映画『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』感想
TLDR
感想のポイント
この映画は、「冒険に満ち溢れた魅惑の世界」を描いていない
ストーリーや推理要素などは、相変わらず面白かった
ただ、私が憧れたインディとは少し離れた姿だった
この映画は、「人生の終わり方を探す一考古学者の最後の旅の物語」と感じた
個人的満足度
もやもやは残るものの、楽しめた。
満足感は高い。
これがインディ・ジョーンズという男の最後の物語であると納得できた。
映画作品としての評価
普遍性:2/5
映像表現:20/25
音楽表現:20/25
ストーリーの上手さ:10/20
設定の妙:5/15
終わり方:4/10
合計:61/100
はじめに
『インディ・ジョーンズ』シリーズは、私の映画体験の歴史の中で、最も古い、現体験となっている作品です。
あの冒険に満ちたインディの旅のおわりに、馬に乗って駆けていく後姿がとても印象的で、そのかっこよさに小学生の私が虜になったのはいうまでもありません。
金曜ロードショーで流れた『レイダース/失われたアーク』、『魔宮の伝説』、『最後の聖戦』と続いた三つの作品が、私にとっての『冒険』いう概念を作り上げたのです。
私にとって、初期の三作品以降は、シリーズにとって駄作であるように感じられていました。
『クリスタルスカルの王国』も、確かに面白さはあったし、相変わらずインディの冒険としてはスリリングで楽しかった。
滝つぼへ何度も落ちたり、軍隊アリに囲まれたり、遺跡へ向かう仕掛けを動かしたりと、見ていてわくわくする世界が、確かに、一応はあった。
ただ、私が見たいのは、いつも若々しく、次々と色んな冒険に向かって走り出すインディでした。
年老いたインディの姿は痛々しく……哀愁すら漂う彼の姿には、えもいわれぬ寂寥感を植えつけられました。
『クリスタルスカルの王国』も面白さはあったけれど、それは、老いていくインディを強調しただけのような気がしていて、私はどうしても、あまり好きにはなれませんでした。
そんな複雑な気持ちを抱えながら、『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』を見てきた感想を書いていきます。
ネタバレを一切気にせずに書いていきますのでなにとぞご容赦下さい。
物語の冒頭
アウトライン
まずは今回の映画の冒頭シーンから振り返ります。
箱書きは次のようになるでしょう。
第二次世界大戦末期、ナチスドイツが収集していた遺物を取り戻すために、インディとその友人バズはナチスの基地に侵入する
物理学者フォラーが持っていた不思議な力を持つというアルキメデスのアンティキティラの半欠けをナチから奪い取ることに成功する
列車に乗っていた士官を倒して、インディたちは遺物の乗った列車を止め、無事に生きて帰ることが出来た
そして月日が経ち、1969 年のアメリカで、考古学者・インディはさびれたアパートの一室で生活していた
息子を失い、妻との結婚生活も破綻した彼は、引退を間近に控えた偏屈な大学教授だった
かつての栄光の影も形もなく、加えて世間は宇宙開発の話で大盛り上がり
同じころ、フォラーはアメリカのホテルで月面着陸パレードを苦々し気に見ていた
彼は名前と国籍を変えてアメリカの宇宙開発に協力していたのだった
見返りとして、アンティキティラの捜索を手伝うようにアメリカ政府と密約を交わしていた
インディが引退する日、かつての友人バズの娘・ヘレナと再会する
インディは彼女の名付け親として、久々の再会を喜んだが、彼女はインディの持つアンティキティラを求めていた
インディはバズから取り上げたアンティキティラを彼女に見せるが、彼女はそれを持ったまま雲隠れしてしまう
インディはフォラーの手先に捕まりかけたうえ、彼らの殺人の容疑までかぶせられた彼には、もうヘレナを追ってアメリカから出るほかなかった
サラーの手を借りて、彼はモロッコへと旅だった
感想
まず一番は、**VFX のすごさ**です。
