新時代への変換点【ポスト資本主義】
私たちの社会について考える。これがこの記事のテーマであり、それ以上でも以下でもない。もしあなたはこのテーマに興味がないなら、ぜひ目を通して欲しい。きっと楽しい時間になると思う。
昨今、資本主義や民主主義についての議論が加熱している。新しい資本主義、ポスト資本主義に関する本や動画も多く見る。多くの知識人や専門家の人たちがそれぞれの考えを持ち、多くの読者がそれに興味を持つことはいいことだ。この記事の筆者である私も、このような社会の流れの中で、社会について考える一人に過ぎない。
私は経済や政治の専門家でもないし、専門性があるわけでもない。だけど、私のような特に権威も地位もない一般市民が社会について考えることは民主主義国家において、現代において、とても大切なことだと思う。一部の専門家や知識人だけにすべてを任せるのではなく、より多くの人が社会について考え、意見を述べることによって、社会はどんどん良い方向に向かっていくだろう。
この記事の目的は資本主義からポスト資本主義への転換に関わる大きな三つの要素について記述することだ。具体的なポスト資本主義の姿を提示することや資本主義を批判するための記事ではない。
忙しい読者のために、早速結論を述べると、資本主義からポスト資本主義への転換には以下の三つの大きな要素があると考える。
資本主義の持続可能性の欠如
Web3ムーブメントの加速
社会課題
各要素がより育つことで、新しい経済への転換に大きく寄与すると考える。以下の章では、それぞれの要素について記述する。
資本主義の行き詰まりと経済危機
まず、資本主義の前提から話そう。
経済成長は資本主義にとって、大事なキーワードである。
資本主義社会では、経済が成長し続けなければいけない。
企業が利潤を上げることで、社会全体の富が増えるので、企業は新しい商品やサービスをどんどん生み出しながら、新しい市場、需要、ニーズを掘り続ける。
つまり、経済成長こそが資本主義社会において、絶対的な条件、前提である。そして経済成長には以下の二点が必要だ。
新しい市場の開拓
→新しい商品やサービスの開発際限のない消費
→消費者が商品を買い、消費し続ける
資本主義の大前提である「無限の成長」にはこの二点が必要であるが、これらは持続可能ではない。
これは資本主義が永遠に続かないことを意味する。
「無限の成長」に関しては、多くの資本主義信奉者が話さない(話したがらない)ことだ。彼らはまだまだ経済が成長すると信じているし(短期的にはそうかもしれない)、本気で経済が永遠に無限に成長すると信じているかもしれない。この点については「経済成長率の推移」において説明するが、無限の成長は不可能である。
無限の成長の否定は私の意見や主張ではなく、単なる事実である。あなたが資本主義を称賛しようが、批判しようが関係ない。
資本主義とは変化の過程で、常に不安定なのであり、持続可能性と資本主義は相容れないものなのだ。
具体的になぜ資本主義に持続可能性が欠如しているのか、以下三つの点について説明する。
経済成長率の推移
天然資源の持続可能性
人口増加
経済成長率の推移
GDP成長率は前年や前期と比較し、経済がどれだけ成長したかを測る指標として用いられている。GDPはお金がどれだけ市場に流通したか、どれだけ企業が儲けたかを測る指標である。企業が儲ければ儲けるほどGDPは増えるし、それは同時に消費が活発であることを意味する。
上記を踏まえて質問だが、アメリカと中国のGDP成長率が最も高かった年はいつかご存知だろうか?
