死ぬときは一緒よ
自己実現を相手にゆだねないこと。
自己実現。のようなことを仕事に求めがち。
ただの仕事なのに―!
授業が完全に一方通行のオール講義型で、クラスの20~80%が寝ている(時間帯とクラスによる)。
3週間ぐらいずっと考えていた。
私がDJに扮したラジオ型授業とか、質問コーナーとか、文集作りとか。
ここでもしてみよっかな。
その場所で長く勤めている同僚に話したら、
「期待すると傷付くし、非常勤の先生がそこまで考えていたらしんどいですよ」と言われながらも、
「でも、気持ちはわかるし、自分も考えてみたくなった」と言われて、やっぱりこの人好きだなーと思った。
昔担任だった時にクラスで作った文集が、捨てたはずはないのになぜか見つからないから、持っている人にお願いして貸してもらった。
しばらくの間考えて、途中で何度も気が変わったり奮起したりもした。けど、私は何もしないことにした。
教室に私が居る意味とか、私だからできることとか、そういうことを追求したかったし、私ならできると思っている(今も思っている!)。
つまらない教科書をただ一方的に説明し続けることよりもずっと意味のあることが本当はあるような気もする。
でも、そういうこともどんなことも、生徒はもういらないのだろうということも感じる。
それは、去年のこの時期の経験とか、今目の前の相手を見ていて思うことだ。
(だからあの人は「しんどいですよ」って言ったんだろうな。諦めているし、きっともうわかるのだろう。)
自分の自己実現の欲求を、目の前に居る相手(生徒)にぶつけちゃダメだな。
過去に作った文集を勇気を出して開いてみた。みんな、それはそれはかわいかった。
でも、それは、その時のその関係性だったから成り立っていたものだった。
3年間のつながり。
担任と生徒。
受験生。
これを今、同じようにしようとしても無理だし、とくに欲していない相手を巻き込んで本当にしたいのか? というと別にそうでもないと思った。徒労が見えた。
かわりに、週に1度、ノート点検をすることにした。
なんという地・味! 私らしくもない……。
でも、私は生徒の近くに行って話したいだけなのだ!
一人で授業していたくないだけ!
誰かとしゃべりたいだけ!!
どうせ授業は毎回5分あまる。その時間を使えばよく、へんに時間がかかるのは嫌なのでいちいち名簿にチェックもしないで、私が次から次に机の間を歩いてまわり、生徒のノートにスタンプを押していく。
毎週違うスタンプを押すことにして、期限遅れの子には押さない。最終的に全部のスタンプが集まっていたら満点のノート点が付くしくみ。
かわいいスタンプがいいだろう。最初は夏目漱石にしよう。今授業でやっているから。漱石っていうより、野口英世に似てるけど。時にはシールもいいだろう。
「ノート点検」なんて、今まではテスト前にしかやっていなかったのに、急にこんな冬前にやり方を変えるなんてどうなることやら……と思ったし、反発されるかな? とか、そもそも何かを変えるのは私自身がとてもめんどくさいと思ったけど、あっさりできた。何の問題もなかった。
むしろ、日常的にノートを書いている子は、「先生! いつ点検しますか!」って言ってきた。楽しみにされている。真面目な子たちは、いつもテスト前のノート点検時に、怠惰な友達に請われるままノートを貸して写させてあげているから、それはやっぱり言葉にしない「不満」でもあり、ついに自分の真面目さがむくわれる時が来た! と思うのかもしれない。
机の間を順番に歩いてまわるから、みんなに声を掛ける。「寝ている人を無視しない」ということもできる。
週に一度、「ノート点検」を始めたとはいえ、それでも寝る子は寝る。20~80%の割合は変わらないような気もする。
授業の初めに、「今日、ノート点検だよ」と言うと、多少ざわめいてロッカーにノートを取りに行ったり、寝ていた数回分をその時間に写そうと必死にしているぐらいだ。
それで私はどう思うかというと、とくに何とも思わなかった。
この教室の中で「能動的な人」が私だけじゃなくて、いつも真面目に聞いて書いている子たちだけでもなくて、少しは増えてよかったな……という、ただそれだけ。
でも、健康的なことが一つあった。
私のなかの変な罪悪感が消えたのだ。
一人で「つまらない」教科書の、「つまらない」授業をやって、「誰も求めてないのに」黒板に書いて、丁寧に説明している。
私はたぶんずっと、すみませんすみませんと思っていた。
だって、目の前の相手があまりにも求めていないことがわかっているから。
そういうのがわかりすぎるほどわかってしまう自分の癖がずっとつらかった。
求められていないのに見えないふりをして、人の前に平気で立ち続けることができる人ってそうとう鈍くて頭おかしいんじゃないかなと暴力的に思う日もある。やつあたり。
今は、「ノート点検」があるから平気だ。
生徒は、「先生、今日ノート点検?」と聞いてくる。
「違うよ」というと、安心して眠りにつく。
私たちは「ノート点検」でつながっている。
実は、授業をしているのに10%未満しか寝ないクラスがひとつだけある。0%の時もある。
かと言って、てんでに好きにあちこちで喋って大騒ぎ、というわけでもない。(そういう時もある。)
じゃあ何をしているか? というと、私としゃべっている……! 奇跡!
✨✨✨✨
先生としゃべるのが好きらしい。
そして、寝てしまうよりずっといい、と思っているらしい。
おもしろい。かわいい。
「授業中に先生に話しかける」のは簡単なことではないということを、私はここに来て知った。
勇気とユーモアと、きげんのよさとスタミナが必要で、それから、それなりにその先生との「一蓮托生」感がある。
死なばもろとも……みたいな? 笑
そうだ、一緒に死んでくれる勇気だ!
盛り上がらなかった場合の……。
自分が変なことを言ってしまった場合の……。
ウケなかった場合の……。
ほとんどしゃべらないクラスメイトたちの中で、ともすれば一方通行の授業になりがちなところ、率先して先生との会話を引き受け、続けることには覚悟が必要だ。
だってべつに自分が頑張らなくても、授業は始まって終わるのだから。
だから、そういう子(たち)がいるかどうかというのは本当に運でしかないのだ。が、いたーー!
そうか、いるのか。いたのか。
最近では、「先生の話し相手を務める!」という自負も生まれてきたらしい。
頼もしい。ありがたい。
私はまだ大丈夫だし、いてくれるかぎり絶対に死なせたりしないから大丈夫だよ。
死ぬときは一緒よ。
母の新しい作品。しっぽが後ろになっちゃうなら、お腹に付ければいいじゃない🐖って思ったんだって。
カーテンなどをとめます🎀
中身は洗濯バサミ(大)ですっ!天才!
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