予告編からも登場していた通り、若い頃の、在りし日のインディ・ジョーンズの姿がそこにありました。
何も言われなければ、本当にハリソンフォードであると信じてしまうほどの完成度でした。
やはり映像技術の進歩は凄まじいです。
内容としても飲み込みやすかったです。
ポイントは次の通りです。
ドイツの物理学者、ユルゲン・フォラーはアルキメデスのアンティキティラの持つ力が欲しいが、それは半欠けである
インディは過去にそれを手に入れていたが、その力を信じていない
バズはその力の伝説に取りつかれた
インディは息子を失い、妻・マリオンとも別れてしまった
ヘレナは単に考古学に興味があるわけじゃない
これらの要素が旨い事並べられていたように思います。
また、過去作以上にナチとの対決という姿勢が強調されているように感じました。
というのも、これまでが戦前の話を主に描いてきたということもあり、大戦末期の戦場での描写というものがあまりなかったですから、そういった意味で冒頭の映像はなかなかに面白かったです。
さらに、二次大戦後の冷戦時代においても敵をフォラー、つまり、かつてのナチ党員に据えるあたり、ナチとの対決で始まったインディをナチとの対決で終わらせたいという意欲が感じられました。
しかし、私はこの時点で 凄まじい悲しみ、寂寥感 を持っていました。
だって、「インディが枯れた老人になっている」 んです!!
これほど悲しい事はあるでしょうか。
あの冒険家、ヘンリー・ジョーンズ・ジュニアが、インディアナ・ジョーンズが、ただの偏屈な頑固爺になってしまっていたのは、本当にショッキングでした。
ニューヨークの街並みを馬で駆け抜けるインディーの姿が、『最後の聖戦』の姿に重なってしまって、どうしても彼の老いを実感させられました。
格好いいシーンのはずが、どうしても長年のファンとして、複雑な感情が押し寄せてしまう……。
とはいえ、映画は始まったばかりですし、純粋に物語としては問題なく面白そうな雰囲気がします。
さて、続きを見てみましょう。
モロッコでの騒動
アウトライン
ヘレナを追ってモロッコへ飛ぶインディ
その飛行機の中で、バズからアンティキティラを取り上げた日のことを思い出していた
バズはアンティキティラの力を信じ切っていて、完全に狂ってしまっていたようだった
必ず破壊してくれと懇願するバズのいうことに耳を傾けずに去った日の、ヘレナの顔が頭に浮かんでいた
一方、先にモロッコのカジノでアンティキティラを競売にかけていた
インディが競売卓へ割って入ろうとすると、そこへフォラーが追いかけてきて賭場を舞台に大立ち回り
さらにヘレナが保釈金目当てで婚約した現地のマフィアも乱入
結局フォラーにアンティキティラの半欠けを奪われるが、その片割れを先に探し出すべくシチリアへ向かう
感想
サラーの助けを借りて(懐かしい人!)、ヘレナを追いモロッコへ旅立つインディ。
いやはや、本当に懐かしい人です。
どうやら彼は『最後の聖戦』ののち、戦火を逃れる為、インディの伝手でアメリカへやった来たようです。
まさかこんな形でサラーとの縁を回収するとは、脱帽でした。
飛行機の中で思い出すバズの姿、アンティキティラの謎めいた力についての描写については、「新しい」と感じました。
というのも、これまでのインディでは、基本的に〝すでに伝説としてその力が抽象的に示されているもの〟を追ってきました。
しかし今回は〝数学・物理学によって提唱された仮説〟です。
インディ・ジョーンズ最後の作品にして、新しい試みじゃあないでしょうか。
さて、回想シーンが終わりモロッコのカジノへ到着すると、そこではヘレナはアンティキティラを競売にかけていました。
どうやらヘレナは考古学を志していたのではなく、その傍らでお金だけを求めて様々な物品を売って生活しているようでした。
まぁなんとなくはわかっていたけれど、どうもヘレナは憎めない小悪党感がぷんぷんしててなんというか、ねぇ……。
私は受け入れられましたが、さてはてこれは少し賛否両論が分かれそうなところ。
ヘレナに対する好みは脇へおいて、この小悪党からアンティキティラを取り返すべく鬼ごっこが始まります。
カーチェイス!
