かわいい神様
今週は学校がお休みだったので、2日間、友達のお店でアルバイトをした。
デニムの生活雑貨のお店の「店員さん」だ。
制服もきびしい決まりもなくて、友達(店主さん)は、私に、「いつも着てるみたいなオシャレな服で、いつも通りほんわか居てくれたらいいよ~」と言ってくれる。
それで、私は犬大集合のブラウスを着ていった。
お店で久しぶりに会った友達は、長かった髪を短く切ってパーマをかけていて、私は一目見てハートを撃ち抜かれ、「かわいい!!!」と言いながらずっと後をついてまわった。新しい髪型の友達は、外国の人か猫みたいで、かわいくてかわいくて、「かわいい」の光が全身からあふれていて、ずっと見ていたいし、くっついていたくなったのだ。
この二日間、ずっとこんなにかわいい人と一緒に居られるなんて、なんて幸福なんだ! と思った。
かわいい友達のお店で売っているデニムの生活雑貨はもちろんすべてかわいいから、私は店頭に立ちながらすべての商品をなでて、使うことを想像し、何回も帽子をかぶり、かばんを肩に下げ、エプロンをつけた。
そこは、私が普段居る場所とは全然違っていて、そこに居るだけで、私の中に本当は備わっているはずの回路に明かりが灯り、なめらかに通っていくのを感じた。
いつもいる場所の私もよいけど、そこでは引き出されないものや、発揮しきれないもの、発見されないものもあって、今居るこのかわいい場所はそういうものを無理なく、でもがんがん刺激してくるのだった。
百貨店の一角がお店の場所だったから、たくさんの人と会った。
隣のお店の人や、百貨店で働く人、それからもちろんお客さん。
何度、私の着ている犬大集合のブラウスが「発見」され、「なにそれ! かわいい!!!」とほめられたことか!
そして、その場所には、ほかにも「かわいい」ものはいっぱいあふれすぎていた。
隣のお店のアクセサリー屋さんの女の子は、一目見た時からかわいかった。
ピンク色の長い髪を大きな黒いレースのシュシュでまとめ、テールの部分をいくつかのゴムでしばっていた。絶対にしゃべりたいし、「かわいいですね!」って言いたい、と思った。
それで、ぶらぶらと歩いて行って、アクセサリーを探すのを口実に、話すことができた!
エレガントで個性的なピアスやイアリングはすべて自分(かわいい女の子)が作っているのだと聞いて、ハートを撃ち抜かれる。
アーティストなんだ! そりゃあかわいいわけだよ。
不純(いや、もっとも純粋かも!)な動機で近づいたのに、問われるままに、
「ピアスも、イアリングも、金属の部分が耳に触れると皮膚が荒れやすくて、それが悩みの種なんです」と話すと、
「イアリングの耳に当たる部分の金具を、アレルギーを起こしにくい素材のもので覆うから大丈夫かもですよ」
と言ってくれた。
春みたいに白い三日月の形の上に、水晶がのっているピアスを買った。イアリングに変換する作業をしてもらっている間、少しお話ができてとても幸福だった。
近くで見るとますますかわいくて、お化粧もかわいくてオシャレで感動した。
それで気付いたけど、「自分をかわいくしていること」もかわいいのだと思った。センスだけじゃなくて、かわいくあろうというその意志や、それを徹底的に実行していることがかわいくて素敵だ。それなら、その人の作品(商品)がかわいくないわけがなく、私はそういうものに圧倒されるし、尊敬するし、その世界にふれてみたい、と思うのだと思う。
「かわいい」の絶対的安心感というか、その意志やセンスへの全幅の信頼というか、そういうものをその女の子の全身から感じた。
だから私はかわいい人と話したいんだなー。
しみじみと、私はかわいい人からかわいいものを買うために生きて(働いて)いるんだなーと思う。
2日目は、買ったばかりのイアリングとイアカフをして行った。
かわいい女の子のお化粧に影響を受けて、久しぶりに、ビューラーでまつ毛を上げてマスカラを塗り、私にしてはバッチバチのアイメイクをした。
かわいいイアリングとイアカフが目立つように、久しぶりに髪の毛をくくった。
耳に付けたかわいいアクセサリーとバッチバチのアイメイクが、私にしきりに、「かわいい!」「うれしい!」 「かわいい!」と言うので嬉しくて、ニコニコのウキウキで出勤した。
こんな「出勤」が世の中に存在するなんて!