正解は以下のようになっている。
アメリカと言えば、先進国の中でも経済が強い印象を持っている人が多いのではないか。
GAFAMのような巨大グローバル企業が経済成長を促している一方で、日本ではグルーバルに戦える企業が少ないと嘆く声がよく取り上げられる。
そんな成功例として見られるアメリカの相対的経済成長率は、1965年が頭打ちで、それ以降増加率が1965年を上回ったことは一度もない。
中国はアメリカに次ぐ世界二位の経済大国であるが、2006年が経済成長率のピークになっている。
中国のGDP成長率は今後何度か上に振れる可能性はあるが、全体的な流れは変わらない。アメリカをはじめとする他の先進国のように、経済成長率の増加がどんどんスローダウンしていくのだ。
私たちは年率3〜4%以上の経済成長率を当然のように考えているかもしれない。年率1%以下の成長は異常であり、経済停滞の危機だと認識しているが、それは大きな間違いだ。
むしろ第二次世界大戦後の約三十年間に経済が成長し続けたことが、異常なのである。
日本はその代表的な例である。第二次世界大戦が終結し、焼け野原の状態から経済が発展していった。
インフラを構築し、新しいモノやサービスを開発、販売し、消費者はそれらを求めていた。テレビや洗濯機、冷蔵庫、エアコン、車などの商品が売買され消費されることで、社会が豊かになった。
このような経済の発展が世界規模で起きた結果、1964年に世界全体の経済成長率がピークに達した。世界が先進国を中心にどんどん豊かになることができたのだ。
しかし、このような高い経済成長率は維持することはことは出来るはずもなく、1980年代頃からはアメリカやイギリスは新自由主義的な政策を採用することで経済成長率の向上を試みた。
そして2020年代現在も私たちは同じ問題に直面している。どうやって高い経済成長率を実現できるのか。どのように戦後のような経済状態を実現することができるのか。
資本主義社会では経済が成長し続けなればいけない。なので経済が成長するように試行錯誤するのは当然の挙動であるだろう。
ただ私たちが認識しないといけないのは、第二次世界大戦後、経済が成長した結果、市場が成熟し飽和している事実である。
一部のグローバル企業やITなどの一部の新しい産業だけが盛り上がりを見せる一方で、ほとんどの産業は成熟しきっていると言っても過言ではない。多くの企業が行き詰まっているとなると、社会全体の豊かさを実現するのは非常に難しい。むしろ経済格差のような社会課題を助長することになってしまう。(この点に関しては「社会課題」で詳しく述べる)
年率3~4%の経済成長を求め続けることはただの幻想である。
産業革命以前に、経済がほぼゼロ成長の期間が何世紀も続いた事実を思い出せば、これを理解するのは決して難しくはない。
天然資源の持続可能性
モノやサービスを作るには材料とエネルギーが必要だ。アルミニウム、鉄、銅天然ガス、石油、石炭、レアアースなどの資源の埋蔵量は制限がある。
私たちはある資源の残りが少なくなると、新しい資源を見つけようとする。そのような資源ももちろん無限であるはずがなく、これらの資源を際限なく使用し続けるのが不可能であることは明白だ。
さらに、自然資源を大量に使うことは環境破壊を促進する。環境破壊は社会的に大きな問題の一つである。私たち人間が地球環境に与える影響は見て見ぬ振りをすることはできない。環境問題については後に記述する。
それに対する意見として脱物質化はどうだろうか。
脱物質化とは、技術やイノベーションなどのおかげで、より少ない資源で商品を製造することができる。経済が成長しても、これ以上地球の天然資源、地球の物理的環境にも負荷をかけずにすむということだ。
脱物質化は、私たちの生産や消費を減らすのではなく、より少ない資源でより効率的に生産することにより、経済を成長し続けることを可能にするということだ。例えば、同じ広さの土地、同じ肥料と殺虫剤、同じ量の水からより多くの農作物を生産する。このような生産性の向上は実際に起こっているというのだ。
消費された資源もリサイクルして再利用することができる。そして今まで生産していた商品や消費していた資源が必要なくなる場合もある。例えば、再生可能エネルギーを使用することで、石炭、ガス、石油そしてウランが必要なくなる。iPhoneが登場したことにより、マイクやカメラ、電話、テープレコーダーが必要なくなる。