トゥクトゥクというというのでしょうか、おんぼろバイクを駆り立てて、フォラーを追いかける彼らの姿はとてもわくわくさせられました。
加えて地元のギャングまで!
というか保釈金目当てに雑に婚約してしまうあたりすごい女性ですね。
結局はフォラーにアンティキティラを持ち逃げされるわけですが、その片割れを先に手に入れるべくモロッコを旅立ち、旧友のところへ向かいます。
このあたりの、情に絆されてか、自分自身の興味が向いてか、冒険へ自分から身を投じていく姿には、在りし日のインディの面影が重なって見えました。
海の底で発掘
アウトライン
レニーのもとへ到着
古ぼけた漁船で古代ローマのガレオン船が沈む場所へ到着
アンティキティラの片割れの位置を示す板を手に入れる
ウナギの群れに四苦八苦しながら船へ戻ろうとすると、船の様子がどうもおかしい
浮上すると、追いかけてきていたフォラーに船が乗っ取られてしまっていた
レニーも含めて皆が殺され、残されたインディ、ヘレナ、テディは何とか脱出して木板を取り戻す
木板の中から本物の金属板を手に入れ、シチリアへ向かう
感想
このあたりからインディ・ジョーンズらしいアドベンチャーの香りが強く漂ってきます。
アンティキティラの片割れを探すために必要なタブレットは、ローマのガレオン船の中にある。
それを探すために彼らは深海へと潜りました。
しかも、ここにきてシリーズのお約束、細長くてうねうねと動く、インディが苦手な生き物の登場です。
タブレットの入った箱を探し当てたは良いものの、彼らの生息地を荒らす結果となって大群に襲われるシーンはなかなかひやひやしました。
そこに加えてフォラーの登場です。
インディの年齢を考えるとこうしたピンチのシーンをどう潜り抜けるんだか本当にわからない。
それはそれでいいアクセントにはなるのですが、「インディならどうやったって旨い事切り抜けるさ」という安心感がないのも少しさみしいですね……。
ヘレナの機転でダイナマイトを爆発させ、タブレットを奪って逃げ出すことに成功するわけですが、やはり当然、このタブレットが素直に情報を渡すわけがありません。
燃やしてみるとあらびっくり。
中から本物のタブレットが出てくるわけです。
このあたりの謎解き感が本当に狂おしいほど好き。
とにかくも、本物のタブレットから手に入れた情報を元に、フォラーよりも先にアンティキティラの片割れを手に入れるために一行はシチリアへと向かいます。
洞窟探索
アウトライン
シチリアの町で洞窟探索の道具を揃える一行
テディはインディの考古学者としての態度に不満を持ち、一人で街をぶらついていた
しかし、またも追いかけてきたフォラーに見つかってしまう
テディが生きていると信じて、インディとヘレナはアンティキティラの片割れを探す
アルキメデスの亡骸とともに片割れを発見したが、その遺体には腕時計がついていたり、その棺に描かれたレリーフにはプロペラがついていたりした
その間にフォラーに追いつかれ、インディは撃たれてしまう
完成したアンティキティラとともにフォラーはインディを連れてどこかへと向かう
ヘレナとテディは命からがら洞窟から出てインディを助けに向かう
感想
シチリアの町では人形劇でドラゴンが描かれるなど、この地でかつて行われたシラクサ包囲戦の伝説が息づいている描写が出てきます。
さらりと出てくるシーンですが、この後にかけて伏線となっているのはとても面白かったです。
ちょっと不満と言いますか、不自然さを感じてしまったのは、あまりにもフォラーが追いかけてくる速度が早すぎるというところですね。
いくら何でも、船の修理をして、インディの跡を追って、車の手配をして、といった工数を考えると余りに速い。
インディたちがほぼ直線でアンティキティラのある洞窟を目指していたのに、もう追いついてしまった、その恐怖感寄りも先に不自然さを感じてしまいました。
また、アンティキティラまでの道中にある冒険には物足りなさを感じてしまいました。
何と言いますか、ちょっとあっさり終わってしまったというか……。