出勤してすぐに、かわいい女の子にアクセサリーを見せに行って、望み通り「かわいい! 似合ってます!」を強奪し、強奪したことに自分で恥ずかしくなりながらお店に戻る。
今日も女の子はかわいかったから、「今日もかわいいですね!」と言いたかったけど、ちょっと怖いかもしれないから後にしようと思った。
その日、お店には、歌うように絵を描くアーティストのcaves君が来ていた。
お客さんが買ったデニム雑貨に、ペイントアートをほどこすイベントをしているのだった。
caves君が店頭で絵を描いているのを見た瞬間、私はハートを撃ち抜かれた。
もうその場所だけ赤く光っている。そこには、caves君を起点に、赤い光が放たれていた。
それは、彼がこの日のために買ったという赤いセーターを着ていたからではなくて(「この日」のために服って買うよね~!)、存在自体がもう赤いのだった。強くて熱くて生きている光。
そうだ! 今日はcaves君が来る日! 私はかわいいアクセサリーとバッチバチのメイクと女の子に夢中ですっかり忘れていた。caves君が来る日。これはすごい日なのだった。
caves君は、てっぺんにプロペラのついたヘンテコな帽子をかぶっていて、「これ回してください~元気になれますよ」と言って頭を差し出してきた。
私が回すと、「あ、何か元気になってきた!」と言う。
「え? 私が元気になるんじゃないの?」
「違いますよ~。そういう効能はありません」
もちろん私は元気になった!
私はすっかり忘れていたけど、caves君は私が約二年前に出した本を買って、つい最近読んでくれたらしかった。
caves君は、「ユニコさんの本、めっちゃおもしろかった。図書館に持ってって読んだんですけど、笑っちゃって、図書館に持っていく本ちゃうかった!」
と言う。
何それ! 何そのうれしすぎる感想!
そうだった。私はあの本を笑いながら読んでほしかったんだ! そして、caves君は一年前に試し読みした時からもうゲラゲラ笑って読んでくれたのだった。
「パワハラとかいろいろ大変だったと思うんですけど、読むほうは笑っちゃって、めっちゃおもしろかった」
と言う。
なんだろうそれって……あの悲惨な体験の、いちばん幸福な成仏の仕方なんじゃないかな?
知らない人に笑ってもらえる。たぶん、セクハラ&パワハラ体験そのものに対して、じゃなくて、当時やその後の私の奮闘ぶりや、分析癖、溺れそうになりながら生きている様子とか、そういうことに対して、笑ってもらえたような気がした。それも、私よりも若い男の子に。もう友達だけど、まだ全然知り合ってもなかった時のことを、そうやって読んでもらえるなんて。
セクハラ&パワハラ体験から約三年が経とうとしていて、自分の本についても、すでに恥ずかしいような、子どもっぽいことを書いたような気がして封印している気分だった。もう私は新しくなっていて、変化しているし、未来に向かいたいのだからと思っていた。
それを、こうして、自分以外の人に大事にしてもらえるとは。それも、明るく、とても爽やかに。
caves君に、「最近、書いてますか~?」と尋ねられ、こうしてnoteにかろうじて一ヶ月に3本書いてることを言うと、「すごい!」と言ってくれた。
そうか、私は、caves君と「書く人」として出会い、今もそうやって認識されている。
いつもいる学校の世界から少し離れてここに来たら、それを知ることができた。
そして、私はその自分のほうにも戻したいと思った。自分のいる位置や、したいこと、ありたい状態の「確認」を、caves君が自然に一緒にしてくれた感じ。
caves君の赤の力はすごくて、私はただ引き寄せられるだけでなく、自分のエネルギーや「よさ」をわしづかみの勢いで引き出されて、内心ずっと、ワーッ!! と言っていた。
それは、caves君が赤いセーターを脱ぎ、緑の猫のTシャツになってからももちろん変わらず、その波動のようなものはもちろん私だけでなくみんな感じていて、近くのお店の店員さんも、「なんか彼、半そでになって描いていて、とっても気持ちよさそうだね!」と言ってきたほどだ。
そうだ、この人はこういう人だった。神様みたいな人。
友達いわく、「天使みたいな子」なのだった。
caves君は、自己紹介の看板として持参した自分の絵がリュックに入りきらないので、はみ出したまま電車に乗ってきていて、
「それがちょうど、「LOVE」って書いた部分だったんですよ~。電車でみんなに愛を伝えながら来ました。愛の伝道師や!」
と言っていて、神様で、天使で、かわいすぎた。
この絵は電池をいれたら光るらしい。見たい。
エプロンに描いてもらった。
ネコちゃんとcavesと、ALL GOOD。
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