iPhoneによって、脱物質化が加速した。今後もこのようなテクノロジーのイノベーションが進むことで脱物質化がさらに進むかもしれない。
より少ない資源で商品を生産することは大事であるし、脱物質化はこれからも必要である。地球の限られた資源を浪費し続けるのは避けなければいけない。
脱物質化の必要性を部分的に認める一方で、私たちは脱物質化によって資本主義の課題を解決できるのだろうか。また際限のない消費による副作用を考慮する必要はないだろうか。少なくとも、脱物質化によって経済が無限に成長することは保証できない。
人口増加
人口の増加が経済成長に寄与することは紛れも無い事実だ。人口が増加すれば、消費が増える。消費が増えるということは、多くの商品が売れることを意味するので、企業はより多くの利潤を期待することができる。
世界の人口は2023年現在も増え続けている。国連によると、世界人口はこれからも増え続け、2080年代に世界人口は約104億人でピークに達する。少なくともこれから約60年間は世界人口が増え続けるので、経済成長できそうと思うだろうか。しかし世界人口のスローダウンは既に始まっている。
1700年以前の年平均世界人口増加率は約0.1%だったと言われている。産業革命以降、経済が発展することにより、社会がより豊かになった。そして人口増加率も上昇した。1700年~2012年の年平均世界人口増加率は約0.8%にも増加した。
特に1940年代、1950年代、1960年代初めに人口、人口増加率は大幅に増加した。しかし、1980年代以降は世界人口の増加ペースが安定するようになった。人口増加率が急に鈍くなったのだ。これはスローダウンの表れである。今後年間の人口増加率は着実に下がっていくと予想される。
上記で述べたように、地球全体では人口増加率はスローダウンしつつも、人口は増加する。しかし、国や都市の単位で見ると、人口のスローダウンはさらに早く始まっている。
人口増加率がスローダウンしている代表国が日本である。日本は少子高齢化が進んでいる最先端の国であり、それは社会課題として認識されている。高齢者が増え、若者の割合が減ると、労働力が減ることを意味する。
日本は第二次世界大戦後の1948年に年間人口増加率がピークに達した。そして1972年以降、日本の出生率は低下している。
この傾向は他の国でも変わらない。例えば、アメリカ、中国そしてインドだ。つもり多くの国で年間人口増加率は減少傾向であり、長期的には人口が減少することは分かりきっている。少子高齢化は全ての国がいつか直面する問題であり、経済成長に大きな影響を与えるだろう。
繰り返しになるが、資本主義社会においては経済が成長することが前提となっている。経済が成長しなければ、デフレーションに陥り、多くの人々の生活は苦しくなる。現代は、モノやサービスが溢れていることにより新しい市場の開拓が難しいこと、天然資源に消費に制約があること、人口増加の鈍化に直面している。
このような環境の変化により、今後経済が大きく成長することは極めて難しい。仮に経済成長が短期的に成功したとしても、それが永遠に続くことは不可能である。資本主義社会は経済の低成長や停滞によって、経済危機に陥ることを避けることが非常に難しい経済体制なのだ。
Web3ムーブメントの加速
仮想通貨、ビットコイン、web3といったワードを一度は聞いたことがあるかもしれない。仮想通貨は金融資産もしくは仮想資産として、多くの人が投機にはしり、話題になった。
世間一般的にはビットコインなどの仮想通貨は投機の対象だと認識されているだろう。しかし、これらは今の経済のあり方を根本的に変える可能性を秘めている。
それを理解するためにはまずビットコインの話から始めよう。その次にイーサリアム、Web3について理解を深めることで、経済がどのように変わっていくのか見ていこう。
有名なビットコインなどの仮想通貨は投資家や投機家のための金融商品として作られたのか。ビットコインの目的とは何だったのか。
ビットコイン