この後の奇想天外な展開を考えると、これはジャンプの為のしゃがみだと捉えることもできるのかもしれませんが、何というかやっぱり一味足りない。
過去のインディシリーズを見ても、やはりもう少しわくわくさせてほしかったなぁと思います。
何はともあれ、アンティキティラの片割れを手に入れたわけですが、このタイミングでフォラーに追い付かれてしまいます。
この時のヒリついた空気感と、悪役との交渉、対話と瞬発の駆け引きも、やはりシリーズを通じた魅力の一つです。
完成したアンティキティラを奪い返すべくひと悶着ありましたが、結局撃たれてしまうインディ。
ここで少し考えてみたのですが、よくよく振り返ってみるとインディが明確に銃を撃たれて血を流すシーンというのは実は一回もなかったのではないかと思います。
そういう意味でも、とても象徴的なシーンのように感じました。
時空の裂け目へ
アウトライン
インディが連れてこられたのは飛行場だった
そこにはナチスドイツの軍服を着た男たちがずらりと並び、ドイツ軍の爆撃機が空へ飛ぶ時を待っていた
フォラーの目的は、アンティキティラを使って時空の裂け目から 1939 年のドイツへ向かい、ヒトラーを殺してドイツを勝利に導くことだった
ヘレナは飛び立つ爆撃機の足に飛びつき、テディはセスナを飛ばして爆撃機の後を追う
時空の裂け目へ向かう爆撃機の中で、インディは大陸移動の発見を指摘してフォラーを焦らせる
目的の時間、目的の場所へ向かえないことを理解したフォラーは大慌てで戻ろうとするがもう戻れない
セスナと爆撃機は時空の裂け目に飲み込まれてしまった
感想
撃たれたインディが向かう先は飛行場の爆撃機。
ここにきて、ナチスドイツの軍服をまたもみることになるとは!
フォラーが本気で時間旅行を図っているとは、予想はしていたもののここまで本格的に計画を立てているとは思っていなかったので正直驚きました。
爆撃機に追いすがるテディとヘレナ。
ヘレナのバイクによる猛追のシーンでは、レイダースのプロペラミンチのシーンがちょっとよぎりましたね。
加えてセスナを無理やり飛ばすテディもすごかった。
カジノでのおんぼろ飛行訓練がここにきて伏線だったとは思いませんでしたし、意外と「どこをハックすれば鍵をスキップできるか」まで知っているのは彼の生い立ちに寄るものでしょうね。
爆撃機の中でフォラーがジョークを言うシーンも印象的でした。
この後から焦りによってそんなジョークをいうことも出来なくなっていくわけで、そういう意味での対比と、これまでのドイツ軍人のイメージからの乖離がなかなか大きかったです。
そして、大陸移動の観測というイベントがアルキメデスの没後に発生していたことを指摘するインディの冷静さもさすがです。
物理学者としてのフォラーに、考古学の視点で論理的弱点をついたこのシーンはなかなかに知的な、そして決定的な勝利でしたね。
紀元前の空
アウトライン
爆撃機とセスナはひとまず無事に時空の裂け目を潜り抜けた
窓の外から見える世界はどうもシチリアらしい
フォラーは目論見通りに1939年のヨーロッパについたと喜んだが、どうも様子が違う
実際に辿り着いていたのは、紀元前213年、ローマによるシラクサ包囲戦の上空だった
大急ぎで時空の裂け目へ戻ろうとするが、爆撃機をドラゴンだと勘違いしたローマ軍の攻撃によってエンジンをやられ、フォラーの爆撃機は墜落してしまう
インディとヘレナはパラシュートを使って降下し、無事に地上へ辿り着く
地上に降りたインディたちの前に、アルキメデスがやってくる
彼はフォラーのつけていた腕時計と、フォラーが完成させたアンティキティラを持っていた
インディは古代ギリシャ語でアルキメデスと対話する
アンティキティラは、任意の時空の裂け目を示す道具ではなく、アルキメデスが、遠い未来からの救援を期待して作ったものだった
インディはこの時代に残ることを期待するが、ヘレナは彼をぶん殴って気絶させた
感想
アルキメデスのアンティキティラの指示していた時空の裂け目を潜り抜けた先には、何とローマのガレオン船団が待っていた!
