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私の主体性とは 2025/2/2

なんか忙しい。
学校が「学期末」かつ「学年末」。
さらに3年生の卒業確定試験。
それにともなう成績処理。
ほかの学年は通常授業なので、両方担当している身だと常に頭が混乱している。

なんで成績を付ける作業のことを「成績処理」と言うのだろう。「処理」って「処分」みたいだ。
学校世界の独特な言葉。
生徒は自分の成績が「処理」されているとは知らないだろう。

「成績処理」は時間がかかり、細かくて、間違えないために数字を何度も見直すのですごく疲れる。
さらに変な言葉、「主体性」(でた!)を「評価」(ぎゃ!)する必要があるので、一人ずつの授業中の様子を思い出したらちょくちょく腹が立ち、感情的に点数を付けた。

・寝すぎ。起こしても起きない。死んでいるのかも。
・うるさすぎ。おしゃべりをやめない。

みんな0点だっ!!!

💤😪💤😴💤

翌日、一緒に組んでいる先生が私の付けた成績をチェックしたらしく、言いづらそうに「ちょっと辛(から)いな……」と言うから話し合い、全員少し底上げした。
5クラス分の成績を計算し直して、手帳を修正テープで消して書き直し、入力し直すのはめんどくさすぎた。何段階踏むんだ。アナログ。
それはともかく、感情的に1回目の成績処理をするのは私にとっては必要な行程だったんだ!
もっと普段から感情的に爆発していればよかったのかもしれないけど。

私はフリーの出入り業者だから(非常勤のこと)、何か言われたら最終的には変更するけど、その前に話し合ったり、譲れない点を主張したりする過程が必要なのだった。
その途中で、一緒に組んでいる先生から、「○○先生(私のこと)は、よく生徒を見てくれているから」と言われて、嬉しさと居たたまれなさに襲われた。

そんな風に思ってくれていたなんて!
でもそんなに完璧じゃないよ。全然わかってないこともある。
だいたいの授業中の様子は見て把握していたつもりだが、一年間を通して名前が覚えられなかった生徒も多くいる。肝心の名前。名前って肝心じゃん。
この学校の慣習らしく席替えがなく、生徒たちは一年間番号順に着席していたため、私は座席で人をなんとなく覚えていただけだ。申し訳ない。バレたくないがきっとバレている。恥ずかしい。言い訳としては、毎回授業に必死だったから、だが、通用しない気がする。
自分から生徒に話しかけに行ったことも、「機会があれば」程度だ。わざわざ授業前に早く行って話しかけたり、行事を見に行ったりしたこともない。話しかけられるのを待つばかりだったのかも。
私の「主体性」も0点だな。でも、人に「0点」って言われたらむかつくな。
主体性なんて自分で振り返るならともかく、人に付けられるようなものじゃないな。

今の私の自覚ある「主体性」は、休んだり遅れたりすることなく仕事に行くことと、百貨店からスーパーまで、チョコレート売り場をくまなく見てまわることだけだ。

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「ててて日記」を読むと、もしかしたら、一人だけど一人じゃないなあって思えるかもしれないです。 ほんの時々、これは知らせたいぜひ! っていうことを、急に書いたりします。 最近は、学校の話が多いです。 好きなのかも。 あとは、家族の話、生き方についてや悩んでいること…。 購読したいけどシステム的に(?)難しいなどの方はお知らせください~。

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