苦手意識を無くすには近寄る事(かもしれない)

結婚が決まって、運転免許を取得することを決意した。
一生免許なんか取る予定は無かったんだけど。

一生する予定がなかった結婚をするんだから、他の予定だって変えなきゃ成り立たないのだ。
(嫁ぎ先が、最寄りのバス停に一日3台しかバスが来ないような地方だし)
十数年前私は20代前半だった。仕事も普通に月23日くらい働いていた。

教習所に通い始めて2ヶ月目に入籍し、すぐに同棲を始め、5ヶ月目に式を挙げ、新婚旅行へ行き、6ヶ月目に妊娠し、期限切れ直前に実習の卒検を受け、安定期の間に学科の試験を受けてなんとか合格した。

そして暗記力と生真面目さのゴリ押しで取得した免許は、本人確認書類として約十年間大活躍しました…めでたしめでたし。


そう、立派なペーパードライバーの完成だ。
臨月の初心者が運転?するわけない!初めての子育てで右往左往してるオール初心者が運転?するわけない!!
免許の取得という目標は達成したけど、運転するという行動までには至らなかった。

ぼんやりと、もう、私がバリバリ運転する未来など永久に訪れないのではないか…そう思っていた。


転機は一昨年。
十年以上大切に乗っていた車を買い替える話が出たときである。(なにやら車検の間隔が短くなるとかで)

その時夫が、「年のせいか長距離運転が疲れるようになってきた。嫁にはたまに運転を代われるようになって欲しい」と言ってきたのだ。

そうか…ならばやらねばなるまいな…(RPGの中ボスか?)

その日から、夫が教官で私が生徒。

夫の指示は細かく(省エネ運転を推奨「今の加速はいらなかった」「信号の先読みをしよう」)、判断基準は食い違う(自転車やバイクを追い越すか否か?黄信号で止まるか否か?信号のない横断歩道でどこまで減速する(「追突されないように後方確認して」)か?指示器をどこで点灯(「今のタイミングじゃ、手前のお店に入ると思われるよ」)させるか?)、あまり挙動がブレると、「ふらつかれると酔うから!」と叱られた。
(ごく初期は車の中心がどこか考えながら走らせていて、車線の中央と車のセンターをばっちり合わせたいためにハンドルを数ミリ単位でふらふらさせて探る悪い癖があったことは、白状しておく)

しかしもう気分は突然卵を千個運ぶことを命じられた新米配達員である。
数ヶ月週末の早朝一時間、閑散とした田舎道で練習する日々が続いた。

運転をしてみて気づいた。
安定した走行には、極めて繊細なペダルさばきが必要であること。
自分の四人後ろくらいにタイヤがあることを、曲がるときには把握していなければならないこと。(車種にもよる)
駐車の際には、進行方向の反対側に注意を必ず払わないといけないこと。
車間距離は詰めてもいけないけれど、開けすぎてもいけないこと。
流れにきちんと乗って、でも調子には乗らず常に周囲に気を払わなければならないこと。

そしてさらに練習を重ねて気づいた。
好きな音楽を小さくかけながら走る、早朝の空の清々しいこと。
雨の日でも風の日でも夏も冬も、窓とエアコンで守られた車内という空間が完璧で快適なこと。
そして、自分の運転する車に乗せる大切な人と話す他愛ない会話の、とても親密なこと。

車って、いいものだなあ。
しみじみ、そう思った。

それでも私が車を運転してみてもいいかな?と思った最初のきっかけは、新しい車のエンジンがボタン式になったのと、バックギアを入れたら車の後方映像がカメラでモニターに映ったからで。(他にも色々変わった。まずエンジンをかけると、今日は何月何日なんとかの日です、と話しかけてくれる。暗いところへ入ると自動的にヘッドライトがつく。車線を踏むとピピピと警告音が鳴る。前の車が発進すると車載器から音がなる)

あ、これは電化製品だ、と思ったら一気に気持ちのハードルが下がった。(電化製品好き)

全ては気の持ちようなのかも知れないなあ。苦手!と思うから嫌いになっちゃうし、面白い!と思うから好きになるのかも。

何よりど下手くそな初心者に、根気よく運転を1から覚え直させてくれた夫には、"今となっては"ただ感謝しかない。