ビットコインの目的は、信頼できる第三者(金融機関)を介さずに当事者間で直接送金可能な電子通貨を作ることである。「金融機関を介さない」が重要な点であり、それは金融機関という「管理者」が存在しないことを意味する。なぜなら私たちは日常生活において金融機関に頼りきっているからだ。
普段の私たちの生活を振り返ってほしい。誰かにお金を送金するとき、会社があなたの給与を支払うとき、クレジットカードの支払いのとき、現金を口座から引き落とすとき等、金融機関を介さずに生活することが非常に難しいことに気付くだろう。
銀行のような金融機関は管理者として、そこに権力が集中している。私たちはお金を送金する時には、銀行を介さなければいけなし、手数料を払わなければいけない。銀行口座を開設する際には、私たちの個人情報を提示しなければいけない。
さらに銀行は魔法のような力を持っている。彼らは現金を持っていなくても、信用貨幣という形で、デジタル上である特定の口座の残高を増やすることができる。実質デジタル上でお金を発行しているようなものだが、それは融資と呼ばれる。
このように金融業界は銀行のような管理者がコントロールしていて、中央集権的な構造になっているのだ。
その中央集権的な金融の構造をビットコインは変えた。誰か特定の「管理者」が存在しない、誰もが恣意的にコントロールできない仕組みを構築したのであり、金融を「非中央集権化」しているのだ。
イーサリアム
イーサリアムとは、誰もが非中央集権的な(中央集権的でない、管理者がいない)アプリやプログラムを構築できるプラットフォームである。もちろんビットコインと同様に、暗号資産の取引を第三者の介入なしに、直接当事者間で行うことができる。イーサリアムはビットコインの思想を受け継ぎ、それをさらに幅広い分野に発展させたと言える。
ビットコインは金融業界だけの話だった。しかし、イーサリアムは他の業界や分野にも非中央集権化の仕組みを押し広めることを可能にする。この新しい概念を「Web3」と表現する。Web3の特徴は以下のようになる。
既存のサービスやアプリの多くは、プラットフォーマー、企業によって管理され、所有されている。これらの管理者を必要とせず、所有権をユーザーである私たち個人が取り戻すことができるということが、Web3の本質である。
つまりこれらWeb3のサービスが開発されることによって、様々な業界、組織、そして経済全体の在り方が非中央集権的に再構築されることになる。
実際に多くの新しいサービスが生まれている。それらの非中央集権的なサービスを英語でDencentrized(非中央集権的な)とくっつけることで、DApps(非中央集権的なアプリ)、DeFi(非中央集権的な金融)といったように表現する。その中でも、非常に興味深いトピックの一つである、DAO(非中央的な組織)について話す。
DAO
DAO(Decentralized autonomous organizations)とは分散型自律組織を意味する。DAOは従来の階層的な組織や会社とは違い、フラットで、民主化されている組織である。
DAOにおいて組織の運営や資金の使われ方についての意思決定は、DAOのメンバーによる提案と投票によって行われる。さらにすべての情報やアクティビティは透明で完全に公開されている。これはメンバーの誰もが積極的に組織に携わることを可能にする。このような組織の在り方は従来の株式会社とはまったく違ったものになる。
従来の株式会社では、会社を所有しているのは株主であるため、会社は株主に利益を還元することを重視することは世間の常識となっている。しかし、DAOは、組織に参加するステークホルダー、例えば、労働者、消費者、株主、コミュニティ、取引先などが全員平等に自分の意見を提案し、投票することができるようなフラットな関係性を構築することが可能である。
このような仕組みは、ブロックチェーン上にプログラムが記録されていて、誰にも改竄することができないため成り立ち、もし何か変更をしたければ、投票でルールを変更するしかない。グループの承認なしでは組織の資産を使うこともできない。
もし従来の株式会社の在り方が、よりDAO的な組織に変容すると社会はどう変わるだろうか。少なくとも株主の利益の最大化が一番の目的ではなくなるだろう。その代わりにDAOの所有者であるステークホルダー全員の利益を考慮しなければいけない。
