのは初めてじゃないかと思った。

車で行こうよと言ったら絶対ダメと言われたから電車で行くことになった。

車は、妹が一緒じゃないとダメらしい。母も自分一人になってからは電車で行っていた。

一緒に行ってみてわかったけど、母は電車がずっと地下を走って、窓の外が暗くて景色が何も見えないのが嫌らしい。

市内の中心部からどんどん離れていく電車なので乗客が少なく、ずっとすいているのが私は気に入ったけど、この場所に住んでいる人とそうでない人は見える景色が全然違っているのだと思う。

母は、「二人だったらあっという間だった!」と言っていた。

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地下鉄のへんな川柳。

地下鉄を降りた駅には、どこにでもあるショッピングモールが直結していた。

モールは地域が違ってもだいたい似通っているので、私は直近に行った大阪の地下鉄の最終駅直結のモールを思い出した。

ここやあそこに限らず、そんな駅とモールは誰にとっても山ほど思い当たるだろうなと思う。それぐらい、景色が同じだ。

モールが直結した駅は、モールだけじゃなくて駅自体もよく似ている。小ぎれいで、銀色で、空間が多い。無機質で、何の感情も感傷も拒否するって感じ。

どこにでもあるショッピングモールは巨大で、何でもあるようで、ほしいものは何も売っていない。

私の理想のピクニックのために必要なお饅頭が売ってる和菓子屋(=普通の和菓子屋)もない……!

ので、どこにでもあるおいしいバウムクーヘン屋で、バウムクーヘンの切り落としを買った。

広大なモールでやっと探し当てた花屋で花とお線香を買った。バケツに入って売っている仏花が一律の値段でとくにかわいくもないうえに墓の仕様上二つ買うことになっているのは不思議だ(変だ!)と思い、母にねだってかわいいプチ花束を2種類買ってもらった。母は最初、「お墓に仏花でもなくこんなバラバラなのいいのかな……」ととまどっていたけど、プチ花束の方がずっとかわいいのですぐに好きな花を選んでいた。

モールの隣のロータリーでバスを待つ。バスはたった今行ったばかりで、次は30分後らしい。

これは無理!

ただ座っているのは退屈だし、仏花を持って集まってくる高齢の人たちのなかでベンチに座っていることもできなさそうで、私は一人でモールに戻って本屋を探した。

けど遠い!! モールは二つの棟に分かれているらしく、本屋は別棟の地下にあり……モールの構造どうでもいいよ!!

てことで、エレベーターをいくつも無意味に乗り降りして、各所からのバスターミナルへの連絡ルートだけ妙に熟知し、疲れて母の元に戻った。

バスの時間を調べておけばよかったね……と母がしきりにすまながるのは、私の不機嫌が漏れてしまっているのかもしれなくて悪いなと思う。

なんか老夫婦の夫みたいじゃん。

バスは10分ぐらい走って「公園」という名の広大な墓地に入った。

墓地の中をぐるぐるとめぐり、何ヶ所か停車して乗客を降ろして行く。

お彼岸なのに墓地に向かう乗客が少なくて、みんな車で来ているのか? と思ったけどそうでもなく、単に総合的に人が少ないだけのようだった。

3年か4年以上も来ていなかった私には、どのカーブを曲がっても現れる墓の列と、小高い丘と、ベンチ&背の高い木のセットと、ところどころに設けられた東屋と水道の景色はみんな同じに見えた。

それはさっき見たモールとは違う「同じさ」だと思っていたけど、書いていてわからなくなってきた。もしかして同じかも?

墓の列にはそれぞれ記号と番号が組み合わされた札が立っているからそれは番地みたいで、これは死んだ後の家で住所ってことなのかもしれないけど、そんなのは何か安易で簡単すぎてつまらないなと思った。墓のこと全然わからんし、どう思ったらいいのかもわからんままだ。

終点で降りて、「こっちこっち」と言う母について行く。「こんなに似ているのによくわかるね」と言うと、「最初は迷ったよ! 違うバス停で降りちゃって、地図を見た」らしい。

こんな場所でポツンとひとり取り残されたら途方に暮れる。その時の母のことを想像したら切なくなった。

ピクニックをしようとねらっていた丘の上のベンチには、なぜか上半身裸のじいさんがいて、私も母も無言でウッと思った。

日陰でもなく、ベンチにはさんさんと太陽が照り付けていたから、もし空いていたとしても座らなかっただろう、ということにした。

お墓には、何か月か前に来た人の名残りの朽ちた花がささったままだったから、掃除道具を持って行かなかったことに母は焦りながら、ポケットティッシュを水に浸して無理矢理掃除していた。

私は「持ち物が増えるし、電車の人は掃除免除じゃな~い?」とのん気に言っていただけで、手が汚れながら汗だくで墓を拭いている母に日傘をさしかけて見守った。

つくづく、孫の位置って気楽でいいなあ~。

そして、きれいになった墓に花を挿して、みんなで写真を撮った。

私はその日、祖母のお古の柄ブラウスと伯母が若い時に作った柄パンツという、派手派手で柄マニアな服装だったから、絶対に写真を撮りたい! と思ったのだ。

母も笑っていたから、私は今日娘(孫)としていい仕事をしたな~と思った。

それで、近くの東屋でバウムクーヘンを食べて、バスに乗り、モールでうどんを食べてスカートを買って帰った。

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