う~んなんというか、大陸移動の考慮を怠っていたとはいえとんでもない時代にやってきました。
そう、この時代は、紀元前の時代はインディが長年探し求めていた考古学の研究対象の時代です。
彼はすぐに、信じられないものを見た感動と驚愕に打ちのめされていましたね。
そしてそう、この場面こそが全ての伏線回収の時間です。
回収その1、「アルキメデスの棺に描かれていたレリーフのドラゴンには、プロペラが付いていた」、これはそう、ナチスドイツの爆撃機のことでした。
古い時代、飛行機という概念を理解できなかった彼らは、突如上空にやってきた爆撃をドラゴンと認識していたのです。
そしてそれは、機体の詳細を知ることが出来たアルキメデスによって、プロペラのレリーフとして残されました。
回収その2、「アルキメデスの遺体がつけていた腕時計はフォラーの物だった」、これは死んでしまったフォラーの腕から取った物でしたね。
回収その3、「アルキメデスのアンティキティラの本当の能力」、これが一番強烈な種明かしでした!
アンティキティラの役割、それは、いつか遠い未来からの救援を期待した、時空を超えた狼煙だったのです。
これにはさすがに衝撃を受けました。
ここにきて大きな伏線の回収です。
正解だとおもわれていた力が実はその本質が違っていた、というのは、定番ではあるもののこういったやり方をしてくるとは。
そして、アルキメデスを前にしたインディの表情、声、そのすべてが悲しみと期待と喜びに満ちていた……。
彼の〝人生を掛けた冒険〟は、ここで幕を閉じるにふさわしいのかもしれないと、私は半分泣きながらそう思いました。
結果的には、彼の父と同じようになるわけですが。
エンディング
アウトライン
インディが気が付いた時、彼はニューヨークのアパートの一室にいた
傍にはアンティキティラとローマ軍の投擲槍が置かれている
痛む体を起こして呆然としていると、ヘレナがやってきた
彼女は、インディの居場所をこの時代だといったが、彼は違うといった
息子も無くし、妻とも別れ、人生を掛けて追い求めた時代二も残れなかった
しかし、次に玄関を開けて入ってきたのは妻・マリオンとサラー、そしてその子供たちだった
サラーたちが買い物に出かけた後、マリオンとインディは二人で向き合う
行き違いはあったが、彼らはやはり互いに必要な人だった
肘に、肩に、唇にキスを落とし、インディはついに安らぎを得るのだった
ただ、ただ。ベランダに干した帽子と鞭を、そのままにしておくインディじゃないのであった
感想
ヘレナによって殴られた後、気を取り戻した時には既に現代のアパートに戻っていました。
彼は、彼の父と同じように、人生を掛けて追い求めたモノを目の前にしながらも、結局それを手にすることができませんでした。
ただ、それでも彼に残されたものがあった。
ヘレナがつなぎとめたマリオンとの縁。
そして再び手を取り合う彼ら。
インディという男の物語は、やっと幕を降ろしたのでした。
総評
私は、この物語を次のように表したいと思います。
『インディという老考古学者の、最後の旅の物語』
年老いて、往年の面影を残しつつも、後進に研究の最前線を譲り、世間からの目線にはもう期待のまなざしはない。
そんな彼が、最後の最後で、本当に欲しいもの、本当の居場所、あるいは人生そのものを探した旅は、とても静かな終わり方をしました。
私は、ただ、明日への希望、光を胸に生きていこうと、そう映画を通じて思いました。
インディ・ジョーンズという男の物語という、過去の光を背負って。