もちろんDAOの組織の在り方が必ずしも正解とは限らないし、まだまだ発展の余地もあるかもしれない。しかし、DAO(DAOに限らずWeb3ムーブメント全体)は現在の経済の在り方を大きく変える一つの要素になりそうだ。Web3は社会、経済がより民主化する大きなムーブメントなのだ。
民主化というとまた新たな課題が出てくるのは必然だろう。民主的な意思決定には民主主義を語らずにはいられない。つまり民主主義の発展と活用が重要になる。従来の組織では、トップダウン的な意思決定が行われる一方、DAOでは民主主義的な意思決定を行われる。それが機能するには、メンバーの一人一人が自分の頭で考え、意見を発することが重要になる。さらに一人一人の意見は尊重されなけらばならないのではないか。
DAOによって民主主義が完全に実現されるわけではない。例えば、意思決定に関する投票において、一定数の賛成があればその提案はプログラムによって可決され、実行される。これはより多数合意を得た意見が採用される一方、少数派の意見は無視されてしまう。
民主主義では、少数派の意見は尊重されなければいけないし、多数決が必ずしも民主主義であるとは限らない。必ずしもAとBのどちらかを採用するのではなく、AとBという提案からCという案に合意するようなこともあり得る。
このことから民主主義とは何か、DAOは具体的にどこを目指すのかを考えることが今後大事になるのではないか。そうすることで、DAOの進化と発展も期待できるだろう。
共有財産
Web3で最も革新的なものの一つは、所有権のアップデートである。DAOの例でも見たように、組織を不特定多数のメンバーで共同所有することができる。これは組織だけではなく、技術的にはどのような財産も同様に共同で所有できる。例えば、InstagramやTwitterのようなSNSのサービスは現在企業によって管理、所有されているが、それらをユーザーである私たち全員で共同所有する。そうすると、運営によってアカウント停止されたり、投稿を恣意的に規制されることは無く、ユーザーである私たち全員が意思決定を行うことも可能だ。そうすることで、ユーザーである私たちにとってより良い形にアプリをアップデートすることが可能になるのだ。
SNSは私たちの生活に欠かせないサービス、インフラに成りつつある。このような生きていくのに必要なインフラは、企業によって私的に管理され所有されるよりも、私たち全員で所有されるほうが、社会全体の利益になる可能性は高い。
このような所有のありかたは、私有財産を根本とする資本主義社会では特別である。資本主義社会では、社会全体の多くの富、商品が私的な個人によって所有されることが前提になっている。もしより多くの富が共有財産として、コミュニティーや不特定多数のグループによって所有されるなら、これはポスト資本主義的な挙動と言わざるをえない。もちろんこのようなポスト資本主義の動きを加速させるのは紛れもなく、Web3ムーブメントである。
社会課題
資本主義がもたらした物質的な豊かさのおかげで、世界はより良い方向に向かっているのは紛れもない事実だ。World Bankによると、1日2.15ドルで生活をする世界貧困人口比率は1981年に43.6%だったのが、2019年には8.4%にまで減少した。経済が成長することで、人々の生活がより豊かになったのだ。
私たちの生活はモノやサービスで溢れ、それらは私たちが必要な欲求を満たしてくれる。そのようにして、多くの課題が解決された結果、今では多くの人は何をするにしても不便がないようにも感じるだろう。
しかし、すべての課題が解決されたわけでは当然ない。ずっと解決できない課題もあれば、新たに生まれた課題もある。
先ほど貧困問題について触れたが、経済が発展したことで先進国と呼ばれる豊かな国から貧困問題は解決されたのだろうか。データを見てみると、貧困問題は未だに解決するのが難しいのがよく分かる。
相対的貧困率の割合は一定の割合から減少していない。これは先進国で共通していて、近年では相対的貧困率は上昇している国もある。
相対的貧困率は所得中央値の一定割合(一般的には50%)を下回る所得しか得ていない者の割合である。
