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コンビニで未来人に会った話

しばらく何も書けないでいました。

何回かチャレンジしたけど、うまくいかなかったので、やめて、焦らずにいようとだけ決めた。

書けなくても書くことはやめないだろうということがわかったから、大丈夫だという気がした。
書けなくて書かないでいる期間も、自分が元気で健康であるということに変わりはなく、また、「書くこと」だけが私の健康を保証するわけでもないということがわかっているみたいで、そのことを私は信頼してみようと思った。
もちろん、ずっと書けたらよい(よかった)のだけど、私の場合は自分の「内面」と「書く」ことが直結しているので、「自分の感じたこと」にしたがう方がよさそうだった。


書いていない間も私は私だったので安心した。
そして、やっぱり書きたくなってきたからよかった。
それには、「この(noteの)場所がある」ということが大きくあったので、購入して読んでくださっているみなさま、ありがとう。

この数ヶ月来、つまり、「自分が健康で元気である」という自覚と実感を持ち始めてからずっと、私は幸せで、色んなことが腑に落ちているという感覚で生きているらしい。

それでも、本当はそうなのに、そのこと(「感覚」)と現実(「実際」)がズレたり、自分でわかっていなかったりして、少ししんどかったな~。
この1ヶ月間はそれの期間で、そのことが書けなかった理由なのかもしれない。

毎週金曜日は「音楽の日」で、授業で1曲流すのだけど、すでに「義務」のような気がしてきていて、自分で始めたこととはいえ、もう飽きたりしていた。

連休には実家に帰って、人々の相談に身を乗りだして答えたり、赤ちゃんを産んだ友達のもとに駆け付けて無言の夫を凌駕する勢いで出産の激務を称え、根深い「帝王切開の罪悪感」(自然分娩による「痛み」を経験していないと本当の出産とは言えないのではないかという呪い)を払拭しようと奮闘したり、
……とにかく役割を果たしていた。


この、「役割を果たしたね」というのは、妹から言われたもので、私のことをよくわかってくれている言葉だと思う。

そう。私は私の役割を果たしていた。
「書く」ことと、「先生」と、「人や物のすばらしさを見逃さず伝える」ことと、「ヨガ」。
たぶんそれらは同じ割合で私の「すること」や「役割」としてあるのだろう。
私が「健康」にできることであり、私が「健康」であるためにすること。

なんかそういうことがわかってきたんだな。

それでもまあいろいろと、飽きたり、急な寒さに崩れそうになったり、飽きたり、孤独に倦んだり、つまり飽きたりしていた。

ある日、とある都会の駅前でコンビニに入った。
電気とガスと水道の支払いを面倒がっていたために、私は合計4枚? もの振込用紙を抱えていた。
枚数が合わないな……。もしかしたら、電気ガス水道に加え、何らかの税金の支払い用紙も含まれていたのかもしれない。まあよい。

夏の間の妙に高額な電気代と、「クレジットカードではお支払いできないです」と断られたので、一度ATMでお金をおろすという段階を踏んでいて、私はすでにへとへとのようなうんざりのような、そのうえ滞納(ではないけど最初の期日は過ぎたかも)みたいな、支払い用紙を何枚も溜めこんでいるという管理能力の無さやだらしなさの体現のような気分で、アーハイハイ、だらしない人が来ましたよー今ここで一気に支払いをしますよーう、だけど「引き落とし」は嫌なんだってばずっとここに住むつもりはないんだからさ、払っていることはいちいち知らしめたいじゃんねえ誰に? 自分に? 「市」に? いやわかんないけど……。
そんで一人でそれぞれ何千円も? 払うのって? 何かもうもったいないし、とにかくだからー! 飽きたんだ!! ってすべてに!!


