夢中になるのって難しい。
好きなことはたくさんあるのに、そのうちの一つのことを追求するのが難しい。そう思ったことはありますか?
私は毎日その事象に悩まされています。別に何かを突き詰めなくとも、趣味やスポーツを季節ごとに楽しめればそれで良いじゃないか。と捉えられればどれだけ楽なことか。
でも私がそう思えないのは、きっと何かを「やりきった」っていう経験がないから。小中高ではスポーツや課外活動は学業に支障がない程度にやっておいて、内申書に「〇〇部所属」と書ければ良いと思っていた。学業も不得意科目はさっさと切り捨て、得意の英語と日本史だけをやり都内の私学に進学。大学でも「単位さえ取れれば」と学期初めに授業の口コミサイトで「楽単」を探し、完璧な時間割を作ることに費やした。でも英語だけは大好きで全然苦じゃなかったからレポートとかも頑張った。
大学3・4年次には、自練に行き、近くの本屋さんで好きな本を読み漁るだけの日々。(それでも免許取るの1年くらいかかっちゃった。)
英語とパーソナルファイナンスの本を読むこと、たまの筋トレは何年も継続してはいるがマニアとまではいかない。今のパイロットの訓練だって本当は本腰を入れて、教科書や資料を読み漁れれば良いけど、そこまでの愛と好奇心が私には欠けている。10分1セットで時間を区切りながら勉強することで、自分の尻を叩いている状態だ。
もしかすると「何かに夢中になる」っていう経験はもう出来ないのかもしれない。実際に学校とバイトと両立しながら、自分で身の回りの世話をすることに日々疲弊している。学生時代のように勉強だけするのでは許されない年齢になってしまった。
でもこうして、noteに自主的に執筆する側面は誉めてあげたい。そしてもしも将来家庭を持ち子どもが出来たら、その子のやりたい事をうんとさせてあげたい。お金がないとか親が忙しくてかまってやれないということは絶対に避けたい。
だから私は将来、周りの大切な人が不自由なくのびのびと暮らせるように、今できることをコツコツと進めていく。何かに目をキラキラとさせながら、がむしゃらになることは出来ないけれど、今やるべきことをクリエイティブなアプローチで「ちょっとワクワクするもの」に変えて淡々と進めて行く。それが家族や大切な人の幸せに繋がるなら、そんな人生も決して悪くはない😉