例えば、内閣府によると、2009年の日本の相対的貧困率は、1997年より約1.5%上昇している。アメリカでは1966年から2021年にかけて、貧困率は10~13%の間で留まっており、今のところ相対的貧困率が減少する傾向は見られない。
国内の経済格差の拡大
ここでは経済格差について注目したい。1980年以降から2020年代にかけて、国内の経済格差は広がっている。
WORLD INEQUALITY REPORT 2022によると、国内の所得格差は1980年から2020年にかけて増加している。このパターンはアメリカや西ヨーロッパで見られる。似たような傾向は日本、インド、ロシア、中国、ラテンアメリカ、南アフリカでも確認されている。
下図は日本国内全体の総労働所得の割合を各グループごとに示している。赤がtop10%、青が50%以下、緑がtop1%が占める所得の比率だ。
下図を見ても分かるように、top10%、top1%が占める所得の割合は上昇している一方で、50%以下が占める所得の割合が減少している。
富の不平等
世界全体の資産の集中度は極端である。WORLD INEQUALITY REPORT 2022によると、2021年世界全体のtop10%の富裕層は世界全体の資産の約四分の三である76%を所有している。下位50%は資産全体の2%しか所有していない。
貧困層が所有する主な資産は現金か銀行預金である。彼らは家や土地を所有していることもあるが、これらの資産の市場価値は低い。中流階級は主に銀行預金と不動産を所有している。彼らは株式や債権を所有しているが、それらが彼らの資産のうち占める割合はほんの少しでしかない。
それに対してtop10%の富裕層は、事業用資産、住宅資産、金融資産を所有している。富裕層であればあるほど金融資産の割合が高くなり、フランスやアメリカのような国では、金融資産が全資産の90~95%を占めることもある。これは超富裕層がまったく不動産を所有していないのではなく、極端に多くの金融資産を所有していることを意味する。
国内の富の不平等も同様に大きい。
国を問わず、国内でtop10%が所有する資産の割合は約60~70%である。
近年、欧米ではtop1%の資産の割合が増加している。特にアメリカが顕著に富の格差が広まっている。アメリカではtop1%の富裕層がアメリカ全体の資産の約35%を所有している。
下図はアメリカ国内で各グループが保有している資産割合を示している
富裕層が占める資産の割合が減少する傾向は見られておらず、富の不平等は固定化されている。
以下は世界の各地域で、top10%(赤色)、middle40%(緑色)、bottom50%(青色)がそれぞれ所有していている資産の割合を示している。
見て分かる通り、赤色のtop10%の富裕層が所有している資産の割合は約60%~80%であり、極端に富が集中している。bottom50%が所有する資産の割合は5%にも満たない。
全世界の地域や国を問わず、富の格差は固定化し、地域によっては拡大している。
経済格差が極端に広がると富裕層と貧困層との対立といったような社会の分断が発生しかねない。貧困層は彼らの生活が改善されることを求め、特定のグループに責任を押し付けるかもしれない。その対象は富裕層ではなく、移民や難民、特定の人種、宗教、マイノリティグループ、貿易相手国、外国といったように様々だ。
一つの社会課題から連鎖的に新たな問題が生まれ、それらの問題はお互いに影響しあうことによって、私たちの社会はより複雑になっている。例えば、先進国で貧困問題がいまだに解決されないことは経済格差と大きく関係しているとも言えるだろう。
経済格差と気候変動
経済格差と深く関係している社会課題の一つである気候変動に注目したい。
気候変動は全世界で重要な社会課題だと認識されている。2015年にフランスのパリで開かれたCOP21では、「世界的な平均気温上昇を産業革命以前に比べて2℃より十分低く保つとともに、1.5℃に抑える努力を追求すること」を世界共通の長期目標として決定した。
IPCCによると、1.5℃目標を達成するには以下を達成しなければいけない。
2030年までに世界の二酸化炭素排出量を約45%削減(2010年比)しなけれなばいけない
2050年頃までにカーボンニュートラル(二酸化炭素排出量から二酸化炭素吸収量を差し引いた結果が0)を達成しなければいけない