レジのカウンター前で、各種用紙を封筒から出すことこそしたけれど、あとはもうどの紙のどの部分が「支払い」の際に必要なのか自分でわかろうともせずに、次から次へと店員さんの前に置いた。
店員さんは、私のようなポンコツ客には慣れているからお任せした方がいいのだ。
私はポンコツなくせに警戒心が強いので、住所や名前など個人情報がバリバリ表記された「郵便物兼振込票」を、知らない人に無防備に手渡すのは危険だという考えもはたらくために(どっちだよ!)、家の近くのコンビニには行かないで、いつも遠くで支払っている。

そしてこの店員さんがすごかった。
警戒するわりに面倒くさがって封筒から出した紙をごっそりそのまま4通分差し出す私に、「こちらは個人情報なんでお返ししま~す」と瞬時に精査して不要な紙を私に返した後は、爽やかに、必要な紙だけ、枚数と内容を私に確認させながら読み上げて、テキパキ、ハキハキ。
私は確認の声に乗りながら合計されていく金額に間違いがないことをさらに一緒に確認してお支払い。
店員さんは、切れ端みたいな「支払いが済んだ証明」の部分を「なくならないようにホッチキスで留めときますね~」と4枚そろえてガッシャン。
私に渡した後は、返し忘れているものが何もないことを指さし確認して、一緒に頷き合い、「ありがとうございました~」。

2分もかからなかったかもしれない。

私がごちゃついた封筒4通分を抱えて自分を恥じる間も、各種支払いを溜めこんだ自分の怠惰にウンザリする間も、それにしても知らない人(店員さん)にだらしなく思われるんだろうなあと予期して耐える間も、男の人じゃなくて女の店員さんがよかったと思う間も、……一切無かった!!!!

私はただただその店員さんが作ってくれる流れに乗ってたたずんでいてよく、すべてに飽ききった中で警戒心を振り絞って「個人情報」の部分を守るべく注視していなくてもよく、「大人にしては」か「女にしては」かはわからんけども自分が「だらしない」のであろうことに苛まれなくてよく、カバンの中でどっかに行きそうな切れ端みたいな「支払いが済んだ証明」4枚分の行方に心痛めなくてもよいのだった。
つまり、普通に、シンプルに、〈自分の使った分の各種料金を支払う〉ということをしていたらいいだけ、という時間。

なにそれーなんなのその普通で当たり前の時間! と思った。
でも、それって全然実現しない世の中で、私は普段色んな神経をすり減らして各種支払いをしている。
自分の過剰な自意識がそうさせている面もあるが、「女」で「一人」だからそうせざるをえなくてしている側面もとても大きい。自分でももう気づかないぐらい身に付いてしまったけど。
「各種支払いをする」というだけで多大なストレスなのに、それに付随するあれやこれやで、この「普通のこと」(支払い)がとんでもなく肥大したものになる。

でも、このスムーズで快適な「支払い」が、現世では「普通」ではないことを私は知っているから、コンビニを出ながら、うわー、うわーと、何度も感嘆の声をあげていた。

だって、つまり、未来人に会っちゃった! ってこと!
いや、あれ、コンビニ店員じゃなくて未来人でしょ? どう考えても同朋。私と同じ未来からやって来たに違いない。うまく擬態しているけど、間違いなく未来人。
若かったな~彼。
やっぱり、未来人って若いのかしら。
男の子っていうのがいいね。

「コンビニ店員用のマニュアルの完璧な遂行」とか、「ちょっとした気遣い」とか、そういうのとは格段に種類が違った。
枠が違う。
彼は、自分で考えて自分で動き、自分でリズムを作って相手(他の人々)をそれに乗せていた。
自分にとっても、相手にとってもよいはたらきをしている。
間違えがなく・安全で・スピーディーに・不足も余分もなく必要十分であること。
それってもう「コンビニ」とか「接客」とかをはるかに超えている。

私は、未来人がコンビニで働いていることに感銘を受けた。
場所なんて関係ないんだと思った。
きっと私がコンビニで働いていても、彼と同じようであるだろう……
と思ってみてから、いや、私はそのこと(=自分の優秀さ)が「伝わらない」ことにすねたり、飽きたりして、コンビニを辞めてしまうだろうし、居続けたとしても、未来人としての役割を果たすことはやめてしまうかもしれない、と思い直した。
だから、場所にかかわらず、自分の仕事を果たしている彼はやっぱりすごいのだと思う。

街のコンビニで未来人に出会ってから、私は少し変わったかもしれない。
「変わった」というより、もともと考えていたことに確信が加わったという方が近い。
そのことは私の「感覚」と「実際」をだんだんと近付けて、しだいに一致させていった。

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