上記を見れば、1.5℃目標を達成するのは容易でないことは明らかだ。
下図は全世界の二酸化炭素排出量をグループごとに表したものだ。全世界でtop1%の富裕層の二酸化炭素排出量はbottom50%(38億人)よりも約50%多い。もちろん先進国の人々の多くはmiddleやtop10%に含まれている。
これは国別で二酸化炭素排出量を比べたときに、裕福で豊かな国ほど二酸化炭素排出量が多いことを意味する。
世界のどの地域や国内でも二酸化炭素排出量の不平等は大きい。さらに過去30年で、国内の二酸化炭素排出量の不平等が拡大している。
大切な点としては、富裕層(国内または国家間を問わず)が二酸化炭素排出量全体に大きな責任負っていることだ。なぜこのような炭素排出量の不平等が大きいのか。一つの理由としてこれらのデータはカーボンフットプリントを示したもので、地域別での炭素排出量を表していないからだ。
例えば東南アジアで生産されたスマートフォンがアメリカに輸入された場合、そのスマートフォンの生産、輸送、販売に伴う炭素排出量はアメリカに帰属する。これは高所得国が自国の排出量を減らし、炭素集約型産業を世界に外部化し、他国で生産された財やサービスを逆輸入することができるからである。その地域で生産されたものがその地域で消費されず、高所得国での消費されることは考慮しなければいけない。
多くのモノやサービスを消費する豊かな国またはグループに属する人であればあるほど二酸化炭素排出量が増加するのは必然である。
このような二酸化炭素排出量の不平等を「carbon inequality」と表現されるが、このような社会課題により影響されるのは、これからの社会を生きていく若い世代である。気候変動は過去の二酸化炭素排出量の積み重ねなわけだから、この課題は未来の世代に引き継がれていく。
現状への不満や不安が募ることで、社会課題を解決したいと思う若い世代や未来の世代の人たちはこれから増えていくだろう。実際、気候変動や経済格差といったような社会課題に関心を持つ若い世代は世界的に増えてきている。彼らがどのような社会を望み、どのようなアクションを起こすかによって私たちの未来は変わることは間違いない。
ポスト資本主義への道
これまで以下三つの要素がポスト資本主義への転換に重要だと述べた。
資本主義の持続可能性の欠如と経済危機
Web3ムーブメント
社会課題
社会の変革は上記三つの要素だけで成り立つのかというとそういうことにはならない。一つ絶対的に必要となるのは、人間集団のエネルギー、激情である。
近代のはじまりであるフランス革命や日本の近代化における明治維新は、人間の情念の巨大な噴出が伴っていた。フランス革命においては、大衆とブルジョワの熱情の噴出があり、明治維新のおいて武士たちの熱情の噴出が国家の変革に結びついた。革命に賛成するか反対するか、攘夷派か開国派かどちらの立場を問わず、当時の人たちの情念の巨大な渦巻きが社会を結果的に変革したのである。
ここで遅塚忠躬教授の言葉を紹介したい。
現在わたしたちは資本主義と民主主義、そして社会課題に揉まれて、道に迷っている。資本主義の課題を理解していても、資本主義に代わる新しい経済をデザインできない、民主主義が機能していなくても、改善できない状況だ。将来、今回の記事で述べた三つの要素やそれ以外の複数の環境の変化によって、より多くの人が社会や経済について考え、衝突し、大きな情念が噴出されたとき、初めて社会に大きな変化が起きるのではないだろうか。
そしてその社会変革を引率するのは、現状に不満を募らせ、エネルギーに満ち溢れた若者たちであろう。革命や維新といったような大きな変革は活力に満ち溢れた若者でしか成し遂げられないものだからだ。
私たちはより素晴らしい経済、社会を目指して、みんなで試行錯誤しなければいけない時代に生きているのだ。
最後にこの記事に対する意見は批判でも、何でも大歓迎だ。私の考えが絶対的に正しいはずもない。異なる意見はよい刺激になり、みんなにとって新しく学ぶ機会になる。むしろ多くの人が自分の意見を共有することが、社会がまた一歩前進することに繋がると信じている。
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